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弁護団、支援者を得て、裁判を決意

晴野まゆみさん 繰り返すが、セクハラという言葉自体が知られていなかったころだ。晴野さんはフリーライターとして生計を立てながら、「自分の存在価値を汚されたまま泣き寝入りするわけにはいかない」と、労働基準監査局に出向いたり、民事調停に持ち込んだりするが埒が明かない。7カ月後、女性弁護士が開く法律事務所の門を叩く。

「非がある男性が職を失われず、被害者であるあなたが追い出された。あなたがその気なら女性への労働差別行為として、裁判を起こせるわよ」
 私の話を聞いた女性弁護士がそう言ってくれたとき、暗闇に明かりが差し込んできたと思いました。他の女性弁護士にも協力を呼びかけよう、手弁当で弁護人になろうと言われ、私は裁判を起こす決意しました。

 裁判で闘うには、「支持者を集め、女性すべての問題として世に訴えることが必要」と聞いたので、私はまずアンケートをとり、40人ほどの女性の友人知人に「職場で性的中傷や性的差別を受けたことがあるか」と問うてみたんです。すると、
「中年の上司からよく(体を)さわられたりします。しかし上司にはお世話になっているので何とも言えず、けっこう辛い面もあります」(19歳、営業事務)
「仕事はできるが女らしくない。お茶も入れないのは問題外だと言われる」(39歳、事務)
 など、戻ってきたすべての用紙に、不愉快な体験が書かれていて、今回私が受けた性的いやがらせは個人的な問題ではないと思うに十分でした。

 雑誌で「セクシャル・ハラスメント」という言葉があり、アメリカなどでは既に裁判例があることを知ったのも、そのころです。フェミニストグループにコンタクトを取ると、みな、「あなたの受けた痛みは、女性として共感できる」と言ってくれる。応援すると言ってくれる。支援者の輪が広がっていきました。

「原告A子」としての闘い

 こうして、7人の女性弁護士、フェミニズムグループを中心に、「クリーンな裁判」にしようと意見がまとまり、「職場での性的嫌がらせと闘う裁判を支援する会」が結成される。晴野さんもその会の一員という位置付けである。解雇から1年3カ月後の1988年8月5日、「元上司」と「会社」を相手どり、360万円を請求して福岡地方裁判所に提訴。マスコミからのプライバシー侵害を警戒し、「原告A子」と匿名での闘いが始まった。

 支援の会の人たちから「原告A子」と匿名裁判にしようと提案されたとき、私は何も悪いことをしているんじゃないから、堂々と本名を名乗ってもいいのではないかとも思いました。でも、マスコミは良心的なところばかりでないし、フリーライターという不安定な仕事をしている身だから、裁判が元で仕事の依頼が来なくなっても困る。同じ性で暮らす母や妹にも迷惑をかけたくないと思ったので、匿名にすることに同意しました。

 提訴の日。マスコミが殺到し、大騒ぎになりました。支援する会の発足集会にも多くの報道陣が詰め掛け、「日本初のセクハラ裁判」と新聞やテレビで大きく報道される。予想を超えた反響でした。しかし、「勇気ある女性」として取り上げられている「原告A子」が自分だとは----と、小さな違和感を感じました。

 続いて、支援の会は「取材する記者は女性記者を」と要望を出したんです。男性というフィルターを通すと正確に報道されないのではないか、という危惧からです。私としては、男女の対立構造を築きたいわけでもないし、本来訴えたい相手は男性なんだから、女性記者に限る必要はないと思ったんですが、口に出来ない雰囲気だった。原告自身がマスコミ取材を受けることも止めると決まったので、知り合いの記者からの取材依頼も断らざるを得ず、ちょっと辛いでしたね。

 でも、支援の会の人たちは、忙しい時間をさいて頑張ってくれているのだと思うと、何も言えなかったんです。女性問題や人権問題について見識は、私より彼女たちの方が上ですし、私は、毎週末の会合に1メンバーとして出席するたび、「みなさん、すみませんね、いろいろとやっていただいて」という気持ちになっていったのです。「匿名A子」と自分の間に距離があるような、自分が当事者でないような・・・。

 裁判は、原告・被告とも必要以外は法廷に姿を表さず、代理人である弁護士に任せることもできます。でも、私は「自立した原告」として闘いたかったから、意見陳述を自分で行いたかったんです。弁護団も異論がないというので、公判の日はマスコミに気付かれないように洋服を着替え、髪型も変えて法廷入りしました。そう、「原告A子」になりきろうと頑張ったんです。被告側の証言は2転、3転する・・。徐々に手ごたえを感じていきました。

1989年11月の口頭弁論を報じた新聞記事
1989年11月の口頭弁論を報じた新聞記事

「私は透明人間?」

 裁判は係争期間が長い。2カ月に1回の割合で公判は続き、そのたびに報告集会が開かれる。支援の会の活動は、全国の支援者に送る会報作りや裁判資金のカンパ活動など。弁護人も支援者も、手弁当で頑張ってくれる。だが、晴野さんは徐々に疎外感を感じはじめる。

 あるとき、支援の会の人が、傍聴に来た人に私を、
「この人が何もしない原告」
 と紹介したんです。冗談のつもりだったんでしょうが、私はすごくショックを受けました。
 また、ある集会の打ち上げ会が開かれるとき、なぜか誰からも開催会場の知らせが回って来ず、行けなかったこともあったんです。連絡役の人に悪気はなく、ただ連絡を忘れられただけだったんですが、私はいてもいなくても気付かれない存在なのかと、やり切れなくなっていきました。

 一方で、裁判のことはどんどんマスコミ報道されるから、飲みに行った店の隣の席から、「セクハラ裁判の人って、どうせブスでもてない女なんでしょ」と噂されているのが聞こえて来る。「それ、私なんですけど」とは口が裂けても言えないわけです。

 いつしか、「私はお神輿に乗せられて、周りの人にワッショイワッショイと担がれている」のだと思うようになりました。お神輿の乗り心地が悪いので、「すみませんが、降りられませんか」と言いたくなっても、言えない。「あなた一人のためでなく、すべての女性のためなのだから、あなたも頑張って」と言われているような。私は「透明人間」なのかと感じるようになっていきました。

 

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