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2001/08/10
病気を治すことだけを考えるより、幸せに死を迎えさせられる医者がいてもいい


いい死に方をしたかったら、今からいい生き方をすればいい。

私もホスピスに勤め始める前までは、死とはものすごく恐いこと、悲しいこと、恐ろしいことなど勝手な想像をしていましたが、今はそうとは考えないし、恐いものじゃなくなってきた。まったく自然なことなんです。

たくさんの死を見てきて言えるのは、終末期は人生の縮図であり、家族の縮図であること。その人の生きざまがわかれば、死に方もおおよその見当がつけらる。人は生きてきたように、死んでいく。「いい死に方をしたかったら、今からいい生き方をすればいい」と、言いたい。これは断言できますね。

病気に関してだけいえることですが、今を後悔なく生きていて、いい生き方をしている人は、悪い死に方はしません。なんでこの人がこんな辛い死に方をしなきゃいけないのという場合も、それにはちゃんと理由がある。たとえば、あんなに人に尽くしてきた人が・・・という場合など、その人は他人のためには尽くしても、自分を大事にできなくて、自分の体から反乱を起こされたってことなのです。上手に生きてきた人は仮に病気になっても、その中から「小さな幸せ」を探せるので、生活は不幸にならない。「病気になったお陰でこんな方と知り合いになれた」、「きょうはこんないい夢を見れた」、「いろんな人の優しさにふれられて幸せ」といった具合に、良いことのほうに心が向かう。

自分に起きたことを良くも悪くも善しとして、欲張らず、「ああ、こういうこともあるんだ」と自然体で受け入れていける人、両方をバランスよく見られている人です。逆に、いいことがあっても、それに目を向けず、不満ばかり言ってる人は幸せにはなれない。だから、今までの生き方に自信が持てない人は、今からいい生き方を心掛ければいいのです。

私はホスピス医として特別の使命感を持っているわけじゃない。お会いした人が私の持っている何かを必要とした時、それを分けられればいいと考えています。たとえば、不安を隠せない様子の末期ガンの方から、「寂しいから誰かに抱き締めてもらって、生きている実感が欲しい」と感じれば、そうしてあげる。理屈で考えるよりも、向き合っていて感じたことに素直でいようと思うだけです。人との出会いで、勝手にふっと感じること、しゃべっていて自然に出る言葉を大切にしたい。これはどんな立場の人にもいえることじゃないでしょうか。

(次回に続く)

森津純子(もりつ じゅんこ)
1963年東京都生まれ。88年筑波大学医学専門学群卒業。 東京都立墨東病院勤務後、昭和大学病院形成外科医を経て、東札幌病院ホスピス科へ転勤。92年より昭和大学病院の緩和ケアチーム(ホスピス)に入局し、93年には長岡西病院ビハーラ病棟(仏教ホスピス)医長に就任。95年から昭和大学病院に復帰し、 翌年退職。 97年春、ガンのカウンセリングを主とした「ひまわりクリニック」を開業。著書に、『「いのちの奇跡」を見つめて』(大和出版)、『母を看取るすべての娘へ』(朝日新聞社)、『ホスピス医の玉手箱』(東京書籍)など多数。
ひまわりクリニック/東京都文京区小石川5-4-13 サンフラット茗荷谷305
Tel; 03-3941-9024
H.P. http://www.moritsu.jp/

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