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福祉・医療

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2004/07/09
闘う子供たちのために、お母さんの笑顔と安心を上げたい。


悲しみを乗り越えて

一方で梶原さんは陶器の上絵付けという本業があり、奈良の自宅では教室を開き、絵画販売の会社も経営するという忙しさ。しかも、術後、普通の生活ができていた長男も6歳頃から心筋の働きが悪化し、7歳になって医師から心臓移植を勧められていた。移植まですべきなのか否か。延命の方法が他にはないことを知り、1カ月間悩んでやっと移植を決意した翌日、取り返しのつかないことが起きてしまった。風邪の治療を受けた近くの病院での医療ミスで、長男が亡くなってしまったのである。7歳6カ月・・・、あまりに短い人生だった。
梶原さんにとってひとり息子の死は、癒えることのない傷。もう親の会からは手を引こうと心に決め、以前から関わっていた障害者団体「全国心臓病の子どもを守る会」に出席したのが93年。その会場でたまたま目にしたのが、心臓病児特有のチアノーゼでほっぺを紅くしながら無心に歩みよってきた3歳ぐらいの男の子。その姿にわが子が重なってしまった。
「私は、もうこのボランティアからは離れられないと観念しました。わが子と同じ病を背負っている子たちを見捨てられなかったのです」

スタート時からのスタッフとボランティアメンバー

その後97年には施設も6カ所に増え、利用者は2万人を超えた。そして、2000年には法人格を取得し、「特定非営利活動法人サポートハウス親の会」と改名。16周年になる今年、利用者はさらに3万人(400弱家族)を超えた。現在稼動しているのは6施設、スタッフも13人に増え、家族の相談活動などは施設ごとの担当スタッフに任せている。それだけにボランティアとはいえスタッフの人選にも慎重で、実際に病児をかかえたことのある体験者とかに限っているそうだ。  ただ、心臓病の場合はリピーターの家族が多く、施設は3人ほどで一緒に利用するため母親同士でかなりの相談ができるという。定期的にハウスを活用する人の中には10年選手の母親もいて、新しく来る人の面倒もみてもらったり、サポートの側に混ざってもらうこともある。同じ施設で仲良くなって手紙のやりとりをしたり、次の入院の時期を一緒にする人もいるらしい。
最近の朝日新聞での調査で、親の会の利用者に「お金に余裕があったら、ホテルとサポートハウスのどちらを利用しますか」と電話インタビューしたところ、「他のお母さんに助けてもらえるから」と圧倒的にサポートハウスのほうが多かった。その後の学校への進み方など、経験者の話が何よりの指針になるようである。

毎月、自転車操業

これだけ多くの人に貢献しながら、公的助成金はまったくのゼロ、用地提供はもちろん公営住宅の提供もない。つきあいのある企業からの支援のみだ。賃貸契約している6施設の家賃は利用者の宿泊料金でまかなうが、事情をかかえる人のことを考慮して料金は自己申告制としており、光熱費や消耗品費用等も含めると年間200万円前後の不足金があり、企業からの助成金が集まらない場合は梶原さんが自腹を切っての運営となる。
「これはもう国レベルの問題。これまで公的な宿泊施設をと厚生労働省への陳情も続けてきて、私たちはそれができるまでの暫定処置として継続しているだけ。毎年、翌年の見通しがつかないまま不思議にやれているのが現実です」と厳しい実情をあかす梶原さん。

支援方法としては、スタッフ側からは声をかけず、求められれば応えるのが原則。中にはどこまで踏み込んでいいか迷う場合もあるそうだが、あくまでも出過ぎず、自分たちのできる範囲内でとことんやるという姿勢だ。病院での面会時間が午後8時までで、相談にのるのはほとんどが9時以降からとなる。
「私たちの知り得ている情報の中で、戦うための武器は常に並べてあげる。でも何を取るかはあなたであり、戦うのもあなた自身。あなたに代わって私たちが闘うことはないと伝えます」

梶原さんとスタッフの写真

そうとはいえ生死をかけた病であるため、患者さん家族には予想もできないような精神的、あるいは経済的な重い事情があり、頼って来られると、時間や場所など関係なく最後まで対応してしまう梶原さん。さらには厚生労働省への陳情を初め、事務処理や年間のイベント計画など多忙すぎる日々である。
阪大病院に関しては、ソーシャルワーカーと密に行っているのがメール連絡。梶原さんらが施設での様子を見て、部屋がひどく荒れていたり、髪の手入れなど身だしなみがきちんとできていない母親は精神状態が良くないと判断し、そうした状況をすぐさま知らせるためだ。精神的に追い込まれると、自殺などを起こしかねないからである。
ある地方の医師から、「以前は、仮に国立循環器病センターに行けば助かると思った患者でも、親の経済状態を聞いてでなければ安易には勧められなかった。助かる道があれば、親はサラ金に借りてでも行こうとするし、それもできない親は自責の念にかかられることが多いから。でも、サポートハウスができてからは取りあえず行きなさいと言えるようになった」と伝えられたこともあった。

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