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多民族共生

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2004/07/23
移住連 共住懇の取り組み 外国人と「共に生きる」社会をめざして



山本さん自身は、大久保から少し離れた西新宿でアパート経営をしている。1970年代の後半になると、単身者の日本人に代わってアジアからの留学生が山本さんのアパートに入居するようになった。西新宿では1990年前後、新宿副都心の再開発によって古いアパートや住宅が取り壊されたり、大型マンションに建て替えられたが、大久保地域での住宅環境の変化は穏やかであった。
山本さんは東京周辺の住宅事情が激変するのを肌で感じたという。外国人を敬遠する家主は多いが、山本さん自身に抵抗はなかったのだろうか。
「ビジネスですから、一番困るのは部屋が空くこと。お客さんには変わりないのだから、とにかく入ってもらおうと思いました。家賃滞納で夜逃げされたこともありますが、それは日本人、外国人にかかわらず起こり得るリスクです。他には特に問題はなかったですよ」。


お互いが欠かせない存在になることから

まず受け入れ、接するなかでお互いの実像を知る。「外国人」としてではなく、名前をもつひとりの人間としてつきあえば、理解もできるしコミュニケーションも成り立つ。大久保地域の住民たちも、年数とともにお互いが欠かせない存在になってきたと山本さんは話す。
「研究目的だけでなく地域にも有効な情報提供をしようということで、食文化の調査を1994年から始めました。エスニック・レストランを1軒1軒訪ね歩いたのですが、当初は20店舗ほどだったのが、4回目の調査を行った2000年には軽く100軒は超えています。しかも1990年代前半は同国人相手の小規模な店がほとんどだったのが、今は明らかに日本人をターゲットにした店づくりをしています。一方で地元の商店街では、今や顧客の7割が外国人です。“外国人お断り”なんて言ってたら商店街そのものがつぶれます(笑)。不動産屋さんでも、10年前は“外国人不可”だったのが、“外国人も可”になり、今では“外国人歓迎”です。地域の小学校では1クラスに3、4人は両親のどちらかが外国人である子どもがいるので、言語のサポートをしています。日本人と外国人が一緒にイベントをやる機会も増えています。日本全体で考えればまだまだですが、少なくともこの地域においては“共生社会”といえると思います」
相変わらず入れ替わりは激しいが、ニューカマーの韓国人を中心に定住化も進んでいる。ニューカマーであることを堂々と宣言し、地域でコミュニティを築いていこうとする「韓人会」も誕生した。同時に、出産や育児、教育をどう支えていくかという新たな課題も生まれている。オールドカマ―たちの間では高齢化も大きな問題だ。
「頭が痛い問題は山積しています。ただ、どんな問題に対しても“外国人”とひとくくりにして考えてはいけないと思うんですね。もちろん個別対応には限界がありますが、個人の問題をいかに普遍的にとらえ、方法論や知恵につなげられるかが、共生できるかどうかの分かれ目だと考えています」
大久保はある意味、異色で特別なまちである。しかしそこに住む人々は異色でも特別でもない。山本さんはこうも言う。「手を取り合ってなごやかに話せば理解しあえる、なんて幻想です。場合によっては衝突もしながら、“あいつら、どうしようもないけど、いないとちょっと困る”と思えればいい。生活のなかでお互いが欠かせない存在になることが、共生の第一歩ではないでしょうか」
多くの外国人が日本で働く背景を正しく知り、隣人や同僚として摩擦を恐れずに接する。「共生」とは、そんな当たり前のことから始まる。

●移住連(移住労働者と連帯する全国ネットワーク)
http://www.jca.apc.org/migrant-net/index.html

●共住懇(外国人とともに住むまちづくりを考える)
http://www3.osk.3web.ne.jp/~kyojukon/
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