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戦後60年と人権
子ども虐待
ネットと人権
子ども虐待ー子どもの権利、子どもの人権ー

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 あなたは、日本が「子どもの権利条約」の締約国(条約を承認し、締結した国)であることを知っていますか? あるいは「子どもの権利条約」にどんなことが書かれているかを知っていますか? ひとりひとりの子どもたちが安心して育つために何が必要なのかを考える前提として、この条約を知ることから始めたいと思います。条約批准の推進運動から関わってこられ、国際的な動向にも詳しい平野裕二さんに、子どもの権利条約が誕生した背景と条約の意義、そして日本での現状や課題についてうかがいます。


子どもの権利条約とは 平野裕二さんに聞く

子どもの権利条約が生まれた背景

‘48年に世界人権宣言が採択されて以来、さまざまな人権文書が採択されてきました。そのなかで、すべての人に保障されるべき人権を文字通りすべての人に保障するために、特に弱い立場に置かれている人に焦点をあてた文書をつくっていこうという動きとともに、これまで差別されてきた子どもたちを解放しようという流れができました。一方、子どもがおとなとは本質的に違うニーズを有していることから、その点に注意を払って子どもに特別な保護を提供しようという流れも存在しました。このふたつの流れが合流して生まれたのが、子どもの権利条約なのです。
 前者の考えから、子どものいわゆる市民的権利/自由、つまり表現の自由や集会・結社の自由というものを子どもにも保障しようという条項があります。一方、後者の考えからは、虐待や搾取など、権利を侵害されやすい立場に置かれている子どもたちに特別な保護を提供しなければならないという規定が置かれました。子どもの権利条約には大きく分けてこうしたふたつの側面があります。

そもそも「子どもの権利」とは何か

 よくある誤解として、「子どもに権利なんて認めれば、わがままのやりたい放題になってしまう」という主張があります。これは権利そのものに対する考え方が、基本的に間違っている例です。権利というのは、何でもやりたい放題できるというものではありません。お互いに人間として尊厳をもって生きていくには何が必要か、もしお互いの利益が衝突するときにはどういう基準で調整していけばいいのか、その判断基準として人権なり権利なりがあると、僕は考えています。
 ですから「子どもに権利を認めれば、わがまま放題になる」という主張は、権利というものを理解していないし、子どもたちときちんと利益の調整をしようとはしていない証ではないでしょうか。
 また、子どもの権利条約で一番大切なのは、「対話」だと思っています。大人と子ども、親と子ども、教師と生徒・・・立場はそれぞれ違っても、そういう立場を超えてきちんと自分の言いたいことを話し合っていく。その場合、子どもは話し合いの訓練を受けていないとか、なかなか言葉に出てこないという事情があるので、その点も配慮したうえで話し合っていくのが基本です。

受け身の子どもから主体的な子どもへ

 日本にはもともと‘51年に制定された児童憲章があります。こういったものが戦後ほどなくしてできたということは誇るべきでしょう。ただ、そこに表れている子ども観は、子どもの権利条約とは根本的に違うものです。
児童憲章にしても国連・子どもの権利宣言(‘59年)にしても、子どもを受け身の存在としてとらえています。おとなから愛情や保護、教育、栄養などを与えられるというばかりで、そこに子どもたちの意思や希望はあまり考慮されていません。おとなが一方的にいいと思うものを与えていたのではないかと思うのです。
 一方、子どもの権利条約の批准運動のなかでは、「保護の客体から権利行使の主体へ」というフレーズがよく使われました。第12条に象徴されていますが、子どもたちの意見をきちんと聞きながら物事を決めていかなければならないということがはっきり宣言されているのです。それを担保するものとして、表現の自由、情報の自由、集会・結社の自由などが保障されました。こういった面から、子ども観というものが根本的に変わってきたと言ってもいいと思います。
 これは、虐待の問題を考えるうえでも大切なことです。子どもが虐待を受けた場合も、どうしたいかということをまず子ども自身に聞かなくてはならないということを示しているからです。‘89年にイギリスで採択された子ども法では、保護手続きをする場合も子どもの意見を聞かなければならないことがはっきりと謳われています。
 また、虐待を発見する場合においても、子どもたちが「嫌なことをされたら誰かに訴えていいのだ」と理解していなければ、子どもたちが助けを求めるというのはなかなか困難です。実際に今、虐待について子どもたち自身からの相談というのは少なく、近所の人や医師、教師、あるいは親自身が悩んで相談するというケースがほとんどです。

親は子どもの権利行使を援助するという役目を負う

 日本には「家のなかのことは家族だけの問題。他人は関係ない」という考え方が根強く残っています。そういう風土には、子どもの権利条約がなじみにくい部分があるでしょう。たとえば「子どもの問題について、外部からあれこれ言われたくない」という親もいます。ただ、この条約は親の権威を失墜させたり、親から権利を奪ったりするものではありません。第5条でも「親の指導は尊重されなければならない」と書かれています。ただ指示や指導は適切な方法であること、そして子どもの権利行使を発達や能力に応じて援助しなければならないという条件がついています。
 また、基本的には親子関係に外部の人間、特に国家権力が介入しないですめばそれに越したことはないのですが、それは親が好きなようにできるというわけではないのです。子どもは親の所有物ではなく、独立した人格をもっています。ですから当然、ある程度の子育ての自由はあるにしても、そこには守らなければならない基準というものがあるのです。子どもの権利条約でいえば、第18条に親の第一次的養育責任について「親は子どもの最善の利益を第一義的に考慮しなくてはいけない」と書かれています。


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