・・・学校や病院、町を見て歩かれたそうですが、何が印象深かったですか?
子どもが多いことに驚きました。実際、イラクは子どもの多い国で、全人口2400万人のうち、半数の1200万人が15歳以下の子どもたちです。特に首都バグダッドにはおよそ300万人の子どもがいるのではないかと言われています。これは名古屋市の全人口に当たる数なんですよ。
本当に、イラクの人たちは大変な日本びいきであることを実感しました。欧米各国のように中東に対して直接危害を加えた歴史がないこと、戦後の焼け跡から立ち上がって発展を遂げたこと、そして唯一の被爆国でありながら「ヒロシマ・ナガサキ」が見事に復興したことなどがその理由です。また、20年ほど前に日本のゼネコンがイラクに進出した時、とても質の高い建造物をつくったそうです。それだけでなく、家族ぐるみでやってきた社員の人たちの印象がとてもよかったみたいですね。「とても穏やかで勤勉で、約束をしたら必ず守る」という日本人のイメージが今もイラクの人たちの間で語り継がれているみたいです。私も「○○さんのじいちゃんは日本の企業の○○プロジェクトの時に働いてたんだけど、とってもいい現場監督で……」と聞かされました。日本側にすれば、うまくやっていこうというビジネス的な思惑もあってのことでしょうが、モノやお金だけでなく人と人との交流があったのも事実。今思えば、大変な財産を築いてきたんですね。ところが、自衛隊のイラク派遣をきっかけに日本に対するイメージが急速に悪化しています。とても残念ですね。
・・・さまざまなイラクの現実を見聞きするなかで、医療分野への支援を決めたのはなぜですか? 広島や長崎のことを言われたのが大きかったですね。放射性物質が体内に入り込む(体内被曝する)劣化ウラン弾と、外部被爆の原爆とでは被爆の性質が違うので、日本のノウハウがそのまま活かせるわけではありません。ただ、イラクの人たちにとって、広島や長崎の復興は「希望」なんです。日本という国は、イラクの人たちにとって希望の到達点なんですよ。だとすれば、他のどの国とも違った支援をしなくてはいけないのでは、と考えたのが始まりです。
劣化ウラン弾とは、核廃棄物すなわち「核のゴミ」で作った爆弾です。貫通破壊力が強いため、対戦車砲として湾岸戦争で初めて米軍が大量に使いました。核廃棄物の処理に苦しむ先進国にとっては、核のゴミ処理もできるわけです。人類としての良心さえ踏み越えれば、一石二鳥のありがたい武器です。
はい。被害は今もなお、拡大しています。私はこの事実を一人でも多くの人に伝えなければいけない、そしてできることをしなければならないと決心して「セイブ・イラクチルドレン名古屋」を立ち上げました。「伝えること」と「助けること」、これが二大テーマです。具体的には、まずイラクのお医者さんたちからリクエストされた薬を送ることにしたのですが、すぐに壁にぶつかりました。 |