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2004/05/29
世界文化遺産登録を機に考えたい大峰山の女人禁制議論


禁制区域は「便宜上」縮小されてきた

「禁制区域が時代とともに便宜上縮小されてきていることからも、『女人禁制』って一体何なのだろうと思います」
と、源さんはさらなる疑問を投げかける。

先述したように、大峰山の登り口に、母公堂が建ち、かつてはそこが「女人禁制」の結界口だった。しかし、(1)戦後、植林の仕事で人手が足りなくなり、いつしか地元の女性も結界を越えて禁制区域内で山仕事をするようになった。それを見た信徒らから抗議を受けた。(2)山麓(清浄大橋)までバス道が完備され、登山者を乗せたバスがそこまで乗り入れることとなったが、従来の結界口の母公堂前で女性の車掌やバスガイドを降ろして運行しなければならず、何かと不便が生じた。(3)付近に、女性ハイカーが増えてきた。この3点の理由により、寺側と地元住民らが協議し、1970年(昭和45)に「女人禁制」区域が縮小されたのである。

龍泉寺の写真
洞川地区「龍泉寺」境内にある結界石。1960年まで門の前に立ち、機能していた。

また、歴史をさかのぼれば、大峰山寺の護持院の一つで麓町・洞川地区にある龍泉寺の境内もかつて「女人禁制」だったが、1960年(昭和35)に禁制が解かれて女性にも開放された。その理由は、寺に豆腐屋などの女性が用事で訪ねて来た際に、住職や僧が門の外まで出て行って対応しなければならず、不便だったからだそうだ。

「寺側が主張してきた『禁制』の論理は寺側や地元の人たちの都合によって変更されている。つまり、『女人禁制』とは、その程度のことを根拠としているのに、『伝統』『宗教』、そして『霊山』の名の元に、あたかも正当性があるかのような錯角を生み、社会意識化されてきたのです」

今も信徒の参詣も多いが、「日本百名山」の一つに数えられており、「登山」を目的にしたハイカーも少なくない。そして、たとえ信者でも女性は入山できない、単なる登山者でも男性は入山してよい、というのが、現在の「大峰山・女人禁制」の実情だ。

実情といえば、麓の洞川地区には、永く「遊廓」といわれる箇所が存在した。
かつて大峰山から下山した男たちの一部が、「精進落とし」と称して、女性を買った。そのために、売買春を公然と行う数軒の店が、約20年前まで存在したという。今でこそ、そういった店は姿を消したが、近年大峰登山バスツアーに参加した京都府内の男性は、帰りのバスの中で「精進落としの代わりのサービス」として、ポルノビデオを見せられたという。

繰り返されてきた開放論議と「強行突破」の経緯

女人禁制の開放議論は、以前からあった。
古くは、1873年(明治6)に大峰山寺が女性の登拝を許可しようとしたのを始め、1936年(昭和11)には地元住民側が開放を決議したこともある。前者は住民側の反対、後者は信者と寺側の反対により実現しなかった。近年では、1997年(平成9)、護持院が「役小角1300年御遠忌を機に、大峰山の女人禁制を解く」と地元民らに説明したが、猛反対にあい、白紙撤回している。

また、1929年(昭和4)に大阪の女性2人が大峰山に登頂したのを皮切りに、「実際には何人もの女性が女人禁制区域に入り、大峰山に登っている」(開放を求める会)そうだ。

開放を求める会世話人でもある小学校教員の森永雅世さんと畑三千代さんも、1999年の夏、登山家をリーダーにした18人のグループで、大峰山に登った。あたかも「強行突破」したかのように報道され、批判の目にさらされたというが、それには以下のような経緯があった。

森永さんたちは、男女共生教育を研究する教員グループのメンバーである。普段の生活の中の女性差別について語り合ううち、大峰山の女人禁制を知った。

清浄大橋付近の写真
清浄大橋付近。

現場を見に行こうと、98年夏、10数人で洞川地区に行き、地区の人たちの「大峰山は神聖」「伝統は重要」など禁制維持を良しとする意見を聞くと共に、母公堂の手入れをしていた地元の男性とも話す機会があった。その男性から「自分たちは差別をしていない。男性であれば、たとえ(被差別)部落の人でも登ってもらっている」「今まで登った女性はたくさんいる。だけど誰も『登った』とは言わない。心にやましいものがあるからだ。それにその人たちは、その後どうなったか分からない」という言葉を聞き、「この問題に取り組もうという気持ちに火がついた」という。

仏教の歴史などを1年間勉強したうえで、翌99年夏、大峰山に詳しい登山家の男性をリーダーに、小中学生の子どもを交えた男女18人で「行けるところまで行ってみよう」「結界門で入山を拒否されたら、抗議して降りて来よう」と、大峰登山を開始。リーダーの勧めで、「レンゲ辻(東側)」からアプローチしたところ、結界門には誰もいず、止められなかったので、前年のように「自主的に引き返す」ことなく山頂まで登った。

「正直に言うと、まさかとは思いながらも、山の怒りに触れ、大荒れの天候になる事態が心の隅になかったとは言えないが、自然に抱かれた山頂に立つと、女人禁制の境界線は人間が作ったものだと確信を持てた。山頂には、日本中の山の頂上にあるコンクリートの三角点と同じものがあり、地元の女性が抱いている『神聖にして犯すべからず』といったイメージと、大きなギャップを感じた」(森永さん)

大峰山寺では「女は入ってはいけない。すぐに出なさい」と言われて押し問答となったり、信徒から「罰が当たるぞ」との声が飛んできたりもしたが、下山中、山道で会った年配の登山者の多くからは、「ようお参り」と好意的な声がかかった。

「地元の人たちから、女性がいたら修行できないので『女人結界』があるとも聞いていたが、女性がいようがいまいが鍛練されると分ったのも収穫だった」(畑さん)

下山し、結界門を出たとたん地元住民たちに囲まれ、抗議を受けたという。

 

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