ふらっとNOW

暮らし

一覧ページへ

2004/04/07
生きていることは生かされていること


誤りを語り継いで・・・

かつて織りの勉強のために過ごした沖縄での2年間は、私にとって特別の経験でした。琉球という島で海だけを見ながら空間と時間を感じ、それまでの生活とまったく違う無謀ともいえる暮らしを続けました。肉体労働をし、自然に実ったパパイアやバナナを、食用とされる草を、イノシシの腸や雨上がりに出るカタツムリまでもを命をつなぐために食べた。そこで得た何をしてでも生きていける自信は、その後の道へと続き、現在の世界各国を歩き、カンボジアの片田舎でサソリやヘビが出ても動じない生き方へつながったのです。

今の私の生活はアートだけ。仕事の依頼があると、まずその空間を把握し、空間で何ができるかを考えます。そして、作品のテーマが決まると、ただ走るのみ。まず使いたい素材の勉強を一から始め、仮に樹脂を使おうと思えば、レーヨンの会社の工場を紹介してもらい手弁当で出入りし、教えてもらうというスタイル。写真に関して新しい技術を学びたければ、フィルム会社の研究所を訪ね、個人談判して入り込み教えてもらう。1995年、大阪難波のキリンプラザでの個展に出品した『蘇生』は、土や植物の種を使って創ったサークルでしたが、その時、大量の灰が必要で、アトリエの庭でワラや布をどれだけ燃やして灰を作ったことか・・・。とにかく制作は失敗を重ねることのくり返しですが、人間、できないことなんてないと思うんです。

戦争や死をその人の身になって感じよう

「absence」(1999年)
「absence」(1999年)

最近は講演など人前で話す機会も増えてきました。私が今、必要だと思うのは大人が自分たちの歴史を語り、若い人たちに「過去を知ることの大切さ」を伝えていくこと。日本では暗い記憶を葬り去ろうとする流れが強いけれど、人々は何をしてきたのか、戦争の影でたくさんの人が死に、それはどういう歴史的背景をもっているのかを知らなければいけない。子どもたちには私たち大人が伝えていくしかないんです。
私はドイツで記憶の大切さを教えてもらった。ドイツや東欧の強制収容所跡では、清掃をしている学生によく出会います。その労働は学校のカリキュラムに組み込まれていて、自分の祖父や父が加わった戦争の事実を考え、その誤りを認識し、次の世代へと語り継ごうという姿勢がみて取れる。清掃する学生に質問してみても、「もっと前の世代がしたこと、あるいは祖父たちがしたことかもしれないけれど、それを次代に伝えていかなければ」とちゃんと答えられるんです。日本でこんな光景が見られますか?

これから日本も世界に向かって生きていくなら、少し謙虚にならなければと思うのです。地球の裏側で行われている戦争に、イマジネーションだけでも自分を置いてみる。もし自分がその立場であればどうなんだろうと考えてほしい。戦争の向こう側には泣いてる人がいるという想像力を働かせることが大事だと思います。現実の死を徹底して想ってこそ、確実な生が得られる。いちばん感じてほしいのは、今「自分たちが立ってる場所がおかしい」ということ。それが分かれば自分の歩み方が見えてくるし、何かがスタートするのではないでしょうか。
そうした想いを「形」で表現するのが私の仕事。形であれば、翻訳することなく世界中で見た瞬間に分かってもらえる。だからこそ、たくさんの人たちに自分の目で、心でふれてほしい。頭ではなく、皮膚でとらえてほしいんです。そして、あなたが立っている所を考えてほしい。今の生活がこれでいいのかという投げかけを自分にしてほしいと思うんです。経済的に豊かな国はしらずしらずのうちに傲慢になり、平等に分配することを忘れているのではないかと考えてほしいのです。
私はいつも何かがおかしいと思う人間。情報ひとつでも「ホンマかな」と疑問に思い、操作されていないかなと考えてしまう。なぜなら今の日本では、何も見えてこないんですから。

井上廣子(いのうえひろこ)

大阪生まれ。1974年より2年間沖縄で染、織り技法を研究。1998年大阪トリエンナーレ彫刻98でデュッセルドルフ市特別賞受賞し、1999年よりドイツで制作活動。同市の芸術アカデミー等さまざまな文化機関と関わりながら、その後もドイツとの交流を深めている。本文で紹介した個展の他、海外、国内でのグループ展多数。2002年Live-Art Scholarship 2001で優秀賞受賞。

関連キーワード:

一覧ページへ