

性別の分類によってつくられる社会的性差を「ジェンダー」といいます。「女だけど理系が得意」「男のくせにメソメソするな」というように、日常のすみずみにジェンダーは行き渡っています。「性別で行動を縛られず、その人らしく生きられる社会にしよう」と広まったジェンダーですが、最近は「女と男が違うのはあたりまえ」としてジェンダーやジェンダーフリーという考え方を批判する声も出てきました。バッシングを怖れて「ジェンダー」「ジェンダーフリー」という言葉の使用を控える風潮もあります。
そもそもジェンダーという概念は何を明らかにするのか。ジェンダーフリーな社会とはどんな社会なのか。ジェンダーの概念にいち早く注目し、広めてきた和光大学教授・船橋邦子さんにお話を伺いました。

―――船橋さんはいち早く「ジェンダー」という概念を取り入れ、社会に広めた方のうちのひとりだと認識しています。船橋さんとジェンダーとの出会いを教えていただけますか?
ジェンダーという言葉は1980年代後半からフェミニズム運動や女性学で使われ始めました。さまざまな議論の末に、90年代からは国際会議や国連の文書にも使われるようになりました。そうした過程のなかで、ジェンダーという言葉はわたし自身にも力を与えてくれたんです。わたしは、「日本人は勤勉だ」「アメリカ人は自己主張が強い」「女はやさしい」「男は決断力がある」などと“属性”でひとくくりにして一般化するのはとても危険だと思っています。日本人だっていろいろ、女も男もいろいろです。一般化することで人々の言動は縛られ、そこからはみ出た人は排除されたり“変人”扱いされたりします。「子どもを産みたくない」という女性や“専業主夫”の男性に対するまなざしは冷ややかですよね。
ジェンダーという概念は、生物としての性差(女か、男か)によって、「男は男らしく、女は女らしく」をはじめとする性別役割や、それにふさわしい「らしさ」は「社会的につくられたもの」だと指摘しました。そこにとても共感したのです。だから2004年に赴任した佐賀県立女性センター・生涯学習センターの館長として、ジェンダーについていたるところで話したんですよ。ついには『ジェンダーがやって来た』という本まで出して(笑)。
―――確かに「ジェンダー」「ジェンダーフリー」という言葉は90年代に一気に広まりましたね。ところが最近は「行き過ぎ」「悪平等」だとしてジェンダーに対するバッシングの雰囲気が高まっています。こうした動きをどう受け止めていらっしゃいますか?
バッシングする人たちはこう言いますね。「区別と差別とは違う。男女の区別まで差別だというのはおかしい」と。でも、区別が差別につながっていくんですよ。男と女に分けることによって、個人のよさをつぶしてきた事実があります。たとえば「子育ては女のほうが向いている」と決めつけて性別役割分担へと結びつける限り、性差別はなくなりません。それを明確に表現したのが1979年に国連で採択された女性差別撤廃条約です。それまでは男女平等を認めながら、性別の違いからくる男女それぞれの役割は受け入れるという考え方が主流でした。女性差別撤廃条約以降、女性の人権運動はヨーロッパ白人男性中心社会の文化や価値観が中心の近代社会を問い直し、それに取って代わる文化や価値をつくることを目指してきました。ジェンダーという概念は、近代社会を問い直すツールとして必要であり、大きな役割を果たしたと思います。
新しい歴史をつくっていく時にはバックラッシュがつきもの。ジェンダーに向けられているバッシングは、従来の男性中心社会が行き詰まってきている証だと私は受け止めています。
逆に「波風立てるからとジェンダーやジェンダーフリーという言葉を使わないようにしよう」などと“自主規制”する必要はまったくない。むしろ「本来はこういう意味なんですよ」と正面から言っていくほうがいいと思います。問題の本質はジェンダーという言葉を使うかどうかではないのですから。
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