性別や障害の有無で適性を決めつける怖さ
海外から障害のある人が来られると、できるだけ会って話をするようにしているんですけど、なかなか話が通じないんですよ。たとえば「日本では、精神病者が運転免許をもつことは法律で禁止されている(旧道路交通法)」と言うと、「どうしてそんなことが起きるの?」と訊かれます。そして「精神病をもっていても安全に運転できる人はたくさんいるし、病状によっては運転できる時もあるのに、精神病者だからと免許を与えなかったり取り上げたりするのは大きな人権侵害でしょう」と言われるんですね。ところが日本では、「精神病者に運転なんかさせたら危ないに決まってるじゃないか!」となってしまうわけです。 機会とサポートがあれば力を発揮できる障害があっても高齢になっても、社会から隔てられることなく、自分の人生の主人公として普通の暮らしをしたいという思いは誰でも同じ。ところが障害や病気のある人は、子どもの頃から学校も生活の場も「一般社会」から分け隔てられてきたことで、「ひとりの人間としての存在」を知られてきませんでした。「保護」や「特別な扱い」をしなければならない「特別な人たち」と見られがちだったんです。 実際に学び働く人が増えていくことが重要「障害者欠格条項をなくす会」を設立した段階で考えていたよりも、見直しに至る流れは速かったと思います。条件つきながらある程度まで、多くの門戸は叩けば開かれるようになりました。ただ、実際にたとえば医師として働く人がどのくらい出てくるでしょうか。教育をはじめとして分け隔てられないこと、その人が必要なサポートをどのように得るか、環境をどう変えていくかといったようなことが今後の大きな課題だと思います。
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