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僕は水平社宣言の執筆者、西光万吉さんと逢ったんだ 永六輔さん1

2001/02/02


「田之助が手も足もなくなってからでさえ、なお舞台に立ったという事に強く心をひかれて、彼を描いた。これは田之助のすべてではないが、彼の命の中に光っている人間の一部だと思っています・・・」
そんなふうに聞いたことを鮮明に覚えています。
水平社運動のリーダーだった西光さんは、3・15事件で服役、獄中転向を表明して、戦後は解放運動の第一線から退かれていた――と後で知ったのですが、僕は何もかもうまくいかなくなったご自身の晩年の思いを田之助に重ねて書いていらっしゃったんだなと思った。

水平社宣言については 「みんな“人間(にんげん)”と読むけど、あれは“じんかん”と読むんですよ」 と言われたことも印象に残っています。人に個別 に光があたるんじゃなくて、人と人の間の万物すべてに光があたることで、人と人が平等になるという意味だ、と繰り返しおっしゃった。なるほどな、と思いましたね。万物すべてへの“やさしさ”を持ってらした方だという印象は、後に住井すゑさんから聞いた「男として一番好きな人は西光万吉」という言葉とも重なりました。
リバティおおさか」に西光万吉資料室ができ、各地で「西光万吉展」が開かれるなど、彼を見直そうという昨今の動き、とてもうれしいですね。

「河原乞食」「役者風情」なんて言葉が今も残っていますが、日本の芸能のルーツは部落芸能です。澤村田之助もそう、放浪芸、地芝居、大道芸能もそう。社会問題と芸能史、部落史は無縁ではないんです。差別の歴史の中で発展したりすたれたりしてきた芸能について考え、また世界中で現実に起きている差別について考えるにつけ、「ああこんな時に、西光さんならなんておっしゃるだろう」と思うことが多々あるんです、僕には。


次回へつづく)

永六輔(えいろくすけ)
随筆家、作詞家、放送タレント。
1933年、東京・浅草生まれ。学生時代にラジオ番組やテレビ番組の構成に関わって以来多方面に活躍。「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」などの作詞を手掛ける一方で、各地の芸能を訪ね、尺貫法など日本の文化を守る運動も行い、今も1年のうち300日以上は旅暮らしが続いている。『大往生』『芸人』『職人』『商人』(以上、岩波書店)など著書多数。