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障害者

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2001/06/29
人間である前に障害者だった私が、自分らしさを見つけるまで


「頭がいいだけじゃダメなのよ」

休みがちながらも小学校は何とか卒業しましたが、中学に入る頃からどんどん体調が悪くなり、歩くことも難しくなってしまいました。かかりつけの病院から総合病院の子ども病棟へ転院した時には寝たきり状態だったんです。長い入院になるとわかったので、「勉強しながら病気を治せるところがあるけど行く?」と母に聞かれた時には自分で「行こう」と決意しました。それが肢体不自由児施設だったんです。
ここでは「自分で何もできない人は何かを言う権利もない」というメッセージをガンガン受けました。たとえば入園の翌日、園長先生の次に「偉い」総婦長さんがやって来て、「何か困ったことありますか?」と聞いてくれたんです。私はすぐに「私の足はすごく冷えるので、家からタオルケットか何か持ってきてもらってもいいですか?」と聞いたのね。そうしたら「ひとりだけそんなわがままは許しません」ってピシャッと言われてしまいました。「ああ、こういうことを言っちゃいけないんだ」と、その時「教えられ」ましたね。それまでずっと「障害はあるけど積極的な生き方をしよう」という思いをいつも持っていたんですけど・・・。

ひぐち恵子さん


ささやかな願いも通じないことに驚く暇もなく、決定的な事件が起きる。
隣のベッドの女の子が病気の母親あてに送った手編みのセーターがなぜか届かなかったのだ。その後、母親は亡くなり、女の子は嘆き悲しんだ。その姿を見たひぐちさんは郵便局へ抗議の手紙を書く。すぐに局から職員が調査に派遣され、聞き取り調査をした結果、女の子に小包を託された施設のパート職員が横取りしていたことがわかった。それを知った施設側の対応は、ひぐちさんの心を深く傷つけるものだった。


例の総婦長さんがやって来て、私に「あなたはイエス様に誓ってこのことを誰にも言わないって約束できる?」と言うの。挙句に「あなたは頭がいいって言われてるかもしれないけど、頭がいいだけじゃダメなのよ」って。
私、その言葉を聞いて口惜しくてね。3日ぐらい涙が止まらなかったですよ。
それまで私は「頭がいい」というのは褒め言葉だと思っていたんです。障害を打ち消しはできないけど、「頭がいい」と言われるのがせめてもの励みだった。それなのに「頭がいいだけじゃダメだ」なんて、もう自分のすべてを否定されたのと同じじゃないですか。県立の施設で宗教とは関わりがなく、私もキリスト教を信仰していたわけではないので、なぜ「イエス様」という言葉が出てきたのかはわかりません。それでも悪いことをした覚えもないのに神様に誓えと言われたのはとてもショックでした。
だけど誰にも言えなかった。親は毎週1回の面会日には車で1時間かけて来てくれてたんですけど、やっぱり言えませんでしたね。
もし「施設としてはこういう問題が外部に漏れると困るから、悪いけど黙っておいてくれる?」と言われてたら、私は3日も泣くことはなかったと思います。だけど大人の圧力で、しかも私を貶めるようなやり方で黙らせようとした。そのことにものすごく傷ついたし、やり場のない怒りがありました。

重度障害者への罪悪感にさいなまれた日々

それからは「すみません」「ごめんなさい」「ありがとう」の3つの言葉を繰り返す人になりました。もう自己主張もしなかった・・・つもり(笑)。
ベッドの上で「しーん」とした生活を送ってると、人の気持ちが手に取るようにわかってしまう。看護婦さんとか保母さんとか、私に関わってくる人たちが今日どんな心の動きで職場に来てるかというのがわかっちゃうのよね、不幸なことに。だからその人をサポートするような言葉を織り交ぜながら、「すみません」「ごめんなさい」「ありがとう」と言う“いい子”になったわけです。
でもすごくつらい部分もあったの。いい子を演じているからではなくて、他の人たちに対して。私は「いい子ぶるのも今のうちだけだ。歩けるようになればこんな世界を飛び出して、自分らしく生きられるんだから」と思ってやってるんだけど、重度の障害を抱えて生きていく人たちは“いい子のふり”なんてやってられませんよね。それなのに看護婦さんたちは「寝たきりで大変な恵子ちゃんがこんなにいい子なのに、身体が動くあんたたちが何やってるの」なんて言われるわけです。「私がこの人たちを追いやってる」という罪悪感があって、とてもしんどかったんですよね。

その後、体調が回復し施設から自宅に戻ったひぐちさんは、税理士を目指して商業科のある高校へ入学。当時、障害がある子どもたちは中学を卒業すると職業訓練校へ通い、手に職をつけるものだという考えが主流だったが、「中学を卒業したぐらいで将来を決めたくない。自分にはもっと可能性があるんじゃないか」と考えたのだった。迷うひぐちさんを「君が求める生き方を見つけられるまで勉強を続けてもいいんじゃないか。恵子という名前の通り、いろいろなことに恵まれている子なのだろうから、きっと自分らしい生き方をみつけられると思うよ」と手紙で励ましたのが今のパートナー、近藤秀夫さんである。その手紙をきっかけに文通を始め、ひぐちさんの大学入学と同時にいっしょに暮らし始める。幼い頃から人間関係に傷ついてきたひぐちさんは、「人と一緒に仕事をすることに自信がもてない」という理由から自宅で開業できる税理士を目指していた。しかしオーダーメイド車椅子の営業マンとしてあちこちに出張したり、知的障害のある人たちを支援する活動をする近藤さんについて回るうち、「君は人と接する時の感覚がすごくいい。その感覚を生かした仕事がいいんじゃない?」と近藤さんに指摘されたのだった。

そう言われると、確かに「なるほど」と思う部分があったんです。
私は言葉で自分を説明するのを旨として生きてきたけど、知的障害がある人たちは自分が思ってることをちゃんと説明できなくて、だからもどかしくて相手の服を引っ張ったりしてしまう。大好きな人に「好きだよ」と言えないから抱きついちゃうとか。すると「問題行動!」と言われてしまうんですね。
その点、私は障害は違っても受けてる差別や偏見は同じだから、彼らのつらい立場がわかるし、今こんな気持ちでいるんじゃないかというのも理解できる。そして健常者との間に立って、「誰だって言いたいことが伝わらなかったら、服を引っ張りたくなるでしょう?」と解説したり、彼らの代弁をすることができるかもしれないと思ったんです。それがきっかけで障害者の在宅訪問指導員や自助具指導員として働くようになりました。

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