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2004/08/27
お産の「心」と「技」を残したい


絶滅寸前の「技」に危機感を覚えた

・・・こだわるも何も、身近でお産やあかちゃんを体験したことがないから「よくわからない」というのが正直なところ。そこへ選択肢をバッと並べて「さあ、どうします?」と問われてもとまどってしまいますね。わかりやすい「快適」や「最新の設備」に目が向くのももっともです。熊手さんご自身は3人のお子さんを助産院で出産されたそうですが、なぜ助産院を選んだのですか?

最初の子どもを産んだのは21歳の時でした。夫となる人とつきあい始めて1ヶ月で妊娠、しかも彼は当時、南極観測隊員で、婚姻届にサインしてそのまま南極へ。私は思いがけない妊娠と結婚にとまどいながら、さらにひとりでお産を迎えなければならなくなってしまいました。何もわからないから、大きな病院なら安心だろうと最初は総合病院の産科に通っていたんですよ。そんな時、おなかのあかちゃんが逆子(※1)であることがわかったんです。そしたら保健センターのおっぱい教室で知り合った人に、「その病院は逆子なら帝王切開(※2)で、2週間の入院中、あかちゃんにはミルクを飲ませるのよ」と教えられたんですね。
何もわからないながら、あかちゃんには母乳を飲ませたいとは思っていましたから、その話を聞いて焦りました。そこで、おっぱい教室で母乳の講義をしていた助産婦(師)さんに相談したんです。その人の助産院にいくと、手取り足取り逆子を直す体操を教えてくれました。おなかに手を添えてあかちゃんの頭の位置を確認したり、おなかに声をかけてくれたりしながら。病院では「逆子体操」の説明図を一枚渡されたきりで、逆子のリスクも産後の説明も何もなかったから、親身なケアがうれしかったです。でも逆子が直ると、また病院へ戻るんですよ。「やっぱり産むのは病院だ」と(笑)。ところがまたすぐに逆子になるんです。そしてまた助産院へ。直ったりまた逆子になったりと、同じことが3回ありました。そうこうするうちに、「この人のところで産みたい」と思うようになったんです。今思うと、子どもに引っ張られていったような気がします。私の意志というより、子どもの意思を感じますね。

逆子(※1)
胎児が母胎内で頭を上にした、本来とは逆の姿勢になっていること。分娩時は脚部から先に出ることになるため、肩でひっかかり難産になりやすい。

帝王切開(※2)
子宮壁を切開し、胎児を取り出す手術法。難産に場合に行われる。


・・・そうして迎えたお産はいかがでしたか?

イメージ写真(天使) 夫はいなかったけど、両親や友人たちに囲まれてお産をしました。みんなが交代で背中をさすってくれたんですけど、助産婦(師)が触れると全然違うんですね。ものすごく安心するんです。陣痛の波がきても、目を見ながら一緒に呼吸をしてくれたからパニックにならずにすみました。私の助産婦(師)は、甘えたことを言うとビシッと活を入れてくれる人なのですが、お産の時はとても優しかった。無事に生まれた後、「まきちゃん、がんばったね! えらかったね」と褒めてくれてうれしかったのもよく覚えています。もちろん母乳もしっかり飲ませることができました。2人目、3人目の時は夫や上の子どもたちと一緒にあかちゃんを迎えました。夜は助産院の和室でみんな一緒に寝たんですよ。

・・・「私の助産婦」ですか。そう言える関係があってこそ、安心して体を委ねられるんでしょうね。

私、出産するまでは子どもが嫌いだったんです。だから妊娠したことも後悔してたんですね。だけど妊娠中に助産婦(師)からお産や母乳の不思議なメカニズムを聞くうちに、ふくらんだおなかがいとおしくなりました。お産の後も、子どもへの愛しさと自分への誇らしさで満たされていました。
だから公園で他のお母さんたちとお産の話をしていると、助産婦(師)を知らなかったり母乳育児じゃない人が多くて、みんな会陰切開(※3)をしていて母子別室だった……と、私とはまったく違うお産をしている人ばかりなのに驚きました。そして「いいお産ができてよかったわ」という感じじゃない。同じ日本なのに、この違いは何だろう。
キーポイントは、やっぱり助産婦(師)なんですよ。いいお産もそうでないお産も。私は本物の助産婦(師)のケアを受けられて本当によかった。でも一方で「もしかすると助産婦(師)ならではの技術って、もう絶滅寸前のトキのようなものかもしれない、繁殖させないとなくなるぞ」という危機感も覚えたんです。女性が健康で順調な妊娠期間を過ごせたら、薬も機械も使わずに、産む人の力を最大限引き出せるよう、研ぎ澄まされた五感でお産をサポートする技術が日本にはわずかながらある。この技術を次世代まで残したい。それがお産と助産婦(師)の”応援”を始めたきっかけでした。

会陰切開(※3)
分娩時に、外陰部と肛門との間を切開すること

 

個々のリズムや個性を無視したシステム

・・・昔はお産といえば、そういうものでしたよね。なぜ病院で産むことが主流になったのでしょうか。

病院で産み、母子別室であかちゃんは新生児室へ、というシステムは敗戦後にアメリカから持ち込まれたんです。同時に産婆さんや鍼灸師といった東洋医学的な専門家は医療の現場から追い出されてしまった。こうした一括管理は合理的で衛生的だとされてきましたが、実際は弊害のほうが多いんです。
イメージ写真(時計) たとえば授乳時間は3時間おきって決められていて、決まった時間になるとお母さんたちがドッと新生児室に来ておっぱいを飲ませます。だけど生まれた時間も違えば体質も違うし、全員が3時間おきにおなかが減るわけじゃない。なのに3時間おきのペースからちょっと外れてしまうと、飲まない、おっぱいが足りないと判断されてすぐにミルクを与えてしまう。すると今度は授乳時間にはおなかが空いてなくておっぱいを飲まないから、母乳が出なくなる。新米のお母さんは隣りのお母さんと比べて「うちの子はおっぱいよりミルクが好きなんだわ」「母乳が出ない私は母親失格だわ」と自分を責めてしまいます。
おむつの世話も沐浴もサービスでやってくれるんだけど、退院後はとまどうことばかりでパニックになることも・・・。練習してこなかったからわからないんです。産後の一週間ってほんとは「合宿」の気持ちで見守ってもらいながら親子で“練習”しないと、その後がスムーズにいかない。生まれてからずっと一緒にいて、「確かにこの子は私の子」「この人は自分のおかあさん」と体いっぱいにインプットされて、お互いのリズムがいい具合に合ってきた状態で退院すると、育児のストレスもそれほどないようです。だけど、そういうリズムをガッチャガチャに壊しちゃってる医療現場がまだまだ存在しているんですよね。大きな勘違いをしていると思います。

・・・熊手さんは、女性に人間らしいお産を取り戻し、助産婦(師)に本来の役割を取り戻そうと活動するグループに入り、イベントの開催やニュースレターの発行をされてきました。個人でも『お産とおっぱい・子育て応援団通信 くまでつうしん』を5年にわたって発行し、2001年には200人以上の母親の声を集めた『だから日本に助産婦さんが必要です』という冊子を編集・発行されたんですよね。助産婦(師)の“本物のケア”に感動したのはわかるのですが、そこまで熊手さんを突き動かすものは何なのでしょうか。

自分の子どもたちの世代に助産婦(師)の技を残したいという思いと、お母さんたちの「涙」かな。子どもは無事に生まれて育っているし、自分も元気だけど、悲しい記憶をずっと抱えている人がごまんといるんです。「何を言っても聞こえないフリをされた」「太ももを叩かれた」「一生懸命絞ったお乳を流しに捨てられてしまった」「そんなおっぱいじゃダメねと言われた」など、ずっと忘れようと心の奥に押し込めていたことが、人の経験を聞いているうちにぶわーっとこみ上げてくるんですね。泣きながら話す人も多くて、被害者とまでは言えない「プチ被害者」がたくさんいることを活動のなかで痛感しました。だけど口に出すと、周囲から「無事に生まれたのにぜいたくだ」「わがままだ」と言われて、また気持ちがペシャンとつぶされてしまう。だけど、そういうとんでもない言動がどれほど産む力を損なっていくことか。そういうお母さんたちの涙を見るにつけ、腹が立つんですよ。その怒りがまた私の背中を押す(笑)。だから、自分の感動と、怒りからくるパワーの両輪でこれまでやってきたんだと思います。

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