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2004/05/29
世界文化遺産登録を機に考えたい大峰山の女人禁制議論


修験者でも女性は入山できない

「大峰山はかつて、確かに修行のための山だったようです。しかし、男性修行者しか入山できない時代から、現在では男性なら誰でも入山できるように変わっています。しかし、女性は、修行したいという人でさえ入山がいまだに拒まれている。これは、明らかに女性差別です」

こう話すのは、「世界文化遺産登録にあたって『大峰山女人禁制』の開放を求める会」(以下「開放を求める会」)共同代表の一人で、女人禁制シリーズ1回で話を聞いた女性学研究者の源淳子さん。

「人権という概念がなかった時代に成立した決まりを、1300年経過し、人権意識を持って物事をとらえることのできる今の時代に昔と同じように適応させるのは問題。21世紀、男女共同参画社会を目指す時代に、このような領域が世界文化遺産として登録されることはあってはならないこと。登録後は海外からの観光客が増えると予想され、国際的批判も招くことになります」

求める会活動風景の写真
「世界文化遺産登録にあたって『大峰山女人禁制』の開放を求める会」のメンバーたち。奈良県女性センターにて。

吉野・熊野国立公園という公共性をもつ大自然の中にあって、誰もがその遺産や景観を楽しめるはずの場所に、公然と「女人禁制」の地域がある。これを容認したまま世界文化遺産に登録されることは、女性差別を認めることになり、「許すことのできない問題だ」というのが、同会の主張である。

また、修験道の研究者からは、「女性であるがゆえに女性が一定の場所へ立ち入ることを禁止した女人禁制は、女性は不浄なもの、穢れ多きものと考える宗教的な不浄観から来たもので、その根底には、部落差別とかかわる『ケガレ』の問題があります。女人禁制を許すことは、宗教の差別体質を許すことになる。女人禁制は、表面的には女性の問題と受け止められがちだが、これを容認している宗教の側の問題として提起すべきだ」という意見も聞く。

「修験道禁止令のどさくさ」により、明治以降も女人禁制が継続

女人禁制の山は、明治初期まで、大峰山だけではなく高野山、比叡山をはじめ日本各地に存在したが、そのほとんどは、1872年(明治5)、明治政府から「女人禁制を廃し、(女性も)自由に登山参詣できるように」という内容の太政官布告が出た後に解いている。にもかかわらず大峰山に女人禁制が残ったのは、この太政官布告(女人禁止廃止令)に続き、同1872年(明治5)に修験道廃止令が発令され、「修験宗がなくなったことによる、その後のどさくさのため」(開放を求める会)という。

大峰山・大峰山寺には、比叡山・延暦寺や高野山・金剛峯寺のように、修験道禁止令後の受け皿となる教団寺院が存在しなかった。そのため、女人禁制廃止令の適用に至らず、従来のスタイルで地元洞川地区の住民らが護った後、修験宗の復旧が認められた1886年(明治19)に大峰山寺が設けられた。

その後、現在まで同寺は、洞川の龍泉寺、吉野の竹林院など5寺院で構成される「護持院(ごじいん)」によって輪番制で管理・運営され、修験三本山の本山修験宗(総本山・聖護院=京都市左京区)、真言宗醍醐派(同・醍醐寺=京都市伏見区)、金峯山修験本宗(同・金峯山寺=奈良県吉野町)が協力している。

現在、女人禁制とされる区域は山上ケ岳・大峰山寺を中心に、東西10キロ、南北24キロの範囲である。

 

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