
被害者の人権を考える
『置き去りにされる被害者たち』
(シリーズ1回目)
故人の等身大パネルと、生きた証である「靴」などの遺品を展示し、昨年から全国各地で開かれている「生命のメッセージ展」。凶悪な犯罪や悪質な交通事故、いじめなどで「理不尽に生命を奪われた人々」の足跡を伝え、多くの人に生命の重さを訴える展示会だ。その中に、少年10人に集団暴行を受けて亡くなった高松聡至くん(当時15歳)のパネルがあった。身長180センチメートルという大柄のパネルの前に置かれていたのは、今にも動き出しそうな聡至くんの履き慣らされた大きな靴。何の理由もなく生きることを突然絶たれた悔しさと苦しみを訴えかけているようだった。
あの日から5年。事件は風化しても、事件と永遠に生き続けることになる遺族。「息子の死を無駄にしないために」と、聡至くんの母・高松由美子さん(48歳)の闘いは今も続いている。

あの神戸須磨区の連続児童殺傷事件から3カ月後の1997年8月23日の夜。兵庫県加古郡稲美町の神社で高校1年生の高松聡至くん(当時15歳)が、中学時代の同級生を含む少年10人(当時14〜16歳)に集団暴行を受け、意識不明のまま亡くなるという少年リンチ事件が起きた。自宅から離れた県立高校で寮生活を始めた聡至くんが、夏休みで帰宅していることを知った少年たちは、近くの神社に聡至くんを呼び出し、「最近、つきあいが悪くなった」などと因縁をつけて、鉄パイプや角材で執拗に殴り続けたという。さらに、ぐったりした聡至くんをバイクでひき、火のついたタバコを両耳に入れるなどの暴行を1時間以上続けて、下着姿のままその場に放置。翌朝、聡至くんは通行人に発見され病院に搬送されたが、脳挫傷などで意識不明の重体。そのまま意識を取り戻すことなく、9日後に亡くなった。
悪夢のような現実は8月24日の朝、警察官の来訪で始まりました。目を覚まして、長男・聡至が帰宅していないことに気づき、下の2人の息子と近所を探し回っても見つからず、家に戻った時でした。胸騒ぎを感じながら玄関に出ると「昨晩、裏の住吉神社が騒がしくなかったですか。成人男性が倒れていたんです」と言われたのです。「実は昨晩から息子が帰っていないんです」と伝え、警察官と一緒に現場に走りました。それからは、もう何が何だか分かりませんでした。半信半疑のまま夫は病院へ、私は警察へ行き、事情聴取を受けました。
その後、病院で対面した聡至は、昨夜までの「あの子」じゃなかった。顔は黒くパンパンに腫れ上がって耳の形も変わり、身体中傷だらけで、爪にまで土が詰まっているという変わり果てた姿でした。「誰がこんなことを・・」。警察の担当者に聞いても、「秘密で何も言えません」「悲惨すぎて言えない」と繰り返されるばかり。医師から「脳死状態で、植物人間になるかもしれない」と言われたようですが、私は半狂乱に近い感じで何も聞こえなかった。聡至の体をさすりながら「目を開けて。何か言って」と声をかけるしかありませんでした。
たった15年の人生なんて悔しすぎる
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高松由美子さん |
後で調書で知ったのですが、聡至は身長180センチメートル、体重85キログラムという体格で、体を鍛えていたのに、リンチの間も無抵抗だったといいます。あの子がぐったりしても、加害者たちは「途中で止めたり、救急車を呼んだりすると自分もやられるんじゃないか」「他の少年と同じようにやらないと弱虫扱いされる」と執拗に殴り続けたそうです。まるで虫けら扱いです。それで傷害致死。これは殺人事件そのものやないでしょうか。
10人の加害者のうち、その日に1人が逮捕。後の9人は逃げていましたが、その夜には、加害者の親たちに変わり果てた聡至に会ってもらいました。どうにもならないことは分かっていても、とにかく自分たちの息子がやったことを見ておいてほしかったのです。それから日を追って、中学時代の同級生3人の他、中学生や無職、大工見習など14〜16歳の少年たちが傷害容疑で逮捕されました。
でも、9月1日、聡至は意識不明のまま15歳というあまりに短い生涯を終えてしまったのです。もう信じられなかった。たった15年、これだけの暴行を受けてこの子の人生が終わらされたと思うと悔しくて、人の命のもろさを感じずにはいられませんでした・・。
その後、傷害致死容疑で送致された加害者10人に対する審判が10月21日までに行われ、2人を初等少年院へ、8人を中等少年院に送致する保護処分が決定し、この審判結果は公表された。ただ、その期間は1年4カ月から1年8カ月。少年院を出た少年たちは同じ町で以前と同じように暮らしている。