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 さまざまな事情で帰る家のない少年少女たちを受け入れるシェルター(一時避難所)「カリヨン子どもの家」が、2004年6月、国内で初めて東京都内に開設された。長年、子どもの人権救済活動に携わり、子どもたちの生の声を聞く中で、子どもたちの駆け込み寺となるシェルターの必要性を痛感した坪井節子さん(51歳)が、仲間の弁護士や福祉関係者らと共にオープンさせたもの。1年間で31人の子が「信じられる大人がいること」を知り、旅立っていった。

「こんなに話を聴いてくれる大人に出会ったのは初めてだよ」 カリヨン子どもセンター理事長・弁護士 坪井節子さん


今晩、帰る家のない子どもたち

 弁護士生活24年になる坪井さんが、「東京弁護士会・子どもの人権救済センター」で、いじめや不登校、体罰、虐待、少年犯罪などの電話・面接相談「子どもの人権110番」に携わったのは1987年から。「大人社会によって人権を踏みにじられ、傷つき、苦しんでいる子どもたちの多さにショックを受け続けてきた」と振り返る。
 この活動の中で、弁護士としての限界を感じたというのが、「帰る場所がない」子どもたちが増えてきたことだ。親子関係のこじれによる性虐待で家庭では安心して暮らせない子、養育放棄され児童養護施設で育ったものの受験に失敗、あるいは就職できないことで施設を出なければいけない子、少年犯罪を起こして引き受け手がないため、行かなくてもいい少年院に送られてしまう子。いずれも「その晩に」帰る家がない子どもたちである。
「近年、増えているのが、親から虐待されて家を飛び出し、行き場所がなくて犯罪に陥るという虐待と非行が絡む事件。児童相談所の一時保護所がかろうじて子どもたちの駆け込み寺にはなっていますが、あくまでも児童相談所サイドで子どもを保護する必要があると判断しだ場合のみ措置する場所。しかも、髪の毛は黒く、ピアスはダメ、電話をかけるのもダメ、学校には行けないなど行動制限が強くて、思春期の子にはとても抵抗のある場所です」と現状を語る坪井さん。
 これまでは弁護士が自費でカプセルホテルに泊めたり、自分たちの家に連れ戻ったりしてきたが、やはり限度があった。子どもたちは「大丈夫だよ」と帰る振りをしては、野宿をする子もいれば、援助交際でホテルに泊まったり、年齢をごまかして風俗店に体験入店したという女の子も。暴力団関係者に引っ張って行かれたり、犯罪被害者になってしまった男の子もいた。
「日本にはなぜ子どものためのシェルターが整備されないのだろうという思いは強くなるばかりでした」

 

日本にはなぜ子どものシェルターがないの?

 その一方で、坪井さんは「子どもの権利条約」が批准された94年から、若い頃の体験を活かしたユニークな活動を続けてきた。子どもたちの実態を子どもたちの立場から訴える芝居づくりである。多くの人たちに一緒に考えてほしいと、自ら脚本を書き、「子どもの人権と少年法に関する特別委員会」の弁護士仲間や東京都内の高校の演劇部の生徒たち、そこに坪井さんの子どもたちも加わって、暴走族の問題、いじめ、虐待などをテーマに「もがれた翼」シリーズとして毎年9月に上演してきたのだ。
「2002年のパート9の芝居で書いたのは、まったくの夢。子どものための法律事務所があり、子どもが逃げ込めるシェルター『カリヨン子どもの家』があるという架空の話です。10年後には日本にもこんなものができるんじゃないかという思いだけでした」
 ところが、反響がすごかった。「こんな施設が日本になんておかしい。ないなら作ろうという」という動きが盛上がり、翌月には準備会ができて、12月には具体的な青写真まで作り始められた。弁護士だけではなく市民や児童福祉関係者も一緒になってアイデアを出し合い、瞬く間に現実化していったのである。
 弁護士会では、子どもたちがシェルターに駆け込んだ時の相談窓口を増やすために、「子どもの人権110番」を夜間と土曜日にも拡張し、電話を受けた弁護士がその子の代理人として活動するシステムも作った。さらに、NPO法人の認可申請を進めながら、東京都児童相談所との連携をはかるための協定書が結ばれた。
「私たちにとってネックになっていたのは、親に誘拐だと言われたら、弁護士でも子どもを保護する法律的な権限はないこと。しかし、児童相談所との協定書の締結により、親の虐待でシェルターへ逃げ込んできた子どもについて、児童相談所に虐待通告をすると、児童相談所は一時保護決定をして、カリヨンに一時保護を委託することができるようになったのです」
 それ以外にも福祉事務所や児童自立支援施設、自立援助ホーム、医師とも連携。子どもたちのために、みんなが寄り集まるカタチの支援の輪ができた。そして、2003年秋にはパンフレットを制作し、募金も開始。パート10の公演では、ほとんどの設計図のできあがった現実の「カリヨン子どもの家」が上演された。
「子どもセンター開設が間近であり、“もがれた翼”の10周年とも重なったことから、新聞やテレビで随分取り上げてくれた。お陰で、寄付や働きたいという人たちの申し出、物品や建物の提供があちこちからありました」
 そして、2004年6月1日、子どもたちのシェルター「カリヨン子どもの家」が活動を開始し、これを運営するNPO法人「カリヨン子どもセンター」が6月24日に誕生した。

芝居の風景

2002年「『もがれた翼Part9』こちらカリヨン子どもセンター」より

 
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