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高齢者

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2001/10/05
ターミナルケアで大切なのは、病人といっしょに感じてあげられること。


延命治療も、本人や家族の考え方次第です。

私は延命のためだけに管だらけにするのは好きじゃないけれど、それが尊厳がないかといえば、状況によってはそうとも言い切れない。人工呼吸器をつけて管だらけになってからのほうが患者さんが穏やかな顔になり、家族も甲斐甲斐しく看病できていたという例もありました。意識があるためにお互い距離ができすぎ、遠慮があって、そばに行きにくいといった場合もあるのです。

森津純子さん「延命治療は無駄」ととるかどうかは家族の考え方次第。少しでも長生きしてほしい家族はそれでいいし、大きい目で見れば、仮に無駄な死に方をしたと言われている人でも、何年という社会全体の流れの中で他方面への影響を考えると、無駄だったかどうかは決められない。私自身、そういう管だらけで悲惨な死に方をした方々を見て、ショックを受けてホスピス医になり、その結果、他に助けてあげられた患者さんがたくさんいたわけですから。

また、もう一方で、誰の目から見て延命治療が無駄なのかということです。医療的、経済的効果から見ると無駄かもしれません。でも、そんな患者さんが2日に1回くらいニコッと笑ってくれる瞬間がある。その日にたまたま出会えると、私自身、ものすごく幸せな気分にさせていただいた。そんな患者さんの命が無駄とは言えないし、私は生きているもので価値のないものはないと思います。基本的にはその価値観は、人には決められないもの。その時限りのつきあいしかできない医者が判断すると、家族には必ず後悔が残りますから、私は家族がどういう結論を出したいのか、納得のいくまで考えてもらいます。

ただそばにいるだけで広がる安心感。

森津純子さん ターミナルケアの基本としては、家族はただそばにいるだけでいい。プロのような看護はできなくても、そばにいることが大きな安心感につながり、家族とのふれあいが医療よりも大事な場合があります。でも、寝たきりになった患者にとって、生きていること自体が迷惑をかけると思ってしまう人も多い。そういう時は、たとえ寝たきり状態でも価値がある存在だと示していく医療カウンセリングがあります。私は母にベッドの上でもできる家事を提供したり、寝たきりでも生きていてくれることで、困った時に相談できことなどを伝えました。

ただ、介護者にとっては、「そばにいるだけ」というのがいちばん難しい。愛情があり過ぎても、心配し過ぎてしまうんです。だから、必要以上に頑張ろうとか、持続させようと思い込むと、介護の泥沼にはまってしまいます。嫌なときは「やーめた」と、無理をせず休み、自分ができることだけやっていくほうが自然です。泥沼に一旦はまると脱出しにくくなるので、そういう時は客観的に自分を見たり、だれかに相談するのがいい。別の見方が加わると、違う考え方が出てきます。

医療側に望むのは、十分の緩和ケアと患者の心に添ったケアです。ただ体の診察をするだけでなく、患者の心にしっかり耳を傾け、今を生きる意味を一緒に探してあげてほしいのです。「もう死にたい」という患者でも、「あなたの笑顔からたくさんの元気をもらっているよ」と伝えられれば、生きている価値があることに気づき、さらには生きる希望にもつながっていく。心と体、両方のケアが十分できていたら、その後の状況にもスムーズに対応できるはずです。人は亡くなる瞬間まで成長し続ける。死を看取る仕事は悲しいけれど、私は最高に幸せな仕事だと思います。

シリーズ1回目はこちら

森津純子(もりつ じゅんこ)
1963年東京都生まれ。88年筑波大学医学専門学群卒業。 東京都立墨東病院勤務後、昭和大学病院形成外科医を経て、東札幌病院ホスピス科へ転勤。92年より昭和大学病院の緩和ケアチーム(ホスピス)に入局し、93年には長岡西病院ビハーラ病棟(仏教ホスピス)医長に就任。95年から昭和大学病院に復帰し、 翌年退職。 97年春、ガンのカウンセリングを主とした「ひまわりクリニック」を開業。著書に、『「いのちの奇跡」を見つめて』(大和出版)、『母を看取るすべての娘へ』(朝日新聞社)、『ホスピス医の玉手箱』(東京書籍)など多数。
ひまわりクリニック/東京都文京区小石川5-4-13 サンフラット茗荷谷305
Tel; 03-3941-9024
H.P. http://www.moritsu.jp/

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