ふらっとNOW

高齢者

一覧ページへ

2003/04/04
どんなに身体が不自由になっても、その人らしく暮らせるように手助けするのが「介護」じゃないですか?


いろんな立場の人たちが、共にいい関係で生きていくために

高齢生活研究所 介護って複雑でしてね。地方の介護者家族の会などで講演させてもらうと、「その家に嫁いだら、嫁が介護者の役割を引き受けなければいけない」という考えに自分が縛られていたり、家も縛ってしまっている場合がよくあります。そういう地域では、やっと堂々と言える場所に来れたという感じで、お嫁さんたちが口々に「早く死んでくれたらいいのに」と言い合ったりされるんです。
そんな場面でいくらヘルパーさんなどの情報を伝えても、「他人を家に入れたらみっともない」といった古い考え方が主流で、「ここに嫁いできた以上、この人が死ぬまで介護を続けなければいけない」とがんじがらめになって、つねったり、けったり、布団をかぶしたりしてうっぷん晴らしをしてしまっているという現実もあります。
それはお嫁さんが悪いということ以上に、介護を家族だけで引き受けないといけないと思わせている状況が大きな原因なんですね。かといって自分がオムツをせざるを得ない状況になった時、まったくの第三者に身体をさらすことは抵抗があって、身内の中だけで守られたいという思いもある。素朴に考えれば、家族介護はものすごく自然な発想なんですが、そうとは踏まえつつも、濃密になりすぎている関係を変えていくためには、私自身はどんどん外の風を入れてもらい、「いろんな人が入って介護しましょうよ」と言っています。昔と比べて長寿になりましたし、自分が介護される立場を考えても、本当にその人の暮らしを作り直す視点で考えていかなければいけないと思います。

浜田きよこさん 私はこれまでの人生の中で多少の波瀾があったり、お金で苦労したこともありました。わが家は、つれあいが大学の福祉学部で教えていることで、以前から、障害をもった人たちが集まる家だったんです。私も最初は、勉強の力ではこぼれてしまう子や不登校の子たちが、家などの血縁関係や制度以外の場所で、みんなが一緒に何かできる場所があればいいのではないかと小さな塾をやってました。
昔も今も共通して関心があるのは、人がどんな風に共に生きるかということ。身体が不自由であろうとなかろうと、知的なことがどうであろうと、その人なりの生きるカタチをきっちり表現できる場があるべきですし、時には周りが作っていくことも必要なんですね。私だっていつ障害を持つかもしれないし、一人では何もできない私が多くの人のお陰でいろんな事ができるようになってきたんですから。
人がたまたま元気で生きられることも奇跡みたいなものだと思ってて、そんな中でいろんな人が気持ちよく生きられたらいいなと考えています。それが母の介護をきっかけに、また自分の老いも考えるなかで、高齢者の問題が大きなテーマとなったんですね。それぞれの人間の中で、何が偉いかどうかなんて何もない。たまたま出会った人同士ができるだけいい関係で生きていければいい。この研究所でも、みんなが気持ちよく仕事ができて、大事な情報をきちんと発信していけたらいいと思っています。

(2002年12月17日高齢生活研究所でインタビュー)

浜田さん前編はこちら

 

浜田きよ子(はまだ・きよこ)

1950年京都生まれ。同志社大学文学部卒業後、塾を開きながら父の帯問屋を手伝う。母の介護をきっかけに、高齢者が使いやすい道具について学ぶ。1995年から高齢者生活研究所を開き、福祉用具や介護などの生活相談を無料で行っている。これまで(財)テクノエイド協会「福祉用具と共に歩む生活」DVD作成委員長、(社)日本福祉用具供給協会「福祉用具でこんなに便利に」漫画冊子作成委員長などを委員会活動多数。現在、京都府新しい行政推進懇話会委員、堺市高齢者生きがいづくり活動実施支援事業審査会委員長ほか。京都新聞「グッズ」、西日本新聞「おたっしゃ雑貨店」、季刊『エブリ』連載中。著書に『高齢者の暮らしを支える道具と工夫Q&A』(ミネルヴァ書房)『高齢者が使いやすい日用品』(晶文社出版)など多数。
関連キーワード:

一覧ページへ