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加害者は許せない だけど死刑には反対です 犯罪被害者の遺族として 原田正治さん

2004/11/19


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 凶悪な事件が起きるたびに「極刑を」という声があがる。「被害者の感情を鑑みて」という言葉とともに死刑を肯定する人も多い。罪を犯せば罰せられ、償うことは当然だが、「死をもって償わせる」ことが本当に「償い」になり、被害者のせめてもの救いになるのだろうか。
  原田正治さん(58歳)は、弟を保険金殺人で殺され、加害者に対する怒りや憎しみを抱きながらも、現在は死刑制度廃止を訴える活動をしている。「加害者の命を奪うことでは被害者は救われない」と話す原田さんに、被害者のひとりとして胸のうちを語ってもらった。

 

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 原田さんの弟・明男さんは、トラック運転手だった。1983年、30歳にして仕事中に亡くなった明男さんは「居眠り運転中の自損事故」とされた。しかし1年3ヵ月後に雇い主による保険金殺人だったことが発覚、以来、当時36歳だった原田さんの人生は大きく変転する。
 自宅に押し寄せるマスコミ、一度は支払われた保険金の返還請求、会社を休んで裁判を傍聴することに冷ややかな会社との軋轢。同じ「被害者遺族」という立場でも、母親とも妻とも少しずつ事件の受け止め方は違う。家庭のなかで感じる孤独。お酒や遊びに逃げたこともあった。

 事件が発覚するとすぐマスコミが押しかけてきました。近くに住んでいたおふくろも当時小学生だった二人の子どもや妻もしばらく家から出られませんでした。僕はなんとか仕事には出ていましたが、帰宅すると物陰にひそんでいたマスコミの人が飛び出してきたりして、事件のことをゆっくり考える暇もありませんでした。
 全国的に大きく報道されたほどですから、地方のちいさな町ではもう大事件です。自分の家を取り囲む空気をとても重たく感じましたし、友達との関係も変わりました。僕のひがみかもしれませんが、それまでよりも一歩ひいた感じで接してくるような。
 返還を要求された保険金も葬式や法要の費用、弟の借金として長谷川君(明男さんの雇用主にして殺害を指示した人物)に支払ったりして(明男さんの借用証がなかったため、原田さんは嘘であろうと推測している)、すでに一部を使っていました。「返還しないと不当利益です」とまるでこちらがだまし取ったような言い方をされて腹が立ちましたが、すぐに返せる当てがなく困りました。行政や弁護士に相談してもきちんととりあってもらえません。おふくろや妻はそれぞれ自分の不安でいっぱいで、相談できる雰囲気ではない。「事件が明るみにならなければよかったのに」とすら思いました。みじめで悲しい思いをすることばかりで、孤独と社会への不信感でいっぱいでした。


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 できることなら自分の手で長谷川君を殴りつけ、思い切り罵りたいと思っていました。それが人情というものではないでしょうか。けれども警察に捕まった後は、加害者は被害者の手の届かないところにいます。たったひとつ、自分の気持ちを出せる場所として、僕は一審の時に証言台に立ちました。「どんな処分をしてもらいたいですか」と検察官に聞かれ、「極刑以外には考えられません」と答えました。実際、当時の僕は「殺してやりたいほど憎い」と思っていました。検察官は僕がそう答えるのを予想したうえで尋問したのだと思います。
 今だから言えることですが、僕は感情に左右されていました。それまで死刑制度のことなんて考えたこともなかったし、裁判の仕組みも知らなかった。まして自分が殺人事件に巻き込まれるなんて夢にも思ってなかったのです。

 加害者「長谷川君」は、逮捕された後も共犯者や金を借りた相手への恨みつらみで凝り固まっていた。しかし裁判の途中で弁護士の影響から洗礼を受け、キリスト信者となる。そして自分の罪を真正面から受け止め、心から悔い、原田さんに謝罪の手紙を送ってくるようになった。裁判は進み、事件から1年7ヵ月後の'85年、一審において死刑判決が下った。
 一方、原田さんは社会からひとり押し出されたような孤独感のなかで、「長谷川君」への憎しみを燃やし続けていた。送られてくる手紙は開封もせずに捨てていた。ところがある時、ふと好奇心がわいて読んだのをきっかけに目を通し始め、時には返事も書くように。そして事件から10年が過ぎた'93年、たった一人で「長谷川君」に面会に行く。憎しみや怒りが薄れたわけではない。むしろ持って行き場のない憎しみや怒りを直接ぶつけたい気持ちが強かった。しかし面会に来てくれたことを素直に喜ぶ「長谷川君」の表情に、フッと肩の力が抜けたという。

 


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 初めて面会に行った時、彼はニコニコしていました。その笑顔を見て負けちゃったんですよ。なぜ面会に行ったのかというと、裁判ではわからなかったいろいろなことが彼から聞けると思ったし、謝罪も直接受けたかったからです。手紙にもいつも謝罪の言葉を書いてきていましたが、やっぱり顔を合わせながら謝罪を受けるというのが一番いいんじゃないでしょうか。長谷川君からは何百通も手紙をもらいましたが、それでも20分の面会の重みにはかないません。表情や話し方、仕草などからいろいろなことを感じ取れるのです。
 だからといって長谷川君を許したわけではありません。情が移ったからと許せるほど簡単な話ではないのです。ただ、彼が本当に「謝りたい」という気持ちをもっているということは感じられました。そして僕自身、彼から直接謝罪の言葉を聞くことで、誰のどんな慰めよりも癒されていくように思ったのです。長い間、孤独のなかで苦しみ続けてきた僕の気持ちを真正面から受け止めてくれる存在は長谷川君だけだと感じたのです。

 しかし「長谷川君」が本当は何を考えていたのかはわからないと原田さんは言う。面会して謝罪の言葉を聞き、ある程度は気持ちが落ち着くという経験をした原田さんの心には「長谷川君には死んでほしくない」という気持ちが芽生えていた。その気持ちを原田さんは「江戸時代の敵討ちでもなく、被害者やその遺族を蚊帳の外に置く近代司法制度でもなく、被害者遺族が心を快復させるための第三の道を探り始めた、と言ってもいいかもしれません」と表現する。
  「死刑とは何か。死刑制度は誰のためにあるのか」。原田さんは死刑や死刑制度について考えるようになっていた。そして「長谷川君」の3審の弁護を担当した稲垣弁護士を訪ね、アドバイスを受けたうえで「(今は)死刑を望まない」と書いた上申書を最高裁に郵送した。「一般論としての死刑廃止ではなく、長谷川君の減刑でもなく、僕が納得するまで彼と会わせてほしい、そのために死刑はまだ執行しないでほしい」という気持ちからだった。
 その一週間後の'93年9月、上告が棄却され、死刑が確定した。「長谷川君」はいつ死刑執行されてもおかしくない「死刑囚」となったのである。本来、死刑が確定すると親族以外は面会できない。死刑囚の「心情の安定のため」とされている(原田さんの場合は被害者遺族という事情が考慮されたのか、確定後も3度だけ面会ができた)。「長谷川君が何を思っていたか、僕のことをどう考えていたのか、どういう希望をもって拘置所で生活していたのか、もっと知りたかった」という原田さんにとって、面会を制限されたうえにいつ死刑が執行されるかわからない状況は納得できるものではなかった。
  原田さんはその後、何度も死刑停止を求める嘆願書を法務省に提出した。'01年には当時の高村法務大臣と直接会って上申書を渡した。しかし大臣と会った数ヵ月後に、「長谷川君」の死刑は執行されたのである。


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 死刑制度を肯定する人たちは、よく「被害者の感情を考えれば、死刑も必要だ」と言います。確かに僕も一時は死刑を望みました。だけど怒りや混乱のなかで、死刑や死刑制度がどういうものなのかも考えたことも知識もなく、感情的になっていたのです。長谷川君と交流するうちに、彼から直接謝罪を受けることが何よりの癒しになることに気づいたから「死刑にするのは待ってほしい」と何度も法務省に申し入れたのですが聞き入られませんでした。
 裁判所や法務省は死刑判決や死刑執行の際に「被害者感情を鑑みて」と言います。だけど「死刑は待ってほしい」と主張しても執行するなら、被害者感情など考慮していないということではないでしょうか。少なくとも僕はそう感じています。
 死刑が執行されてもされなくても、僕の苦しんできたことは消えませんし、弟が生き返るわけでもありません。長谷川君がしたことへの怒りもなくなることはありません。「被害者感情」とは、そんな単純なものではないのです。

 「長谷川君」の死刑が確定してまもなく、彼の息子が自殺した。20歳という若さだった。その数年前には姉も自殺している。いずれも遺書は残されていなかったが、父であり弟である「長谷川君」のことで思い悩んだ末のことと原田さんは受け止めている。
  原田さん自身は'98年に脳出血で倒れ、しばらく車椅子の生活を送った。今も後遺症を抱えている。妻とは離婚し、住み慣れた町を離れてひとり暮らしをしている。「事件」がなければ病気や離婚はなかった、とは言い切れない。しかし多くの人の人生が暗転した遠因であることには間違いないのではないだろうか。「長谷川君」の家族もまた被害者だと原田さんは言う。

 一番悪いのは、長谷川君や共犯者です。だけどそれだけじゃない。今の社会には「排除の構造」があり、いったん事件が起きると被害者も加害者も社会から排除されてしまう。そういう意味では加害者側の家族や親族も被害者だと思うのです。
 被害者も排除されるというのは理解されにくいかもしれませんね。実際に、親族が殺された人が職を失うこともあります。「殺される理由があったんじゃないか」などと言われたりして居づらくなるのです。悲しんでいれば「いいかげんに気持ちを切り替えろ」と言われるし、笑っていれば「もう忘れたのか」と言われる。被害者も孤立させられるのです。
 だけど死刑制度を支持する人は、「悪いことをしたんだから死刑でいい」「被害者の気持ちを考えれば死刑しかない」と言います。それで被害者の苦しみも解決すると思っている。僕が違うことを感じたり、死刑廃止の運動をすると、「被害者のくせして」「被害者なのに」と非難する人も多いです。被害者はひたすら加害者を憎み続け、死刑を支持し、執行されたら気持ちを切り替えなければいけないのでしょうか。
 僕を非難する人に問いたい。「じゃああなたは僕が困っている時に手を差し伸べてくれましたか」「被害者の気持ちがわかるなら、その人たちのためにできることを考え、奔走しているんですか」と。
 今、いろいろなところで話をさせてもらいます。すると死刑制度を支持しながら、ほとんど知識のない人が少なくありません。最低限の知識と、被害者が置かれている状況や気持ちをある程度は知ったうえで議論してほしいと思います。

(2004年11月19日インタビュー text:社納葉子)

■参考図書

book1.jpg 「弟を殺した彼と、僕」
原田正治著 ポプラ社 1500円+税
book2.jpg 「知っていますか?死刑と人権 一問一答」
アムネスティ・インターナショナル日本支部編著
解放出版社 1000円+税