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えん罪「布川事件」 桜井昌司さんに聞く

2011/07/28


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布川事件とは
 1967年8月30日朝、茨城県北相馬郡利根町布川の民家で、一人暮らしの男性が殺害されているのが発見された。警察は、目撃証言などから犯人を「2人連れの男」とし、強盗殺人事件として捜査を進めた。

10月10日、当時20歳だった桜井昌司さんが逮捕される。友人のズボン1本を盗んだ「窃盗」が理由だった。しかしすぐに布川の強盗殺人に関する調べに切り替えられる。身に覚えのない桜井さんは否定したが、連日長時間にわたる取り調べを受けた末に、知人の杉山卓男さんとともに男性を殺害したという虚偽の自白をしてしまう。取り調べのなかで、桜井さんは「杉山はおまえと一緒にやったと言っている」と嘘を言われ続けていた。

 警察は、桜井さんと同い年の杉山さんにも早くから疑いの目を向けていた。9月下旬に逮捕状が出され、10月16日に杉山さんも逮捕される。以来、1996年に仮釈放されるまで29年もの間、2人は無実の罪で囚われ続けた。

 長い長い闘いの末、2011年5月24日に出された再審判決は無罪だった。判決文では捜査段階の自白の内容について多くの疑問が指摘された。また、2人の自白以外の客観的証拠がないことも指摘されている。なぜ、このようなことが起きたのか。過ちを繰り返さないために何が必要なのか。当事者の一人、桜井昌司さんに話してもらった。

 ※インタビューは再審判決前の2011年5月12日におこなった。

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——いきなり警察官が来た時は驚かれたでしょうね。

 いや、恥ずかしい話なんですけど窃盗行為はやっていたので、いつかは逮捕されるかもしれないという思いはあったんですよ。でも実際に逮捕されると、窃盗についてはほとんど訊かれず、強盗殺人一辺倒の調べでした。「アリバイを聞かせてくれ」と言われた時、ちょっと疑われてるのかなとは思いましたが、「やってないんだから、そのうち思い出せるわ」と簡単に受け止めてたんです。

 アリバイを訊かれて、兄貴のアパートに泊まったことを思い出しました。それを言ったら、次の取り調べの時に「おまえの兄貴に確認したら、来てないと言ったぞ」と。当時は毎日あちこちをブラブラしてたから、じゃあ自分の記憶違いなのかなと思ってしまった。
本当は、兄貴のところに行ってアリバイを確認したかどうかもわかりません。今でも、警察が嘘を言うわけがないと思っている人はたくさんいると思います。まして人殺しの罪を調べる過程で、取り調べる人間が嘘を言うなんて誰も思いませんよね。自分もそう思い込んでいました。

 そして10月15日に嘘発見機にかけられ、「これがおまえの嘘を証明した」と言われて、「やってない」と言い続ける心が折れちゃったんです。

——杉山さんのことは犯人だと思い込まされていたんですね。

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 そうです。別々に逮捕されて、お互い「あいつはやったかもしれない」と思っていた。だって事件現場を通った人が道路に立っている杉山を見たと言っているというんですから。「おまえら、見られてるんだ」と言われたら、自分は違うけど杉山はいたんだと思うじゃないですか。それは警察の嘘だったんですけどね。
 今でも強烈に覚えているんですけど、昭和42年10月27日の夜、はっきりと思い出したんです。事件当日の夜、やっぱり兄貴の部屋に泊まっていて、兄貴と仲がよかった杉山もいて、一緒に飲みに行ったんです。本当のことだから、いったん記憶がよみがえると、次々思い出す。でもなかなかそれを言い出せませんでした。

 いったん「やりました」と認めてしまえば、取り調べ官との関係は穏やかになるんです。ところが、否認すると対立関係になる。「やっただろう」「いや違う」と、けんかみたいな感情のなかで向き合わなくちゃいけない。人間って、そういう感情に長時間向き合うことに耐えられないんです。あの感情に戻るのかと思うとなかなか言いづらかった。

 留置場には布団がなくて、毎晩布団を入れるために立会人が来ます。警察官なんですけど人当たりのいい人だったので、「実はアリバイを思い出した。俺はやってないんですよ」と言ったら驚いて、また看守のいる部屋にあげられました。そこで改めてアリバイを説明して、「ああこれでちゃんと調べてもらえば、俺の疑いは晴れる」と思ったんです。ところが翌朝、「昨日おまえが言ったアリバイを全部調べたけど、嘘だったぞ」と。これは絶対調べていないとわかったので、「わかりました。実は有罪になるのがイヤで」とか何とか適当なことを言いました。

——どうしてですか?

 もう警察は信用できないから、検察で話そうと考えたんです。検察官ならきっと聞いてくれるだろうと。それで検察庁に身柄を送られた時、担当になった検察官に無罪を主張しました。その人はちゃんと聞いてくれ、否認調書をつくってくれた。そして最後にこう言いました。
 「この否認調書は裁判で認否が争われることになったら出すから。ただし、起訴するかどうかはぼくの一存では決められない。そして裁判になれば、ぼくは原告で君は被告という立場になる。もし君がやっていないなら、やっていないと言い続けなさい。有罪になれば、君は死刑か無期だよ。そうなれば大変だ。裁判になったら、とにかくやっていないと言い続けなさい」

 うれしくてね。言ってよかったと思った。ところがその後、また警察に戻されたんです。そして「おまえの言ってることは検察官は信じていない。おまえの根性がひねくれちゃって、それを直せるのは俺しかいないと言われたから身柄を引き取りにきた。本当のことを言え」と。そこでまた「本当にやってない」「いや、違うだろう」の繰り返しです。

 最終的には、「俺はおまえのためを思って言ってるんだ。今までいっぱい自白調書を作っただろう。あれがおまえが犯人だという証拠だ。おまえはもう犯人になるんだよ」と言われました。そう言われちゃうと、「ああ、そうなっちゃうのか」という気になってしまうんですよ。それでまた4日目に「やった」と言ってしまったんです。

 自分の場合は、最初に「やった」と言った心境と、アリバイを思い出した後にもう一度「やった」と言ってしまった心境、検察庁から逆送されて「やった」と言った心境はそれぞれまったく違います。最初は、毎日長時間「おまえがやったんだろう」と同じことを言われるのに疲れてしまって、「もういいよ、どうせいつか無関係なことがわかるんだから」という気持ち。2回目は「警察は信用できないから何を言っても無駄だ。ここは認めておいて、検察で本当のことを言おう」と思った。最後は、「自白調書が証拠になって、自分は犯人にされてしまうんだ」という恐怖です。警察は「素直に認めないと裁判官の心証が悪くなって死刑になるんだよ」と言うんです。その時になって初めて現実感がわいてきて、死刑になりたくない一心で「やった」と言ってしまったんです。

 人殺しをやってない人が「やった」なんて言うはずがないと多くの人は思うでしょうね。自分だってこういう立場になるまではそう思っていました。でも留置場という特殊な空間に入れられて、毎日何時間も同じことを聞かれ続けると、そういう心理になっちゃうんです。留置場って、非常に怖い場所です。

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——桜井さんも杉山さんも裁判では一貫して無罪を主張しましたが、判決は無期懲役でした。

 判決を言い渡される時、心臓が耳の横についてるみたいに「ドックンドックン」と鼓動が聞こえるんです。「あ、有罪だ」と思った瞬間のことは忘れないですね。

——控訴も上告も棄却されますが、一方で支援者も現れましたね。

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 日本国民救援会というのがあると教えてもらって、手紙を出したんです。最初は信用してませんでした。損得抜きで正義を貫こうとする人がいるなんて信じられなかったんです。でも救援会の人たちは自分と杉山を信じてくれた。そういう人たちがいたというのは大きかったですね。信じてくれる人がいなかったら、刑務所のなかで挫折していたかもしれない。

 もうひとつの支えは、杉山の存在ですね。事件のあった夜、兄貴のアパートで会ってますから、お互い無実であることを知ってるんです。彼の存在はとても大きいです。

 支援してくれる人たちに出会ったおかげで、刑務所で本を読んだり詩を書いたり、作詞作曲をしたりしました。特に本はむちゃくちゃ読みましたね。それまで活字を読むといえば芸能雑誌とかスポーツ新聞ばっかりでした。川口松太郎、山本周五郎・・・住井すゑさんの『橋のない川』では目を開かれました。興味がどんどん広がって、しまいには宇宙科学、量子力学の本も読みました。

 体も鍛えました。腹筋や逆立ち懸垂を毎日欠かさずやったし、野球は看守に「おまえ、刑務所に野球をしに来たのか」と言われるぐらい、はつらつとしてやってましたね。
 もともとは怠け者で意思が弱いんです。でも29年も拘束された生活のなかでは、自分をコントロールしないと耐えられなかった。

——自分をコントロールするとは?

刑務所では常に行動を指示され、管理されます。でも言われたからやるんじゃなくて、「自分がやるんだという思いでやろう」と考えました。仕事も運動時間の行進も、「させられる」んじゃなくて、「俺の意思でやるんだ」という意識をもつ。重い物を持たないといけない時はなるべく重たいものを選ぶんです。運動時間は1日30分ぐらいしかないから、運動のつもりでなるべく体に負荷をかけた。仕事も、それまで真面目に働いたことがないから刑務所で真面目に働こうと思った。

 すべて前向きにとらえて、「自分がやるんだ」という思いで生きてきた。それが自分で自分を律する力を育てたのかもしれないですね。

——辛い時はどうされたんですか?

独房は3畳間で、畳が2畳で、窓際の1畳分は板張りです。半分がトイレで囲いがある。もう半分は洗面場です。窓には金網が張ってあります。そして土日はお風呂の時ぐらいしか出られません。

 飛行機なんかが飛ぶと音が聞こえてくるんです。「ああ、見たい」と思うじゃないですか。だけど見られないと思った瞬間、「外に出たい」と強く思う。頭が爆発しそうになるんです。気が狂うんじゃないかと恐怖でしたね。そういう時は目をつぶって、「頭の上には空がある、空がある」と自分に言い聞かせて気持ちを鎮めました。

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——20歳で逮捕され、29年もの間、拘束されたことについてどんな思いがありますか?

 みなさんよく「空白」と言われるけど、空白という意識はないんです。空白って何もないことじゃないですか。でも自分の29年には蓄えたことがたくさんある。耐えるなかで培ったこともあるし、ああいう環境だったから詩も書けたし、作詞作曲もして思わぬ作品も生まれた。得たものを考えたら、どこにも無駄な時間はなかった。29年の蓄えがあって、50歳というちょっと遅いスタートだったけど、そこから自立生活を始めたということです。

——ご自身の経験から、えん罪を繰り返さないために何が必要だと思われますか?

 警察の問題と検察の問題の2つがあります。裁判上で一番ネックになるのは検察の問題で、検察官がすべての証拠を独占し、彼らが選んだ証拠しか見られないことです。いったん有罪と決めたら、有罪につながる証拠しか見せなくていいという今のシステムが裁判で誤判を生む最大の原因だと思っています。最低限、証拠をすべてリスト化する、あるいは弁護士が求めたものはすべて公開するというシステムにしなければ不公平です。ぼく自身は、公判前整理手続きで検察側が証拠を提示しながら有罪の判断理由を説明し、その証拠に対して弁護側が答弁を考えるというのが一番公平なのではないかと思います。

 警察の問題は、何といっても取り調べの可視化です。まず、23日間も認められる勾留期間は異常です。長時間拘束して精神的なプレッシャーを強く与えるなかでえん罪が生まれるわけです。そもそも警察の仕事は犯罪があったかなかったかを調べることなのに、今は反省や謝罪までさせようとする。警察の役割や取り調べのシステムを変えることでかなりえん罪の危険性は減るんじゃないかと思っています。

——もうすぐ再審の判決が出ますね。

ただ、今度の震災で裁判に関する認識がちょっと変わりましたよね。あんな膨大な自然の不運に遭った人たちを前にすると、自分たちなんかたいしたことないと思う。不運の質が違う。ボランティアに行きましたが、何にもなくなったまちで呆然と座り込んでいる人たちを見ると、言葉のかけようがない。

自分はアンラッキーだけど、アンハッピーじゃない。むしろハッピーだと思ってます。不運がその人を不幸にするかどうかは別。不運のなかに不幸があるわけじゃないんです。だから不運を嘆く必要は何もない。

 人間は最後は一人だってことを意識しなきゃだめです。自分がやるんだという意識というか。日本は政治も行政も「お上がやるもんだ」という意識が強すぎるでしょう。自分がやるんだということをもっと意識して生きてほしい。自分が行動することによってすべてが始まるんです。
 判決は無罪だと確信しています。それからがちょっと大変なんです。一応、ヒーローじゃないですか(笑)。人の見る目も変わってくると思うし、自分も俗物だから調子に乗ってしまうかもしれない。人生、100%の喜びなんてないですよ。でも支援してもらったありがたさがあるから、これからは制度を変えて、今えん罪で苦しんでいる人たちを一人でも救えたらと思っています。自分の使命はそれしかないですよね。

取材・構成 社納葉子

 

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『ショージとタカオ 14年間の記録』

ふとしたことから布川事件を知ったフリーランスの映像ディレクターが自らカメラを持ち、桜井昌司さんと杉山卓男さんを14年間にわたって撮り続けたドキュメンタリー映画。29年間獄中にいた2人がとまどいながら社会復帰していく過程は切なくもたくましい。人が生きていく重みをズシリと感じる作品。
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『獄中詩集 壁のうた 無実の二十九年・魂の記録』

無実の罪で服役することになった桜井さんは、日々の記録をノートにつけていた。また、200編近い詩も生まれた。29年におよぶ獄中生活の記録の一部と詩に朗読CDがついている。桜井さんの心の軌跡が伝わってくる。