ふらっとNOW

ジェンダー

一覧ページへ

2002/05/08
男を真似るより広く流れに目を向けよう 桂あやめさん2


出番と役回りを考えて

フェミニズムを題材にした新作? 自分自身が疑問を感じないので、メッセージ性のある話はありません。そういうのは嫌い。人物や事柄を半権力的な庶民の目線から見て笑い飛ばすのが落語ですから、逆に、フェミニストのような人をバカにしたくなる。外で「女はどうのこうの」と言っている人が、家に帰ると正反対のことをやっているとか、「セクハラはダメ」と言っている人自身が実はセクハラをやっているとか。無農薬野菜信仰者に向かって「いいですね」ではなく、パーマを当て化粧を塗りたくって「違うやろ、それ」と言う人に登場させるとか。会社でも家でも偉そうにしているお父さんが実はゲイで、家でこっそりバレンタインチョコを作っているところを娘に見られるという話も作りました。

何事にも、表と裏があるやないですか。私、大阪府の人権施策推進委員を務めているんですが、そういう場でも見えてきます。いろんな団体から意見を聞く中で、例えば部落解放同盟の人3人からヒアリングしたなら、この人は部落差別をフェードダウンしたいと思っているけど、もう一人の人はフェードアウトは困る、もっと予算を取って施設を作ってほしいと思っている、とか。人権の問題から、テレビで障害者をさらしものにしたらあかんとなっているそうですが、小人プロレスの人は「生活かかってるから、テレビに出してくれ~」状態やと聞くやないですか。同じように、男と女の生き方とか役回りにも表と裏があり、意義があると思うんです。

男が演じようと女が演じようと、落語の面白さは笑いの量で決まります。でも、数人の落語家が出る落語会は、笑いの流れのあるショーのようなもので、前座の人、休憩の前に出る人、休憩の後に出る人、最後のトリを取る人が、それぞれに役割があるんです。連携プレー的に、その役割をちゃんと果たした人の後はやりやすいし、全体としていいショーになる。どの出番になっても、そこのポジションに合う長さとネタになっているか、その役回りを考えながら演じないといけないんです。

普通は、若い者から順番に出て行くんですが、私の場合は、「色変わりのポジション」につかされることが多かった。というのは、キャリアが一番浅くても、トップに出るよりも、男の人のオーソドックスに聞き込む落語が2本ほど続いた後に、ポンと「色変わり」として女が出る方が雰囲気が変わっていいのじゃないか、次の話をまたゆっくり聞こうという体勢になってもらえるのじゃないか、と。

私は、落語会でのそういう自分の役回りを得してるなあと思ってきましたが、男の生き方、女の生き方に話をリンクさせると、女が男の真似をするとか、男が女の真似をするとかでない、それぞれの役回りがあるのだと思う。どのポジションについても、全体の中での自分の役回りを考えた上できちんとこなせるようになりたい、ならなくてはいけないと思います。付け加えると、人として魅力的なのは、男・女に限らず何才になっても新しい役回りやポジションへのチャレンジ精神の豊富な人ではないでしょうか。男ばっかりの落語の世界に、女の私を入門させてくれた文枝師匠のように。

2002年6月9日(日)午後6時30分~、大阪市天王寺区の一心寺シアター倶楽(くら)で、芸能生活20周年を記念した「桂あやめ独演会」(前売2500円、当日3000円)をひらく。問い合わせは、茶臼山舞台・06(6774)9655へ。

桂あやめ(かつら・あやめ)
1964年、神戸市生まれ。中学生の時に学校で開かれた古典芸能観賞会で落語の世界に興味を持ち、82年、18歳で桂文枝に入門。半年後に桂花枝として初舞台を踏んで以来、“女の落語家”として活躍している。94年、師匠の前座名「あやめ」を襲名。著書に『桂あやめの艶姿ナニワ娘』(東方出版)。96年、国立演芸場花形演芸大賞銀賞、97年第14回咲くやこの花賞(大阪市)、00年大阪府女性基金プリムラ奨励賞(個人)受賞。大阪府の人権施策推進審議会委員も務める。上方落語協会会員。

12
関連キーワード:

一覧ページへ