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高齢者

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2001/12/04
自分の人生はいつまでも自分が主人公。老いに責任を持ち懸命に生きよう。


福祉が充実すれば、人が育つ。人を大切にする心が育つ。

たとえば、働いている女性は360日の産後休暇がとれ、1年間は8.5割の給与が保証される。男性は全員出産に立ち会い、10日間の有休が取れます。私は、家にいた7ヵ月間は子どもを預けてスウェーデン語学校に通いましたが、費用は無料。高齢者用の長期療養型病院で看護婦として働き始めても教育休暇があるため、給料をもらいながら学校に行けました。国からは教育ローンも毎月出る。子どもには誕生とともに30万円の祝い金がおり、16歳まで毎年養育費も出る。しかも、医療費は18歳まで歯科矯正なども含め無料。教育費も大学まで無料です。これで一時は1.6にまで落ちた出生率が、もっともいい時期で※2.09まで回復しました。

講演も大好評の麻植さん
麻植さんの講演は「元気がもらえる」とどこでも大好評だ

さらに、労働ポイント制というシステムがあって、一つの職場に5年勤めると2年間の休暇がとれる。同じ職場に戻れる権利があるので、その間に留学する人もいれば、キャリアを積むために大学に行く人もいる。日本と違い、何歳になっても勉強できるシステムです。女性も20歳から64歳の9割が働いていて、結婚、出産しても学びたい人はいくらでも勉強できる。私が今も学問を続けられるのは、スウェーデン時代に備わった姿勢。通信教育で再挑戦した大学を45歳で卒業し、48歳で大学院修士を修了。現在も保健学の博士論文を執筆中です。

真のノーマライゼーションを目指して。

84年に帰国を決意をした理由は2つ。私が看護婦として精一杯働いても、スウェーデン人が最終的に選ぶのは、言語も微妙なニュアンスもストレートに通じるスウェーデン人の看護婦。異国の壁の限界を感じたここと、もうひとつは、スウェーデンで勉強したことを生かし、日本で看護教育を始めたいという思いからでした。 

帰国後、4年間は大学の教職に就きましたが、その後、スウェーデン式介護の啓蒙活動のため、高齢者ケアセンターの所長に就任。スウェーデン方式の有料老人ホームやグループホーム、クリニックなどを立ち上げました。電器メーカーでバリアフリーの浴槽を提案したのもその頃。“グループホーム”“ケアセンター”“バリアフリー”などの言葉も初めて紹介しました。当初は拒否反応もすごくて「そんな訳の分からんスウェーデンのことばかりを言わず、女は家に帰ってご飯を作っとけ」とよく言われたものです。

とにかく何かを変えようとすると、すごいエネルギーがいる。でも、私は生来、難しいことに挑戦するのが好き。今後、この日本での私がやらなければならない課題は「人材の育成」「啓蒙活動」そして「在宅介護をしやすい家づくり」の3つ。現在も月の3分の1は講演活動で、全国各地を飛び回っています。

学生たちや現場の専門家たちにいつも言っているのは、自分への言葉でもあるんです。「専門職たれ! 一生かかって研究せよ! 社会貢献をせよ!」そうした仕事によって、人間としての成長をはかれと。人は生涯の中で有能になればなるほど、人生の自己決定ができるようになる。それが本当のノーマライゼーションじゃないでしょうか。
(次回に続く)

※現在は経済の悪化で1.6に低下している 

ホルム麻植佳子(ホルム・おえ・けいこ)
1950年大阪府茨木市生れ。72年日本専売公社東京病院看護学院卒業。73年よりネパールへの医療ボランティアに参加。76年よりスウェーデンに在住し、スウェーデンのロクスタ病院に勤務。81年ウブサラ大学医療従事者スウェーデン語課程修了。82年スウェーデン厚生省主催外国人看護婦教育講習会修了。83年に帰国し、大阪医科大学附属看護専門学校に教員として勤務の傍ら、仏教大学教育学部英文科通信教育学部卒業。アクティバケアセンター所長を経て、89年(株)ビジケアサービス設立。仏教大学非常勤講師、滋賀医科大学非常勤講師を経ながら、96年仏教大学大学院修了。昨年より大阪大学大学院博士課程で保健学の研究を進める一方で、現在久留米大学医学部看護学科、大分医科大学看護学科などで講師を務める他、全国各地で講演を続け介護問題の啓発と人材育成に努めている。著書に『福祉ってなあに』『スウェーデンのグループホーム物語 ぼけても普通に生きられる』(ともにふたば書房)『介護のキーワード』『介護の現場から』(ともに一橋出版)など。

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