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相模原事件から考える 立命館大学大学院先端総合学術研究科教授 立岩 真也さん

2018/02/15


国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議では毎年様々な切り口で人権をテーマにした「プレ講座」を開講している。2017年度のプレ講座では、「部落差別解消推進法」と「障害者差別解消法」に焦点を当て、研究者や当事者に講義していただく。連続講座の様子を報告する。

相模原事件から考える 立命館大学大学院先端総合学術研究科教授 立岩 真也さん

あの(ような)事件を、私たちはどう受け止めればよいのか。何ができるのか。「尋常でない人間による尋常でない事件」として片づけるのではなく、私たちの思考や価値観との関連を認識し、問い直すところから始めたい。

「悲しい」という話の手前で言うべきこと

 2016年7月26日に神奈川県の障害者施設で、19人が殺され、26人が負傷する事件が起きました。「相模原障害者殺傷事件」と言われます。私どものHPに関連の情報が掲載されています(「生存学」で検索)が、そこには「7.26に起こった事件」となっています。

 その日、教授会か何かをしているところに新聞社から電話がかかってきました。事件が起きたことを知った時、いくつかのことを思いました。こうした事件が起こると、「こういった野蛮、残酷、悲惨な事件をいかに防ぐことができるのか」が議論されます。それは自然なことのようにも思われるし、あらかじめそういう方向にもっていこうという力が働いているとも思います。同時に「こんなひどい事件を起こす人間は"正常"ではない」、「精神障害者ではないか」とされがちです。そのうえで、「じゃあ、どうしたらいいんですか」と新聞社やテレビ局から訊かれるわけです。

 それは結局、「精神障害者の犯罪をいかに抑止するか」ということであり、「より犯罪を起こす可能性が高いと思われる範疇にいる人たちには、強制的に何らかの処置をおこなったほうがいいのではないか」という話です。電話を受けた段階でそう感じたので、まず「悲しい」といった話の手前で、「そういう流れにもっていってはいけない」と言うべきだと考えました。

 私自身は「犯罪を起こす可能性が高いと思われる人たちに、あらかじめ何らかの処置をする」という対応は、できる限りやらないほうがいいと考えています。その理由については『相模原障害者殺傷事件』という本に書きましたので、ぜひ読んでいただきたいと思います。

 ただ他方で私は、ある可能性や確率を前にして、それに対して対応することを全面的に否定できるほど割り切れた人間ではありません。顕著に可能性が高いという場合に何らかの処置をとるのは仕方がないのかなと思う私がいます。

 しかしまず、実際にどれほど可能性が高いのかという問題があります。犯罪のことを研究している人は総じて、精神障害の人による犯罪の可能性は決して高くないとしています。また精神障害の人の多くはうつ病で、人を害するほどの「元気」はないでしょう。ではうつ病の人を除外したらどうなるか。確率の計算ひとつにしても、さまざまな方法があるわけです。こういう話も含めて、「危ない人たちをあらかじめつかまえておく」という話にもっていってはいけないと取材で話しました。

 しかし案の定、法の改正へという流れが生まれました。「地域の支援」という名のもとに「警察の協力も得て」という文言が入った改正案が出されました。結果的には国会が解散となり、廃案となりましたが、また出てくる可能性は十分にあります。

 医療、精神医療というものは、建前であってもなんであっても、基本本人のための営みでしょう。それに対して、互いの防止も医療の枠組みのなかでやっていけばいいんじゃないのという考え方もあるでしょう。しかし、やはり医療の大前提は「苦しんでいる本人を救うために存在する」であり、今なされようとしているのは本人の苦しみを救うというよりは、他人を害から守ることです。害から守ることはよいことです。しかし、ここでは他人を害から守るために本人に不利益を与える、すなわち入院させれたり拘禁したりする、それを建前としては本人にとっては自分を苦しみから救ってくれるはずの医療や医療者が行なう、とすると、当然、本人はそれを信ずることができなくなってしまいます。本人のために働くことと、社会の安全や秩序を守る仕事とは分けないとよろしくない。そのように考えるべきであると思います。

本当の課題は「障害」そのものではなく、孤立から増殖する「敵意」

 しかしそう言うと、「でもやっぱり危ない人もいるじゃないですか。どうするんですか」と言う人がいます。しかし、あの人について他の対応がなかったかです。加害者であるその男は、事件を起こす前から、繰り返し自分の「正義」を主張していました。「障害者は不幸で死んだほうがいい」「殺せば社会は助かる」といったことを方々で言ったり書いて送ったりしました。職場でも友人に対して話している。では聞いた側の対応はどうだったのか。「おまえの言ってることはおかしいよ」と正面から言ったのかといえば、どうもそうとは思えないのです。だから事件は起こったとは言いません。しかし、ちゃんと、そうした発言を面と向かって批判する、怒ることができていれば、事態は変わったのではないかと思っています。

 そして加害者の男はなぜ福祉施設で働くことを選んだのか。よくは知りませんが、彼自身、人生がなかなかうまくいかないというコンプレックスはあったのでしょう。そのうえで福祉施設に就職した。心中では「ここでは自分は上の立場で世話をしてあげている。いいことだとされている仕事をしてやっている」という意識があったのかもしれません。しかし現場というものは、「いいこと」をしてあげているから褒めてもらえるということもなく、素直に言うことをきけばよいと彼が思った入所者の中には文句も言えば思い通りに動かない人もいます。彼の思い通りにはいかない、そうした状況のなかで「こいつらがいると社会が大変だ。だから俺が成敗してやる」という思いが芽生えてきたという可能性はあると思っています。その時に職場として何かできることはなかったのか。職場の責任ではないといえばそうかもしれませんが、ものの言い方や対し方によっては変わった可能性があったんじゃないかと思います。

 発達障害や知的障害、精神障害が犯罪にからむことがないとはいえません。だけれども、予防拘禁的なものによって防げるかといえば、そもそもどんなことも防ぎうることなどできはしないのですが、それは防ぎ切ることはできない。むしろマイナスのほうが大きいと言えると思います。そちらの方向ではなく、いろんな形で社会から孤立し、敵意を増殖させているそういう人たちに対して、「障害」というラベルを貼られない人たちももちろんたくさんいる、そういう人に対してどんな対し方をしていくかによって変わってくる部分はあると思います。

 以前「浅草レッサーパンダ事件」というも事件がありました。レッサーパンダの帽子を被っている、北海道から流れてきた男が浅草で女性を刺してしまったという事件です。それを佐藤幹夫さんという方が取材して書かれた本があります(『自閉症裁判??レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』、2005、洋泉社)。ここには何か決定的な解決策が書かれているわけではないし、わからないこともたくさんある。加害者は逮捕されてからほとんど語らなかったこともあり、取材は非常に困難でした。しかし捕まる前の彼が辿った足跡みたいなものを著者はていねいに辿っていきます。

 たとえば北海道にいた頃の彼と交流し、支援していた人がいるわけです。けんかもしながら支えて、北海道にいる間はいろいろやばいことはありながらも何とかなっていたんですね。多くの人が、ある程度やばいことをやりながら、もっとやばくなる手前でどうにか保っている。そういうことは増やしていけるし、増やしていける実例のようなものを私たちはすでにもっているのではないでしょうか。

近代社会が何をしてきたかを知り、その「正義」を根本から問い直すことから

 また、加害者が尋常ではないということは、言おうと思えば言えると思います。だけれども彼が言っていること自体は、私たちが日常的に思っていることとあまりかけ離れていないのではないでしょうか。とすると、そこの部分は「思考する」という手当をしておく必要があります。ただ「あいつはバカだ」と言えばすむ話ではありません。

 「よりできる」「より生産性が高い」、そして実際に生産する人物が、その多寡に応じて多くを取る。これは近代社会の教義、正義であり、それはこの社会を批判する立場にいる側においてもしばしば当然のこととされてきたという歴史があります。容疑者の「障害者を殺せば社会は助かる」という主張は、近代社会の「正義」をもってきて自らを正当化しているわけです。そしてもう一つ、「今でも大変なのに、たいして生産もできない人たちにたくさん分配したらもっと大変になる。社会や国家がつぶれてしまう。だから締めるところは締めていかなきゃダメだ」という話がなされています。これも、日本に限らず、世界中のさまざまな地域や国でも起きていることです。

 それに対して私は、結論だけ言えば、一つに、正義とされていることはすこしも正義でないと、一つに、大変だとされていることは少しも大変ではないと言ってきました。経済的な根拠もあります。関心のある人は、私の『良い死』という本(2008、みすず書房)などを見ていただければと思います。ただ、妙な正義や根拠のない危機感のもとで社会は動いています。それが本当に正しいのかというところを考えるべきではないか。それができれば、容疑者も、そして容疑者を非難しながら同じことを言っている我々も、ちょっと違う場所から議論を始められるのではないかと思います。

 私たちが最初に出した本は『生の技法』という本でした(1990、現在は第3版、2012、生活書院)。施設を出て暮らす人のことを書いた本です。施設を出たいという気持ちや、施設を出るという生活はどういうふうに可能なのか、難しいのかをずいぶん前から書いてきました。そういう意味では、私はずいぶん前からはっきりと「施設から出たい人はできるだけ出られるようにしたほうがよいし、それはできる」と思っています。ただ今回の事件後、「一カ所に大勢が暮らしているから多くの人が殺される」、だから「小規模な施設、グループホームがよい」ということではないとも思っています。今回の事件が起こった施設の場合には施設長やたくさんの職員がいたにもかかわらず、だったのですが、職員、コーディネーターと呼ばれる人が一人しかいなければ、その人を止める人もいないかもしれません。まずは冷静に過去を見る、現在を見る、そして何かしたらその結果として想定される未来を考えることです。

 1960年代、さまざまな障害をもった人たちに対応する施策が必要だと始まったのが、施設入所という流れでした。新たに施設をつくる場合も、ハンセン病や結核の人たちを収容していていた療養所を転用する場合もありました。たとえば旧ハンセン病療養所に6、7歳で入所し、40年50年経ったという人たちがたくさんいます。そのことを知っている人は、そこに入所している人たち、その親たち、そして医療者ぐらいで、99%以上の人はまったく知らないと思います。今、障害者差別解消法という法律ができて、「どこに差別があるのかを探してリストアップしましょう」といったことがおこなわれています。それもよいことではあるでしょう。しかし、何万人という人たちが、いなくてすんだ場所に今もいるということの重みは受け止めなければいけないと思います。知らないまま、社会は変わっていないとか、いやすこしはましになったとか、言っても仕方がないのです。

立岩真也
1960年佐渡島生まれ。専攻は社会学。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。千葉大学、信州大学医療技術短期大学部を経て、現在、立命館大学大学院先端総合学術研究科教授
http://www.arsvi.com/ts/0.htm


●国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議
同会議では2002年から様々な人権課題をテーマに「プレ講座」を開講している。今年度は「部落差別解消推進法」と「障害者差別解消法」に焦点を当て、「障害者差別解消法・改正障害者雇用促進法施行 2年目の課題」「部落差別解消推進法をふまえ実態調査をいかに進めるか」「『寝た子』はネットで起こされる !??部落差別は、いま?」「相模原事件から考える」「部落差別解消推進法の具体化に向けて:教育の再構築と相談体制の整備」をテーマに5回連続で講座がひらかれた。