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2010/06/22
被害者の人権を考える 『置き去りにされる被害者たち』 (シリーズ1回目)

罪の重さは10分の1にはならない

加害者が少年院を出た日、私たちは息子の位牌を見てほしくて、わが家に来てもらいました。こんな姿でしか会えない聡至の前で「更正します」と誓ってほしかったのです。でも反省どころか、事件がなぜ起きたのかを尋ねても納得のいく返事はなく、暗くて息子の顔さえ覚えていないという子もいて、事件のことはなかったこととして生きようとしてるにしか思えなかった。「自分1人でやったのではなく、10分の1の責任」という意識が強いように感じられました。

いま一度、加害者一人ひとりが事件のことを考え、自分たちがやったことの罪の重さや命の大切さ、親の責任などを裁判で明らかにしたくて訴訟を起こしました。人数が多いことで罪の重さが軽減することも納得がいかず、懲罰的損害賠償も加えました。弁護士さんのもとを何度も尋ねて相談を重ね、迷いに迷っての決断です。お金が欲しくてするんじゃない。少年法の壁があり、事件の真相を知るためには、民事訴訟を起こすしかなかったのです。加害者と同じ地元で生活する辛さは、人にはなかなか理解してもらえません。今も、現実の生活で目にするのは同じメンバーで行動する事件前と変わらない彼らの姿。加害者のうち3人は集団暴行で再び送検されるという事件を起こしているのです。こうした少年犯罪が繰り返されれば、私たちも救われません。

遺影に飾られたネクタイは、由美子さんからの成人式のプレゼントだ

高松さんら遺族5人は事件から2年半後の2000年3月1日、亡き息子の「高校卒業」を機に、「加害者に罪の重さを認識させ、再犯を防止したい」と、少年10人と保護者の計29人を相手取り、一家族あたり約2千3百万円を求める損害賠償請求訴訟を神戸地裁姫路支部に起こした。懲罰的損害賠償2千万円の適用も求めている。認められた場合は、被害者支援のための公的団体に寄付を誓約。また、裁判を通じ、被害者に対する情報公開制度の確立を訴えている。

私たちの子どもでよかったと思ってもらうために

裁判はたくさんの支援者の方に支えられ、進行中です。前回の口頭弁論では、私たちの強い希望が通り、法廷に加害者を立たせ、直接、原告側である夫から尋問できることになりました。事実を知るには、彼らの生の声を聞くしかないんです。「なぜ暴行をやめられなかったか」「なぜ救急車を呼ばなかったか」などの3つの質問だけでしたが、自分たちがやったことを忘れてほしくなかったし、私たちが何を知りたいかを分かってもらいたかったのです。

ただ、加害者の証人尋問が始まってからは、これまで毎回原告席に持ち込んでいた遺影を少年たちの前では伏せるように求められ、傍聴席に置くことになりました。加害者の証言に影響するということからなのでしょうが、この裁判は殺された息子の裁判で、私たち親はあくまでも代理人です。遺影でしか訴えられない息子の思いを裁判官にも理解してもらえず、残念で仕方がありません。せめて加害者と同じ土俵に立たせてほしいんです。

今年1月からは、兵庫県内での犯罪被害者やその家族を支える民間団体「ひょうご被害者支援センター」が神戸市に発足し、私も役員として参加しています。こうした団体に被害者の遺族が加わるのは全国でも初めてのようですが、これまでの辛い体験を活かした支援ができればと考えています。一緒に泣いてあげたり、手をつないであげるだけかもしれませんが、それでいいと思うんです。私たちにもそれが一番必要でしたから。
今もお彼岸やお盆には、聡至の級友たちが「おばちゃん元気にしてる?」とお線香をあげに訪ねてくれます。あの子が生きていれば今年20歳。成人式に遺影と共に参加したら、みんなが「高松を連れてきたんか」と寄ってきてくれました。そういう子たちが私を前向きにしてくれるし、この地元に住ませてくれるんです。私たちは息子の死を無駄にしないためにも、そして、いつか息子に会える日が来た時、私たちの息子でよかったと思われるように、これからもできる限りのことをしていくつもりです。

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