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障害者

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2002/12/27
自分の感情を大切にすることから、人の痛みへの共感も生まれる


感情の声を聞き、発散し、解放しよう

安積遊歩さん 私たちがなぜ、さまざまな関係のなかで差別したりされたりしていることに気付かなかったり我慢したりするのかというと、「感情」に対する評価がとても低いからなんです。「感情的だ」とか「感情に流されるな」というように、感情を表現することは「いけないこと」だとされていますよね。
たしかに、感情に従う必要はありません。だけど感情の声を大事にし、感情を発散して解放することで思考がスムーズになるんです。この理論は再評価カウンセリングといって、アメリカで出会ってとても共感したから日本各地で広めてきたんだけど、非常にユニークでロジカルな理論だと思います。
具体的に言うと、二人一組になり、30分なら30分ずつ、交互にお互いの感情を徹底的に聞きあいます。ふつう、怒りや悲しみに震える声って止めたくなりますよね。だけどそれを止めずに、徹底的に聞くわけです。怒りや悲しみといった感情を止めるのはおしっこを途中で止めるようなもので、何の解決にもならないどころか余計に具合が悪くなっちゃう。泣くのも怒るのも排泄と同じ生理的な反応なんだから、泣いてる人には「いつまで泣いてるの。いいかげんにしなさい」と怒ったり慰めたり励ましたりするよりも、「泣きたいだけ泣いていいよ」と言うほうがずっといいんですよ。
私がこんなに疲れて怒りを増幅させながらも生きていけるのは、この再評価カウンセリングで「徹底的に聞いてもらう」という時間をもっているから。こういう時間をもってないと、なかなか生き延びられません。

人間であることを否定される男性たち

障害者運動をやるなかで、今も迷いや悩みは尽きません。抑圧の構造のどこから切り崩していけばいいのか、と。親の解放か、男性の解放か、いや障害をもつ自分の解放が先だろうとか。
男性たちが徹底的に、自分の心の声が聞こえなくなるぐらい抑圧され、人間であることを奪うくらい厳しいところで生きているから、自分たちも差別されているなんてとてもじゃないけど感じとれない。テレビで「戦争になれば、妻と子を守るために戦う」と言ってる男性をみて、ここまで物事をきちんと考えることを奪われ、恐怖を見ないようにさせられ、人間であることを否定されてるんだなとつくづく思いました。彼に守ってほしいなんて妻も子どもも思ってないかもしれないとか、そもそも守れるはずがないとか、そういう「当たり前の感覚」がすっぽりと抜けているから、男性の解放もまだまだ遠い道のりですね。

やっぱり「解放」は女性から始まる?!

安積遊歩さん 男性と女性、どっちが先に変われるかというと、やっぱり女性のほうなんですよね。暴力が痛いと気付けるのも、自分の子がまるで家事ができないということに謙虚になれるのも、父親より母親だもの。でもね、たとえば今も腹が立つのは、彼の実家へ一緒に行くと、母親が息子に「あなた、いつもやってるんだから今日は休んでなさい」なんて言う。自分もずっと家族のために働いてきたんだから、「あなたを育てた20年分、これから返してもらうわよ」ぐらいのことは言ってもいいのに。
「私は好きで家族や恋人に尽くしてるんだから、差別されてるのとは違う」という女性、いますよね。だけどその言葉に反論したり説教したりしても意味がない。
「尽くすも尽くさないも、明日あなたが倒れたらどうするの? 料理も洗濯もできない彼や家族と一緒に干上がるしかないよ」というのは確かに正論だけど、それでは相手がさらに反発するか、逆に怖がって離れるか。「あんな女性にはなりたくないわ」と思うだけかもしれない。
それよりも、「どうしてそんなに尽くしたいの?」と訊いてみたらいいんじゃないかな。もしかしたら彼女のお母さんがそういう人だったのかもしれない。そうしたら「じゃあ、お母さんは今、幸せなんだ?」とさらに訊いてみる。皮肉じゃなくてね。あるいは、仕事で忙しいお母さんだったからすごく寂しかった、だから自分は夫や子どもに尽くしたいという話が出てくるかもしれない。
非合理的な行動には必ず原因があるんです。それを聞いてあげて、本人が自分の感情をとことん出さないと、次のことは考えられない。そこから「解放」は始まるんだと思う。

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