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高齢者

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2005/05/13
長生きは授かりもん。感謝して、これからも日々勉強です。


黒田さんは、「これからの女子は手に職をつけておくこと。資格が必要」という母親の考えから、県立姫路女学校を卒業後、東京の共立女子職業学校(現共立女子大学)に進学。卒業後も教員として母校に残っていた時期に関東大震災に遭い、九死に一生を得た。そして、その70余年後には、直接の震災地ではないにしろ阪神大震災も体験した数少ない一人でもある。

黒田さんの写真 女子医専に行く友だちがいて、一緒に東京へ行きました。共立女子はなかなかの難関で、新入生100人のうち姫路からは私が一人、岡山から2人、徳島から1人でした。今と違うて、山陽線と東海道線を乗り継がな行けません。夕方に神戸を出ると翌朝に東京に着くといった具合で、人力車に乗って寄宿舎まで行ってました。親が親なら、子も子で、呑気なものでした。
関東大震災に遭ったのは、大正12年の9月1日。朝からカーッと陽が照ったと思うと、滝のような雨が降り、また晴れるという荒れ狂う天気の日でした。三崎町の下宿に帰ったら、ゴーッという地鳴りがしたかと思うと同時に、ドーンと激しい縦揺れが来た。下宿は崩壊、向いの寄席が倒れて、土煙で辺りは何も見えしません。世の中つぶれると思うて外にでると、周りは火の海。けが人でいっぱいでした。鉄道伝いに逃げ、新宿から出て甲府、塩尻回りで名古屋、神戸、姫路とやっとの思いで帰りました。
関東大震災と神戸大震災の大きな2つの地震を経験しましてね。言えるのは、震災に備えて市民に安全な場所を伝えるよりも、まず危険な場所を指摘するべしやということ。小田原で実際に石垣がつぶれたのを見てきましたから、姫路でも石垣がいちばん危険やと声を大にして言いたいんです。避難所を指定しても、そこに行くまでに石垣があったら安全やないんですから。

もう102歳になりまして、孫が8人に、ひ孫が3人。皆さんが「健康の秘訣は?」とかおっしゃってくださいますが、私は栄養がどうのこうのはありません。特別なことは何もしてないし、すべて普通。息子家族と住んでいるので、家では何もしません。私は、長生きは授りもんやと思います(笑)。あえて言えば、続けてやらなあかんことが次々とあることでしょうか。面接委員も月曜日に来ると、次に来る日にちを伝えてくれはります。数年前から耳が遠くなって補聴器とつえは手放せませんが、来れる間は面接委員も引退するつもりはありません。今のいちばんの楽しみは、面接した相手に「何かを与えられたなあ」と思える時ですね。
それと、80歳からやってます「姫路城を守る会」も楽しみのひとつ。女性会員3人で婦人部を作り、今ではもう200人ほどに。清掃やお城の勉強、他のお城の見学旅行を始め、南は九州、沖縄から北は東北まで年に2~3回、全国のお城を回ってきました。見学でヒントを得てお茶会を始めたり、牡丹園を作ったり。私が生まれ育った町、姫路のシンボルであるお城に関わっていることも誇りに思っています。
(1月24日インタビュー:text上村悦子)

黒田久子(くろだ ひさこ)
1903年5月5日姫路生まれ。東京共立女子職業学校甲部高等師範学部卒業。1949年から93年まで姫路城陽地区婦人会会長。51年から87年まで民生委員。54年から87年まで保護司。57年から篤志面接委員。72年から85年まで姫路市人権擁護委員。89年80歳から93年まで姫路市連合婦人会会長。大阪矯正管区長、法務大臣感謝状、勲五等瑞宝章、全国篤志面接委員連盟会長賞など多数受賞。
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