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2004/05/29
世界文化遺産登録を機に考えたい大峰山の女人禁制議論


「開放」を望む約1万2000人の署名

開放を求める会は、昨年末から署名を募り、2004年4月、全国から集まった1万2,418筆を「女人禁制は女性の人権を著しく傷つけ、すべての人の平安を希求する宗教のあり方にも背を向けている」として開放を求める要望書とともに政府やユネスコ、奈良県や地元の天川村、三本山、護持院などに提出。また、3月には奈良市でシンポジウムも開催するなど、開放を求めるアピールを行ってきた。一連の活動について、会のメンバーたちはこう語る。

シンポジウムと署名の写真
全国から集まった「開放」を望む署名と、50人以上が詰めかけた
「開放を求める会」主催のシンポジウム風景(3月28日)

「今年2月に署名活動を開始するにあたって、会の代表である女性3人、男性1人が出席して記者会見を開いたとき、集まった記者たちは、男性にばかり『名刺をください』と言い、意見を求めた。『女人禁制 男性も反対』という見出しで署名活動のことを掲載した新聞もあり、驚きを隠せませんでした」

「署名集めでは、『自分は別に大峰山に登りたくないから』という理由で拒否する人が少なくなかった。そういう個人的な問題ではなく、男性なら誰でも登れるのに、女性は信者でも登れないのは差別だ、女性差別撤廃条約に反し、現在のジェンダー問題にも通じる問題だと説明するとたいてい理解を得ることができた」

「シンポジウムには50人余りの参加者があり、登山家も参加。『大峰山中で会ったオーストラリア人男性から、夫婦で来たのに妻は登れないと不満を聞いた』『一部の信者が反対しているだけだから、女性も登ろうではないか』という意見が出た。また、法律に強い人から『裁判に訴え、司法の判断を仰げばいいのでは』という提案もあった」

「署名と要望書を届けた先の反応は『議論はすべきだが、宗教的色彩が強い伝統であり、行政が開放を強制できる立場にない』(奈良県)などさまざまだったが、本山修験宗総本山の聖護院からは、『大峰山が世界文化遺産に登録されようとする今が、女人禁制の歴史を考えるいい機会。すべての者は平等だという宗教上の立場から、信者や大峰の地元の人たちに開放を呼びかけたい』という前向きな回答があり、一歩前進した」

地元住民の多くは「開放反対」だが

一方で、97年に寺側が「開放」を打ち出したときに猛反対したという大峰山麓・洞川地区の住民らは、こうした昨今の開放の動きをどう思っているのか。

「開放は必要ない。理由は、これまでずっと禁制だったから」(郵便局職員=23歳、女性)

「女人禁制は女性差別ではなく、伝統。家庭内などで完全に男女平等になっていないのに、山だけ開放せよという論はおかしい」(50代、女性)

「子どもの頃から、毎日大峰山を『神』として拝んできた。女性が禁制区域内に入ると、『氷(ひょう)が降る』と言われてきた。地元民にとって、山は『父親』のような、自分たちを守ってくれる存在。開放は、外の人が勝手に騒いでいるだけ。私たちから『神』『父』を奪わないで」(70代、女性)

「宗教上の理由で、開放反対。開放論者には『勉強してから来なさい』と言いたい」(50代、男性)

洞川町並みの写真
大峰山麓の洞川は、20軒ほどの宿が軒を並べる温泉街。宿泊客の、修験者:一般観光客の割合が、15年前は9:1だったが、今は3:7に逆転したと話す宿の主人もいた。

「外部の人が口をはさむことではない。解放して、山が荒れたらどうしてくれるのか。地元の生活権を、誰が保障してくれるのか」(50代、女性)

「以前、東京住まいだったときは女人禁制に少し疑問を持っていたが、洞川に住んで15年の今は、女人禁制開放には本能的に拒否反応がある。理由は、1300年の伝統の重みと町の空気。禁制を守ってきたおかげで山が荒れなかったことも素晴らしい。以前、お客さんの信徒にアンケートをとると、圧倒的に開放反対であった。信徒の思いを強く受け止める」(観光協会長=50代、男性)

「大峰山は個人の欲望を満たすための山ではなく、男の信仰の山であり、その意義を未来永劫保存しなさいというのが、世界遺産の意義だ。女人禁制は差別ではなく宗教上の慣習だから、何が何でも開放するわけにはいかない」(区長=男性・57歳)

と、取材に答えてくれたほぼ全員が女人禁制の開放には「反対」と口をそろえるのは、信徒の宿として営業を続けてきた旅館が約20軒並ぶ、大峰山の「門前町」だからだろうか。

大峰山系を望む写真
地元洞川の人たちが疑問をもつことなく「男の山」と思い込んで手を合わせてきた大峰山系をのぞむ。

1997年に寺側から開放問題が浮上した後、「男たちに『しっかり女人禁制を守れ』と檄を飛ばす」ために、洞川地区の女性有志19人が出したという文集『檄(げき)』にも、「今まで守り続けてきた伝統を、時代の波に惑わされず、次の世代へ手渡したい」「ここにしかない『男だけの世界』、威厳がある神秘的な聖地を守りたい」などと綴られている。

今回の世界文化遺産登録に先立ち、2003年10月に国際記念物遺跡会議(ICOMOS=イコモス)の調査員が現地調査に来たが、地元では「もしも女性の調査員が来たら、入山を断る。それが原因で世界文化遺産登録ができなくなってもかまわない」「世界文化遺産登録の条件として女人開放等が示されれば登録を辞退する」と申し合わせをしていたという。洞川地区に位置する、大峰山寺の護持院の一つ龍泉寺では、岡田悦雄住職が「現状維持でしょう」と言った。

ただ一人、宿を家族経営する70代の女性からは、「個人的には、開放は時代の流れだと思います」という言葉が返ってきた。

2004年4月、女人禁制存続・開放の決定権を持つ護持院は、「大峰山は、修験者、寺、地元の三者が守ってきた山で、三者すべてが了承しなければ、女性への開放は実現できない」として、「女人禁制は現状を維持する」との統一見解を示したという。一方で、本山修験宗の聖護院は、「開放を求める会の要望を受け止め、三本山関係者が集まって内部の研究会を開き、禁制の由来も含めて議論を深める」とコメントしている。

女人禁制続行か開放か----。先ゆきが注目される中、大峰山は今年も5月3日の山開きを迎えた。

(2004年3月~4月取材/取材・文 井上理津子)

 

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