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ふらっとへの手紙



ふらっとへの手紙 関西沖縄文庫 vol.3 上原(瀬名波)有紀さん

2013/06/28


「違い」を認めた時、ようやく「居場所」として受け入れられた 上原(瀬名波)有紀さん

沖縄とは何もかも「違う」日常

 生まれ育ったのは沖縄です。大学卒業後、いろいろがんばりすぎてしんどくなり、内地で心機一転しようと大阪に来ました。友だちがいたんです。

 仕事は何でもあると思ってたんですけど、全然ダメでした。10ぐらい応募して全滅だった時はさすがにショックでした。辛うじてひっかかったコンビニでアルバイトしました。

 ホームシックにもなりました。コンビニに行ってもいつも食べてた油みそのおにぎりがないし、冷蔵庫にズラーッと並んでたさんぴん茶もない。沖縄には電車がないので、切符の買い方も乗り方もわからない。駅員さんに聞こうにも、何をどう聞いたらいいのかもわからない。テレビをつけても沖縄で観ていた番組はやってない。ひとつひとつは小さなことでも、私にすれば常に沖縄との違いを思い知らされるわけです。友だちは働いていてなかなか会えないし、一人でいる時間が寂しくて。

 コンビニで働いてた時、5歳ぐらい年下の子に「瀬名波さんの方が年上かもしれないですけど、私のほうが仕事は長いので敬語を遣ってください」と怒られたことがあります。沖縄ではスタッフ同士が年齢や経験に関係なく、友だち感覚でしゃべるんです。だからすごいショックで、泣いてしまいました。内地では友だちでも一線をひいてつきあうみたいな感じがありますね。それがすごく寂しかった。

  「ちゃんとしないといけない」子育てのプレッシャー

 旦那と知り合ったのはその頃です。大阪生まれの大阪育ちですが、お父さんが1世でお母さんが2世。顔は「沖縄の顔」なのに関西弁しゃべるし、ヘンな感じなんですが、一緒にいるとすごく安心できたんですね。家でゴーヤチャンプル食べたり父親が三線弾いたりしてるというのもうれしかった。結婚して子どもが4人生まれました。

 最初の頃は子育てもつらかったですね。子どもを公園へ連れていくと、ほかのママさんたちはみんな自分の子どもをじーっと見て、ほかの子のおもちゃを取ったりすると飛んでいって「ダメでしょ」「ごめんなさいね」と言うんです。沖縄では自分の子もよその子も関係なく見守って、少々のことは気にしないという空気だったので、またとまどいました。「ちゃんとしないといけない」と思うと、周りの目が怖くて外に出られない時期もありました。

 そんな時、地元のお祭りでエイサーをやってたんです。沖縄を出て初めて見るエイサーに「うわーっ」となって、当時1歳だった上の子どもと旦那をつれて、後片付けするところまでついて行って「すみません、私もやりたいんですけどどうしたらいいですか?」って。それが「がじまるの会」との出会いでした。

「違う」ことのしんどさを共有できる喜び

 「がじまるの会」は沖縄の人たちに対して差別がすごくきつかった頃、沖縄の青年同士支え合おうということでできた会です。そこで関西沖縄文庫の金城馨さんとも知り合いました。昔は「朝鮮人、琉球人おことわり」という貼り紙をする店もあったと聞きます。私は差別を感じたことはないけど、「違う」ということがすごくしんどかった。でも大阪で生まれ育った旦那も「おんなじだよ」と言うので、違うと感じる自分がおかしいのかと思うようになりました。結婚して子どもも生まれて、沖縄には簡単には帰れない。大阪で暮らしていくなら「同じ」ところを見つけていかないととも考えていました。

 でも沖縄文庫で金城さんや集まってくる人たちと話しているうちに、「そうじゃないな」と思うようになったんです。mixiで「大阪の沖縄出身のママさん」というコミュニティをつくって、ますますそう思うようになりました。オフ会をして話していると、みんな言葉や文化の違いにとまどったり疎外感を感じてるんですね。それを言い合って「そうそう!」と共感して、自分がおかしいんじゃないんだと確認して安心して帰っていく。それがすごく大きいんです。

 公園でバーベキューをした時、三線弾ける人を呼んでみんなで踊ったら、「久しぶりに楽しかったー」とみんな喜んだんですよ。そのうち「子どもにエイサーさせられるところない?」という声が出てきて、私も含めて子どもに沖縄のことを伝えたいと思うお母さんが多いんだなと。それで小さい子も一緒にやれるわらべ唄で遊びながら子育ての大変さを共有できたらいいなあと思いつきました。今は地域の子育て広場やイベントで沖縄のわらべ唄を唄わせてもらったりしています。

「日本人ではない自分」を再認識して

 私は大阪で暮らし始めてから「日本人」になろうとしたのだと思います。「あそこが違う、ここが違う」と思うほどしんどくなるから。だけど関西沖縄文庫やmixiのコミュニティで出会った人たちと話をしたりイベントをしたりするなかで、「日本人ではない自分」があること、沖縄と日本は違うと思ってもいいんだということを再認識してスッキリしました。今までは「こっちが悪いのか、あっちがおかしいのか」で揺れてたけど、今はみんな違って当たり前だと考えられるんですね。

 以前は沖縄に帰省して大阪に戻ってきた時、「ただいま」と言いたくありませんでした。「ここは自分の居場所じゃない」という気持ちがあったんですね。でも今は「ただいま」と言える。「違い」を認められるようになって、大阪も私の「居場所」となりました。(談・2013年5月31日)