―――「改革」という言葉にはとてもいいイメージがあります。 閉塞感のある状況のなかでは、とにかく何か説明してほしいという空気があります。「大きな政府か、小さな政府か」「官か民か」「資本主義か社会主義か」・・・単純な二分法で説明されると、わかったような気になりますよね。 ―――確かに・・・。それにしても「構造改革」や「自己責任」が無責任を生み出すというのは驚きです。 大きな事件が起きても、大企業の経営者や官僚、政治家は誰も責任をとらない。逃げ切っていますよね。「官から民へ」と言いますが、不良債権や多くの企業不祥事を見れば明らかなように、この国は「官も民も」無責任体制なのです。その一方で、フリーターは着実に増え続けています。自ら選んでいる人もいるでしょうが、人件費を節約したい企業の思惑もあります。30歳を超えたフリーターが正社員になる率はものすごく低い。このままだと年金未納の高齢化したフリーターは増える一方でしょう。それを彼らの「自己責任」と言い切れるでしょうか。 ―――けれども「構造改革」を支持する人は多いですね。 小泉政権や安倍政権のやり方を見ていると、「現状をぶっ壊してくれるなら誰でもいい」という破壊願望を多くの人がもっているような気がします。誰も責任をとらない社会では、金だけが公正の基準です。金だけは嘘をつかないというわけです。その金を使って既存の仕組みをぶち壊してくれそうな人物を圧倒的に支持する。ホリエモンや村上ファンドはそのあだ花でした。反対する人を「抵抗勢力」として攻撃する。マスメディアも面白おかしく煽る。おかげで仕事がない、生活が苦しい、将来の見通しが立たないなど厳しい状況にいる人ほど、古いものをぶっ壊してくれる“スター”を求めるという皮肉な現象が起きる。 |