ふらっとNOW

ジェンダー

一覧ページへ

2003/09/19
男性の皆さんへ 「弱い自分」をさらけ出し会話のキャッチボールを楽しもう


「夫と同じ墓はイヤ」という女性の刃

メンズセンターの看板 何か違うと思いながらも、「男らしくあれ」と刷り込まれてきたメッセージは強烈です。その呪縛に絡めとられながら暮らしてきましたが、その後、「メンズリブ」に関わるようになったのは、文化人類学を学んだことが原点でした。京大の梅棹忠夫先生を中心とした人類学研究会に参加し、先生からアフリカ調査のことなどを聞くにつけ、自分の経験値からの相対的な価値観では計れない世界があると思うようになった。それは、女性問題においても同じで、「男」の価値観では計れない問題を内包しているのだと思うようになったんです。

新聞社に就職し、仕事の一環で、当時、大阪市立婦人会館で上野千鶴子氏を講師に迎えて行われていた2年間にわたる女性問題講座と出会いました。2年目になり、ゼミ形式になったとき、受講生の1グループがお墓の調査をした。その結果に興味を持ったんです。それは、新興住宅地での女性へのヒアリング調査で、死後、夫の田舎の墓に入るのは嫌だと答える人が多かったんです。私がそれまで関係していた文化人類学や民族学でのお墓の調査ではまったく浮かび上がって来なかった反応で、舅、姑と同じ墓が嫌だというばかりでなく、夫と同じ墓に入るのが嫌だと答える人の多さにびっくりしたんです。
私は、この調査結果は社会状況を示すもので、言い換えれば、男である自分に突き付けられた刃(やいば)だと思った。その思いが、私の男性問題への内発的出発点となり、その後女性問題のグループが企画した「男はフェミニストになれるか」をテーマにした討論会に参加したことがきっかけとなり、同じような思いを持った男性と出会い、男性問題を考える男性のグループ作りへと発展していったんです。

残業をしない!

中村彰さん 一方で、新聞社の社員としての私はご多聞に漏れずの働きバチでした。残業は、会社に帰属している限り、拒否できないものだったと思っていた面もあり、自己都合による残業だけでなく、いわゆる「つきあい残業」も日常茶飯。これって何だろうと思いながらも、毎日のように残業していました。
そんなときに、パートナーが生きるか死ぬかの大病で入院。会社帰りに病院に寄らねばならないという大義名分ができ、「お先に失礼します」と言えるようになったんです。大量の仕事をかかえ、最初は自分でもどうなることかと思ったのですが、定時に退社せざるを得なくなると、昼間の集中度が違ってくる。やる気さえあれば、就業時間内に効率良く仕事を終わらせることが可能だったことに、自分でも驚きました。異動で、社内一ではないかと思うほど朝一番から夜遅くまで毎日猛烈に働いていた人のポジションを引き継ぐことになったときも、いざやってみると意外にも、残業なしで済ませられたのです。
一度味をしめるとやめられない。というか、やめる必要もないですから、私は、妻の退院後も、のちに退職するまでずっと、残業しないことを続行しました。

一概には言えませんが、仕事というものを「完璧を求めない」「がんばりすぎない」「問題が起これば、それに対処してゆくことができればいいのだ」というふうに捉えれば、自分のペースでやっていけると思うんです。長い目で見れば、目先に振り回されずに余裕を持って行う方が、仕事の完璧性は高まる、と。たとえば、小さな子どもがいる家庭で、毎日妻が保育所に迎えに行っているとしたら、まずは男が週に1日でも2日でも「残業しない」「自分が迎えに行く」という日を設け、実行に移してみたらどうでしょうか。
もちろん、それが可能なように法の整備が進み、職場慣行が変わるように働きかけることも大切です。しかし、同時に、自分の考え方、やり方も変える努力も必要だと思うんです。

男たちの井戸端会議、自分探しの場として隔月に定例会を開いたメンズリブ研究会を経て、大阪市中央区に日本初のメンズセンターを旗揚げしたのは、1995年。以来、「男らしさ」を問い直し、男の立場からジェンダーの問題にアプローチする市民運動を展開してきました。その内容は、(1)ケンカはできても、仲良くすることが苦手な男のための「コミュニケーション教室」、(2)これまで社会が求めてきた男らしさという規範をメディアを通して探り、メディアのあり方を問う「メディアに映し出された男性像プロジェクト」、(3)大人社会にもはびこるイジメを取り上げた「職場のなかのイジメ対策委員会」、(4)男性から電話相談を受け付ける「男・悩みのホットライン」の開設など多岐にわたっているのですが、近年、自治体などからの講演依頼が増えてきました。

関連キーワード:

一覧ページへ