ふらっと 人権情報ネットワーク
  メールマガジン  サイトマップ  お問い合せ
サイト内検索

キーワードで検索できます。
10代の人権情報ネットワーク BeFLATはコチラ
 ふらっとについて ふらっとNOW ふらっと相談室 ふらっと教室 特集 ふらっとへの手紙 リンク集
暮らしに関する問題
部落問題
雇用・労働に関する問題
性に関する問題
多民族共生問題
ジェンダーに関する問題
障害者問題
高齢者問題
子どもに関する問題
福祉・医療に関する問題
その他の問題
  事例で納得 Q&A
  悩みの相談広場
  専門家に相談する
その他の問題を考える

文字縮小

加害者は許せない、だけど死刑には反対です。原田正治さん

 凶悪な事件が起きるたびに「極刑を」という声があがる。「被害者の感情を鑑みて」という言葉とともに死刑を肯定する人も多い。罪を犯せば罰せられ、償うことは当然だが、「死をもって償わせる」ことが本当に「償い」になり、被害者のせめてもの救いになるのだろうか。
  原田正治さん(58歳)は、弟を保険金殺人で殺され、加害者に対する怒りや憎しみを抱きながらも、現在は死刑制度廃止を訴える活動をしている。「加害者の命を奪うことでは被害者は救われない」と話す原田さんに、被害者のひとりとして胸のうちを語ってもらった。

 

ある日突然、保険金殺人事件の被害者遺族に

 原田さんの弟・明男さんは、トラック運転手だった。1983年、30歳にして仕事中に亡くなった明男さんは「居眠り運転中の自損事故」とされた。しかし1年3ヵ月後に雇い主による保険金殺人だったことが発覚、以来、当時36歳だった原田さんの人生は大きく変転する。
 自宅に押し寄せるマスコミ、一度は支払われた保険金の返還請求、会社を休んで裁判を傍聴することに冷ややかな会社との軋轢。同じ「被害者遺族」という立場でも、母親とも妻とも少しずつ事件の受け止め方は違う。家庭のなかで感じる孤独。お酒や遊びに逃げたこともあった。

 事件が発覚するとすぐマスコミが押しかけてきました。近くに住んでいたおふくろも当時小学生だった二人の子どもや妻もしばらく家から出られませんでした。僕はなんとか仕事には出ていましたが、帰宅すると物陰にひそんでいたマスコミの人が飛び出してきたりして、事件のことをゆっくり考える暇もありませんでした。
 全国的に大きく報道されたほどですから、地方のちいさな町ではもう大事件です。自分の家を取り囲む空気をとても重たく感じましたし、友達との関係も変わりました。僕のひがみかもしれませんが、それまでよりも一歩ひいた感じで接してくるような。
 返還を要求された保険金も葬式や法要の費用、弟の借金として長谷川君(明男さんの雇用主にして殺害を指示した人物)に支払ったりして(明男さんの借用証がなかったため、原田さんは嘘であろうと推測している)、すでに一部を使っていました。「返還しないと不当利益です」とまるでこちらがだまし取ったような言い方をされて腹が立ちましたが、すぐに返せる当てがなく困りました。行政や弁護士に相談してもきちんととりあってもらえません。おふくろや妻はそれぞれ自分の不安でいっぱいで、相談できる雰囲気ではない。「事件が明るみにならなければよかったのに」とすら思いました。みじめで悲しい思いをすることばかりで、孤独と社会への不信感でいっぱいでした。


混乱した気持ちのままで立った裁判の証言台

原田さん写真 できることなら自分の手で長谷川君を殴りつけ、思い切り罵りたいと思っていました。それが人情というものではないでしょうか。けれども警察に捕まった後は、加害者は被害者の手の届かないところにいます。たったひとつ、自分の気持ちを出せる場所として、僕は一審の時に証言台に立ちました。「どんな処分をしてもらいたいですか」と検察官に聞かれ、「極刑以外には考えられません」と答えました。実際、当時の僕は「殺してやりたいほど憎い」と思っていました。検察官は僕がそう答えるのを予想したうえで尋問したのだと思います。
 今だから言えることですが、僕は感情に左右されていました。それまで死刑制度のことなんて考えたこともなかったし、裁判の仕組みも知らなかった。まして自分が殺人事件に巻き込まれるなんて夢にも思ってなかったのです。

 加害者「長谷川君」は、逮捕された後も共犯者や金を借りた相手への恨みつらみで凝り固まっていた。しかし裁判の途中で弁護士の影響から洗礼を受け、キリスト信者となる。そして自分の罪を真正面から受け止め、心から悔い、原田さんに謝罪の手紙を送ってくるようになった。裁判は進み、事件から1年7ヵ月後の'85年、一審において死刑判決が下った。
 一方、原田さんは社会からひとり押し出されたような孤独感のなかで、「長谷川君」への憎しみを燃やし続けていた。送られてくる手紙は開封もせずに捨てていた。ところがある時、ふと好奇心がわいて読んだのをきっかけに目を通し始め、時には返事も書くように。そして事件から10年が過ぎた'93年、たった一人で「長谷川君」に面会に行く。憎しみや怒りが薄れたわけではない。むしろ持って行き場のない憎しみや怒りを直接ぶつけたい気持ちが強かった。しかし面会に来てくれたことを素直に喜ぶ「長谷川君」の表情に、フッと肩の力が抜けたという。

 
次のページへ

(C) ニューメディア人権機構 info@jinken.ne.jp

このページの一番上へ