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富田林市立解放会館の識字学級には現在、約20人の受講生がいる。しかし実際にはこの何倍もの人が読み書きに不自由している、と鈴木さんは言う。 「自分の名前が書けない、字が読めないから電車にも乗れないという人は、まだまだいてる。でも『識字学級へ来ませんか』と誘っても、しり込みしてしまう。『今さら恥ずかしい』とか『仕事が忙しくて休んだら、先生に悪い』とか、みんな自分のことより周りに気を使うんやね」 鈴木さんは、元小学校教師。'69年、校区に部落がある小学校に赴任し、部落の現状と解放運動の盛り上がりに接し、大きな刺激を受けた。 「20歳から教師を始めて、自信を持って子どもに教えていた。落ちこぼれる子どもがいても、『それは仕方ない、あとは本人と家族の努力次第だ』と思ってた。そうやって放置されて何も身についていなくても、義務教育やから卒業はできる。でも読み書きもろくにできなかったら、安定した仕事にはつけんでしょう。何の保障もない力仕事や行商しかない。そうしたら、そこに生まれた子どももまた、落ち着いて勉強できる環境とはほど遠い生活のなかで育って、親と同じように放置されたまま成人する。今の20代、30代にも、十分な読み書きができない人たちはいるんですよ。この悪循環はどこかで断ち切らないとあかんのやと、ムラの人たちといろんな話をするうちに思うようになってきたんです」 少しでも若いうちに地元で何かできないかと、56歳で退職。今は識字学級で教えることに専念している。 「識字学級は、ただ読み書きを教えるだけじゃない。1対1で『なんで読まれへん、書かれへんねん』と聞き取りながらやっていく活動なんです。カリキュラムもマニュ アルもない。卒業もなければ、皆勤もない。かつて教室でこぼしてきたことを、また拾ってるという気がする。でも今度はこぼせへん。逃げても追いかけて行くで(笑い)」 読み書きができなかった自分を恥じるのではなく、なぜできなかったのかを知り、怒り、本来持つべきだった力を取り戻す。それが「識字運動」である。受講生のなかには軽度の知的障害者もいるし、在日外国人も学んでいる。豊かな時代だといわれている今もなお、社会からとりこぼされ、それでも「文字を習いたい」と切実に思っている人たちが大勢いる。私たちの社会にはこんな一面もあることを忘れてはならない。
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