「困ったら、いつでも相談においでや」
24歳からは弟の自立に役立てばと、一緒に書道家に師事。意外にも筆を握ると無心になれたという。書の道でも頭角を現した康さんは、2年後には実家で小さな書道教室を開くまでに。90年には在日の書道家を集めた「高麗書芸展」で最優秀賞を受賞。50人ほどの生徒で始めた教室は、さまざまな境遇の悩みをもつ人々も集まるようになり、150人に膨れ上がった。虐待を受けた女性、就職差別を受けた若者、行き場のない精神障害者・・・。 1992年、同胞企業にマンションの一室を提供されたのをきっかけに「あらゆる人が利用できる文化交流の場に」と「コリア文化ホール」をオープン。書道教室を軸に、手話教室や野外ハイキングなどを企画し、民族や障害の壁を超えて多くの人が集まれる場所になった。 立ちはだかる資金不足翌1995年に起きた阪神・淡路大震災で、ボランティア活動はさらに拡大していく。韓国民団と朝鮮総連の協力態勢を仲介しての被災地での合同炊き出しをはじめ、救援物資の供給、訪問介護・・・。お年寄りを励ますために全国の小中学生との文通支援も行い、手紙のやり取りをつづった文集も作成して2万部を配付。ほとんどの支援が薄れつつある今も、協会は訪問介護を続けている。 協会の登録ボランティアは有名タレントなども含め5,000人を超えるまでになったが、3年前思いもよらない事態に直面した。部屋を提供してくれた会社の倒産で立ち退きを求められ、活動の場を縮小せざるを得なくなったのだ。そのうえ、幼い頃から支えてきた弟が他界。康さん自身も持病のリウマチが悪化して、自宅療養となってしまう。 |