「夫と同じ墓はイヤ」という女性の刃何か違うと思いながらも、「男らしくあれ」と刷り込まれてきたメッセージは強烈です。その呪縛に絡めとられながら暮らしてきましたが、その後、「メンズリブ」に関わるようになったのは、文化人類学を学んだことが原点でした。京大の梅棹忠夫先生を中心とした人類学研究会に参加し、先生からアフリカ調査のことなどを聞くにつけ、自分の経験値からの相対的な価値観では計れない世界があると思うようになった。それは、女性問題においても同じで、「男」の価値観では計れない問題を内包しているのだと思うようになったんです。 新聞社に就職し、仕事の一環で、当時、大阪市立婦人会館で上野千鶴子氏を講師に迎えて行われていた2年間にわたる女性問題講座と出会いました。2年目になり、ゼミ形式になったとき、受講生の1グループがお墓の調査をした。その結果に興味を持ったんです。それは、新興住宅地での女性へのヒアリング調査で、死後、夫の田舎の墓に入るのは嫌だと答える人が多かったんです。私がそれまで関係していた文化人類学や民族学でのお墓の調査ではまったく浮かび上がって来なかった反応で、舅、姑と同じ墓が嫌だというばかりでなく、夫と同じ墓に入るのが嫌だと答える人の多さにびっくりしたんです。 残業をしない! 一方で、新聞社の社員としての私はご多聞に漏れずの働きバチでした。残業は、会社に帰属している限り、拒否できないものだったと思っていた面もあり、自己都合による残業だけでなく、いわゆる「つきあい残業」も日常茶飯。これって何だろうと思いながらも、毎日のように残業していました。 一概には言えませんが、仕事というものを「完璧を求めない」「がんばりすぎない」「問題が起これば、それに対処してゆくことができればいいのだ」というふうに捉えれば、自分のペースでやっていけると思うんです。長い目で見れば、目先に振り回されずに余裕を持って行う方が、仕事の完璧性は高まる、と。たとえば、小さな子どもがいる家庭で、毎日妻が保育所に迎えに行っているとしたら、まずは男が週に1日でも2日でも「残業しない」「自分が迎えに行く」という日を設け、実行に移してみたらどうでしょうか。 男たちの井戸端会議、自分探しの場として隔月に定例会を開いたメンズリブ研究会を経て、大阪市中央区に日本初のメンズセンターを旗揚げしたのは、1995年。以来、「男らしさ」を問い直し、男の立場からジェンダーの問題にアプローチする市民運動を展開してきました。その内容は、(1)ケンカはできても、仲良くすることが苦手な男のための「コミュニケーション教室」、(2)これまで社会が求めてきた男らしさという規範をメディアを通して探り、メディアのあり方を問う「メディアに映し出された男性像プロジェクト」、(3)大人社会にもはびこるイジメを取り上げた「職場のなかのイジメ対策委員会」、(4)男性から電話相談を受け付ける「男・悩みのホットライン」の開設など多岐にわたっているのですが、近年、自治体などからの講演依頼が増えてきました。 |