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多民族共生

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2004/09/10
イラク支援 本当に求められているもの


イラクに親日感情が根付いた理由

・・・学校や病院、町を見て歩かれたそうですが、何が印象深かったですか?

食品などが売られている露天の写真
食料品から雑貨まで、さまざまなものが売られている

子どもが多いことに驚きました。実際、イラクは子どもの多い国で、全人口2400万人のうち、半数の1200万人が15歳以下の子どもたちです。特に首都バグダッドにはおよそ300万人の子どもがいるのではないかと言われています。これは名古屋市の全人口に当たる数なんですよ。
アジア人の私たちはどこへ行っても子どもたちに取り囲まれました。「中国人? 日本人?」「どこへ行くの?」「何しに行くの?」と人懐っこく話しかけてきて、カメラを見ると「写真撮って」とねだります。メインストリートでも路地裏でも、あっという間に10人、20人と子どもたちが集まってきて、「どこから出てきたのか」思うくらい(笑)。
また、サッカーが好きで、小さな空き地で10人ほどの子どもたちがサッカーに興じているのを何度も見かけました。
そんな経験をしたから、私は今、「イラクの○○にミサイルが着弾しました」というニュースを目にしたり破壊された建物の映像を見ると、「あそこには、あのたくさんの子どもたちの『死』があるのではないか」と悲劇的な想像をしてしまうのです。


・・・イラクの人たちはいわゆる親日派が多いと言われていますが、なぜでしょう?

本当に、イラクの人たちは大変な日本びいきであることを実感しました。欧米各国のように中東に対して直接危害を加えた歴史がないこと、戦後の焼け跡から立ち上がって発展を遂げたこと、そして唯一の被爆国でありながら「ヒロシマ・ナガサキ」が見事に復興したことなどがその理由です。また、20年ほど前に日本のゼネコンがイラクに進出した時、とても質の高い建造物をつくったそうです。それだけでなく、家族ぐるみでやってきた社員の人たちの印象がとてもよかったみたいですね。「とても穏やかで勤勉で、約束をしたら必ず守る」という日本人のイメージが今もイラクの人たちの間で語り継がれているみたいです。私も「○○さんのじいちゃんは日本の企業の○○プロジェクトの時に働いてたんだけど、とってもいい現場監督で……」と聞かされました。日本側にすれば、うまくやっていこうというビジネス的な思惑もあってのことでしょうが、モノやお金だけでなく人と人との交流があったのも事実。今思えば、大変な財産を築いてきたんですね。ところが、自衛隊のイラク派遣をきっかけに日本に対するイメージが急速に悪化しています。とても残念ですね。

笑顔のイラク人警察官の写真
イラク人の警察官。カメラを向けると喜んで人なつっこい笑顔を向けてくれた


劣化ウラン弾の被害をもろに受ける子どもたち

・・・さまざまなイラクの現実を見聞きするなかで、医療分野への支援を決めたのはなぜですか?

広島や長崎のことを言われたのが大きかったですね。放射性物質が体内に入り込む(体内被曝する)劣化ウラン弾と、外部被爆の原爆とでは被爆の性質が違うので、日本のノウハウがそのまま活かせるわけではありません。ただ、イラクの人たちにとって、広島や長崎の復興は「希望」なんです。日本という国は、イラクの人たちにとって希望の到達点なんですよ。だとすれば、他のどの国とも違った支援をしなくてはいけないのでは、と考えたのが始まりです。


・・・劣化ウラン弾のことを少しくわしく教えてください。

劣化ウラン弾とは、核廃棄物すなわち「核のゴミ」で作った爆弾です。貫通破壊力が強いため、対戦車砲として湾岸戦争で初めて米軍が大量に使いました。核廃棄物の処理に苦しむ先進国にとっては、核のゴミ処理もできるわけです。人類としての良心さえ踏み越えれば、一石二鳥のありがたい武器です。
けれども、その結果は暗澹たるものです。爆弾として破裂して空中に飛散し、土壌も汚染します。空気や食べ物を通じて放射性物質が体内に取り込まれ、被爆するのです。その結果、湾岸戦争から12年が経ったというのに、今なお、イラクの子ども病院は白血病を中心とした悪性腫瘍の子どもたちであふれかえっています。公式統計としては、湾岸戦争前に比べて4、5倍の発病率ということですが、被害の深刻な南部では10倍以上の発病率になっているところもあるそうです。そして経済制裁で薬が入らないことから、この子どもたちの多くはなす術もなく死んでいくのです。湾岸戦争後に生まれた子どもたちが、湾岸戦争時代に使われた武器によって日々殺されていく理不尽を目の当たりにして、言葉もありませんでした。


・・・'03年のイラク攻撃でも劣化ウラン弾が使われましたね。

古い保育器の写真
ハッサン医師の勤める病院・バスラ母子病院内の保育器。古いうえに保育器としての機能を十分に果たせないが、これを使うしかない

はい。被害は今もなお、拡大しています。私はこの事実を一人でも多くの人に伝えなければいけない、そしてできることをしなければならないと決心して「セイブ・イラクチルドレン名古屋」を立ち上げました。「伝えること」と「助けること」、これが二大テーマです。具体的には、まずイラクのお医者さんたちからリクエストされた薬を送ることにしたのですが、すぐに壁にぶつかりました。
どこでどうやって買うのか、わからない。抗ガン剤ですから素人が勝手に買うことはできません。リクエストされた薬のいくつかが、もう世界標準では製造されていないということもわかってきました。やがて協力してくれるお医者さんたちに出会ったのですが、今度は「抗ガン剤を使った後はどうなるんだろう」と思い始めたんです。
抗ガン剤を使うと免疫力が落ち、体力がなくなります。そのうえ無菌室がなく、衛生的とは言えない病室で他の病気の子どもたちと一緒にいるわけですから、感染症にかかりやすい。抗ガン剤を使ったがゆえに命を縮めてしまうということも珍しくないのです。そこで、イラクのお医者さんたちと相談したうえで、薬を送るのと平行して、イラクの医師と白血病の子どもを日本に迎えるという取り組みを始めたのです。

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