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2001/12/19
シリーズ結婚差別1 なぜ私を拒むのですか



あまりにも犠牲の大きな結婚

2度目の駆け落ちは真夏に決行された。
「もう失敗は許されないと思いました。今度彼女を帰したら本当に会えなくなっていたでしょう。周到に計画を立てて実行しました。もう、それまでの生活の何もかもを捨てるつもりで・・・」
祐子は友人に会う、といって家を出た。
「真夏の炎天下に3枚洋服を重ね着して(笑)。本当に、持って出たのはそれだけです。でも、何もないと思っていたアパートには、お義母さんがお米まで用意してくれていて・・・・うれしかったですね」
祐子は両親の前から姿を消し、和男も翌日から職場に姿を見せなくなった。
2人の結婚生活は家族と断絶し、職場を失ってはじまったのである。
パートナーの一方が被差別部落出身者というだけで、あまりにも大きな犠牲をはらわなければならない結婚だった。

現在、祐子と子どもたちは実家との交流がある。
かつて和男も子どもたちとともに祐子の実家に出向いたが、玄関先で「君はこの家に入ってもらっては困る」と拒否された。何度かそうしたことが続いて、和男の足も自然と遠のいてしまった。また、毎年の年賀状は祐子と子どもたち宛で、和男の名前だけが記されていない。
「ただ、本当に夫を憎んでいるかというと、そうでもないんです。子どもたちには、よく父親の様子を聞いているみたいですから。気にしていると思います。」

家族をつなぐ、子どもたち

孫とのふれあい 夫妻がほんの少し、変化のきざしを感じたのはこの正月のことだった。
2001年、元旦の年賀状には祐子と子どもたちとともに和男の名前があり「こんどまたみんなで遊びに来てください」と記されていた。
話し合いを働きかけようにも、その隙さえあたえてくれなかった義父が「みんなで」と呼びかけている・・・。
和男は、この変化は単に時間の経過だけではなく、子どもたちのおかげではないかと感じている。2年前、長女の小学校の授業で、どうしても両親の結婚のいきさつについて語らなくてはならない事があった。同和教育、部落解放についてはしっかりと教えてきたが「なぜ、お父さんはお母さんのおじいちゃん、おばあちゃんの家に行かないのか」ということについては、一言もふれてはいなかった。
両親は長女に結婚当時のすべてを語り、そして最後にこうつけ加えた。
「結婚を反対したおじいちゃんたちが悪いように思うかもしれないけれど、そうじゃない。素敵なお母さんを育てたおじいちゃん、おばあちゃんもすばらしい人なんだよ」
いけないのは部落差別。
差別される人には悲しみと傷みがともない、差別する側の人々もまた人の尊厳を傷つけるという罪を犯してしまう。差別は誰も幸せにしない。
父が語った言葉は娘を通じて祖父母に伝わっているにちがいない。
素直で人を思いやる子に育った子どもたちこそが「この結婚は間違っていなかった。2人は部落差別を乗り越えた」というメッセージになっているのだろう。和男は、そう思っている。
しかし、それにしても1人の被差別部落出身者を「娘の夫、孫たちの父親」として受け入れるのに15年とは・・・あまりにも長すぎる歳月である。この間、祐子の両親も決して幸福な時間を過ごしたわけではないだろう。<シリーズ第一回 終わり>

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