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障害者

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2000/06/22
自分を受け入れ、変わってゆく障害者を知ってください


実は今、自治会の役員をやっています。4軒で受け持っているんですが、会長は「ろう」の人です。一緒に役員をやっていると関心や文化の違いがよくわかります。たとえば悪臭やゴミの出し方などの問題は共有できますが、騒音はろうの人にはピンとこないとか。市から通訳も派遣されて、全員で話し合ってきたはずなのに、理解の仕方や視点が違うから大事な部分がストンと抜け落ちていたりする。「例の問題」と言うだけで耳が聞こえる人たちの間では通じるけど、ろうの人にはわからないまま話が進んでいったりして、いつの間にか食い違いが生じているんですね。それを多数派である耳が聞こえる人たちは、「理解力がない」と判断しがちです。だから書類や相談なども会長のところではなく、総務のわが家へ持ってこられたりする。「それは会長さんにお願いします」と言うんですけど。慣れていないから、無意識にそのように行動してしまうんですね。小さな食い違いが大きな溝にならないために、ていねいに何度でも話し合う必要があるんだと改めて感じました。
行きつけのお店で店員さんに聞いた話なんですが、10年前に彼の弟さんが事故に遭い、車椅子生活になったそうなんです。今では改造した車を運転して、仕事もバリバリやっている。社会復帰されたわけですよね。それでいいと思うんだけど、彼のお兄さんは「弟が不憫でならない」と今でもおっしゃるのね。私の義手のことも知ってるから、やっぱり「大変でしょう」とも言われる。でも人間って変化していくでしょう?つらい時はあったとしても、10年たてば車も運転し、仕事もできるようになる。本人は変わるんです。変わらないのは、家族や周囲。「かわいそう」の一言だけで、障害を受け入れて変化した弟さんを見る目はまったく変わっていない。

これからますます障害者の意識や環境は変化していくでしょう。実際に車椅子がどんどん軽くなったり、パソコンで仕事をしたりという時代になってきましたよね。障害による差が縮まって、本人は自分を受け入れている。そこへ「大変ですか」と言われると、「は?」と思います。変化していく障害者と、いつまでも同情の目で見る健常者。このギャップは、健常者が変わらない限り広がる一方じゃないでしょうか。
障害者側も「障害をもってないあなたに何がわかるの」と言ってしまう人がいます。そう言われると、もうどう接すればいいのかわからない。障害者にも、自分の気持ちを理解してもらう努力が必要です。つらいならつらい、楽しいなら楽しいとハッキリ意思表示をするとか。
そうやってお互いを理解しあうには、まず接する機会を増やすことですね。マスコミに紹介される障害者は「がんばりやさん」のイメージが強いけど、障害者だって当然、性格は人それぞれだし、事情も違う。いろんな人を知っているほど、障害をもつということについて理解が深まると思います。障害者に限らず、高齢者や外国人もきっとご近所にいるはず。難しく考えず、身近なところから文化や環境の違う知り合いを増やしてみてはどうでしょうか。

久保田真弓(くぼたまゆみ)
関西大学助教授

'78年、東京理科大学数学科卒業。高校教師を経て'80年、青年海外協力隊に参加。理数科教師として西アフリカ・ガーナへ派遣される。帰国後、後輩の指導に従事するうち、文化とコミュニケーションの問題に興味を持つ。その後、渡米し’91年、インディアナ大学大学院博士課程修了。現在は関西大学総合情報学部助教授。専門はコミュニケーション論、非言語コミュニケーション。主な研究論文として、アメリカ人と日本人のうなずきや相槌に関する言語と非言語面からの比較および、途上国における「開発と女性」関連がある。
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