「見守りの介護」がチャンスをもたらした 1年後、ヘルパーさんが交代することになり、妻の病気が悪化するのではと心配したのですが、次のヘルパーBさんは大の演歌好き。妻は唱歌に加え、演歌も次々と覚え歌い始めたのです。発病前には夫婦で演歌を楽しむことなどなく、妻は謡をやっていた程度です。それが「北の宿から」「星影のワルツ」「北国の春」「時の流れに身をまかせ」・・・と歌い始めたのですから、私は自分の耳を疑うとともに感動しました。 「天使」のようなヘルパーとの出会いから、「介護のイロハ」を学んだという谷口さん。それはできないことを教えるよりも、できることを一緒にして喜びを見つけ、自発性を引き出す介護だった。ヘルパーの本来の仕事は「家事援助」と「身体介助」。だが、谷口さんはヘルパーから「見守りの介護」の素晴らしさを教えられた。いいヘルパーに出会えれば、今のグループホームやデイケアで行われていることが、在宅介護でも可能だと確信できた。 介護の先輩に知恵を借り、支えられ
ところが、病状は確実に進行します。痴呆症も中期にさしかかり、中長期の記憶を奪われ、妻は別人のようになっていきました。ヘルパーさんや近所の人ばかりか、子どもたちや夫である私まで分からなくなってしまった。長年共に暮らしてした私が配偶者でなくなったのです。自分の家も、トイレも分からなくなり、買物や炊事の分担も妻から私へ。トイレが分からず、部屋のあちこちで放便放尿するようにもなりました。 しかし、同時に困ったのが炊事です。私が作る料理がまずくて、妻が食べようとしない。頑張れば頑張るほどまずくなって、妻の45キロあった体重が37キロに減ってしまいました。そこでまた周りに助けを求めました。それがきっかっけで、元栄養士さんがいろんな人を誘ってわが家で「君子さんの料理教室」を開いてくれることになった。ちょうど2年続きました。最初に私が覚えた料理が「ちらし寿司」。妻は喜んで食べてくれてるようになり、毎週ちらし寿司が続いたことも(笑)。それからは料理もいろいろ覚えて、得意料理はから揚げ。2度揚げすれば、ジューシーで柔らかですよ。今はグラタン、白和え、サラダと、何でもできるようになりました。ヨーグルトも手作りです。やはり、男でも在宅介護なら料理も含めて介護能力を高めなければダメ。地域社会は病人だけではなく、介護する人も支えることが大切だと痛感しました。 |