――たとえばどんな文章が書かれたのですか? ぼくがまだ寿町に来て1年も経っていないころ、梅沢小一(うめざわ・こいち)さんという人に出会いました。生活が厳しく、尋常小学校の入学式にはお姉さんのお下がりのスカートをはいていったそうです。入学式から教師や子どもたちから排除され、自分を守るためにケンカに明け暮れ、勉強に身を入れるどころではなかったのです。 ――梅沢さんにとっては「おかあさん」ではなく、「おかさん」だったんですね。 梅沢さんの叫びを聞いて、ぼくは自分のなかに根づいていた「学校教育」が終わったと思いました。ぼくの受けた学校教育とは、「おかさん」を「おっかさん」や「おかあさん」と訂正して返すことでした。ぼくも識字を始めた当初はそうしていました。だけど言葉には、その人が生きてきた歴史そのものがあるんです。学校教育は「共通語」によって言葉の「地ならし」をしてしまいますが、識字の言葉は地ならしのできないものです。もし識字の場で地ならしをすれば、それはその人の生きてきた歴史や大切にあたためてきたものを無残に踏みにじることになります。残念ながら日本の学校教育は、そんな教育だったとぼくは思います。 ――大沢さんは教える側のようでありながら、教えられたこともたくさんあったのですね。 教えられることばかりです。梅沢さんに対しても、「この人はまだ長文は書けない」という偏見をもっていた。とんでもない話でね。ぼくは自分の母親のことをあんなふうには書けません。梅沢さんの「おかさん」をきっかけに、ぼくは自分の識字そのものを変えました。漢字や文章に手を入れることは一切やめたんです。訊かれれば答えますが、それ以外のことは何もしません。「識字だから文字や文章をきちんと教えないとダメだ」と何度も言われましたが、「整った」文字や「すわりのいい」文章を見たいとは思わない。その人そのままの文字や文章と出会いたいんです。 ――識字に対する考え方もいろいろあるのですか? 真理はひとつだと思うのですが、現実には先に述べたような学校教育の差別的な部分が識字の世界にもちこまれています。ぼく自身は教師ではありませんが、多くの識字の現場では学校の教師たちが中心となって担っています。昨年(2004年)の全国同和教育研究協議会・大阪大会識字分科会で、「習熟度別に学習内容を検討していく」と発言した奈良の報告者がいました。書かれている内容、すなわちその人がもっている固有の世界や文化、背景よりも、文字獲得の習熟度別に分けて「指導」していこうという傲慢な発想です。 ――しんどいものを抱えて生きてきた人たちと信頼関係を築くのは簡単なことではないと思います。大沢さんはどんなふうに関係をつくってきたのですか? 確かにぼくという人間を信頼してもらうまでには時間がかかります。寿町にもこれまで何人かの学校教師などが識字学校へ来たのですが、ちょっとやっては理由を説明することもなくどこかへ行ってしまうという状況でした。だからぼくも「どうせすぐにどこかへ行くんだろう」という目で見られていました。それは仕方ない。彼らだって信用しては裏切られてきたわけですから。「ぼくはここで一生、識字を続けるよ」と言いましたが、とても信用できなかったでしょう。 |