ふらっとNOW

高齢者

一覧ページへ

2000/06/22
介護は長い道のり。適度の息抜きが必要ですよ。


妻はこれまで何度か入院しましたが、1998年の暮れに退院してきた時には、背中に大きな床ずれができ、無表情で文字を忘れ、自分の名前も書けなくなっていました。個室に入れたのが良くなかったのでしょうな。そのことも「僕がそばにいたらなあかん」と思うようになったきっかけです。それからは文字を書かせたり、おはしで豆をつまむ練習をさせたり。最近はゆっくりでも上体を起こせるようになって、床ずれも良くなり、食後は自分で髪をとかし、口紅をつける気力も出てきました。

入院して何でも看護婦さんにやってもらうと、楽なほうに流れていって、気力や活力がなくなってしまう。在宅介護でも大切なのが病人の自立。できることだけでも自分でやるぐらいの心掛けやないとあきませんね。逆に、若い看護婦さんが高齢の患者をつかまえて、命令口調や幼児語で話しかけていることがありますが、赤ん坊と同じじゃだめですよ。高齢者は経験を積んできて、プライドもありますから、それなりの対応が必要です。

まあ介護は長い道のりですから、一人でつきっきりというのでは介護する方も体調を崩してしまう。まわりの助けなしには続きません。介護保険はそのための制度です。介護は家族がして当然という古い考えは捨て、公的サービスを上手に利用すべきだと、国民全体が気持ちを切り替えませんとね。ただ、リハビリや食事の世話は専門家に任せても、心の支えとなるのは家族。家族の役目は心の介護やと思います。僕も家族やヘルパーさんの協力があるから、自分の時間も取れる。現職中はちょっとしんどいと感じた時期もありましたが、今は無理をしないからこそ、介護を一度もつらいと感じたことはありません。おむつが早く取れるように練習して、いつか車イスで一緒に旅行に行きたいですな。市長退任の送別会で旅行券をいただきましたので、利用できることを願っています。

(次回へつづく)


江村利雄(えむらとしお)
前 高槻市長(大阪府)
1924年大阪府高槻市生まれ。摂南工科専門学校(現大阪工業大学)卒業。終戦後より大阪府職員に。22歳で結婚。大阪府で水道部工務課長、水道部技術長を歴任し、'80年55歳で退職。翌年高槻市助役に就任。'84年4月市長に初当選。4期目で在任15年。1年の任期を残し、'99年4月30日付で退任。著書「夫のかわりはおりまへん 高槻前市長の介護奮戦記」(徳間書店)を12月刊行。
12
関連キーワード:

一覧ページへ