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特集



バニラエア事件(+α)から考える障害者差別 松波めぐみさん

2018/11/12


国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議では毎年様々な切り口で人権をテーマにした「プレ講座」を開講している。2018年度のプレ講座では、「ネット社会を生きる私たちの情報リテラシー」をテーマに、研究者や当事者に講義していただく。連続講座の様子を報告する。

バニラエア事件(+α)から考える障害者差別 松波めぐみさん

相模原事件の地続きにある「社会のありよう」

 2016年に障害者差別解消法がスタートし、2年が過ぎました。今回、人権に関わる重要なトピックとして3つを挙げています。いわゆる「相模原事件」、そして旧優生保護法の下での強制不妊手術と向き合うこと、そして約1年前に起こったバニラエア事件から見えてくるものについて、です。

 相模原事件は2016年7月26日に起こりました。神奈川県相模原市の障害者施設で46人もの障害者が襲われ、うち19人が亡くなりました。衝撃的な事件にも関わらず、多くの人が何か「語りにくさ」を感じているように思えます。理由のひとつには被害者の匿名報道があるでしょう。どんな「ひと」が暮らし、どんな「ひと」が犠牲になったのかがイメージしにくかったのではないでしょうか。

 匿名になったのは、一部のご遺族が「家族に障害者がいることを知られないようにしてきた」「商売に差し支える」といったことを主張したからだと聞いています。その遺族の問題ではなく、そのように家族を追い込んできた社会のあり方として考える必要があると思います。

 衝撃の理由のもうひとつは、容疑者が施設で働いていた人だったことです。そして「劣った者は生きる価値が低い、優秀な者ほど価値がある」という優生思想を、ふだん障害者と接していながら、深めてしまったのです。

 容疑者は障害のある人をひとくくりにして「生きている価値がない」としたのではありません。意思疎通ができるかどうか、言葉で自分の名前と住所が言えるか、そうした勝手な基準で線引きをし、「価値がない」とみなした相手を実際に殺したわけです。

 しかし容疑者だけの極端な優生思想とは言い切れません。私たちの社会にもまた、社会で役立ちそうな障害者とそうでない人、共感しやすい人とそうでない人とをいろいろな場面で線引きしています。学校や雇用の場でも同じです。やはり社会のあり方と地続きなのだと思います。

法律で公然と優生思想を奨励していた

 強制不妊手術は、長年訴えていた人がいたのに放置されていた問題です。2018年1月に宮城県の60代女性が国を相手に提訴したのをきっかけに、一挙に報道が増え、各地で裁判に加わる人が出てきています。

 手術がおこなわれたのは、実は30年から50年前のことです。なぜ今になって被害者が重い口を開き、裁判が始まり、報道されるようになったのか。ピンとこない人も多いでしょう。

 この手術の根拠になった優生保護法は、ほんの20年前の1996年まで存在していました。法律の文言に「不良な子孫の出生を防止する」のが目的だと明確に書かれていました。公然と優生思想を奨励していたわけです。

 今年、裁判を起こした方は中学生の時に何も知らされないまま、手術を受けています。当時は家族も疑問を差し挟む余地はありませんでした。お腹には大きなギザギザした傷跡が残っています。他にも、貧困家庭で育ち、障害に関してまともな診断も受けないまま手術を受けた人もいますし、今でいう児童養護施設にいたというだけでターゲットになった人もいます。社会のなかで「劣等」とレッテルを貼られた人たちが、意思を尊重されることなく被害を受けてきました。そして背景には「障害のある人は子どもをもつべきではない。どうせ遺伝する」といった決めつけがありました。

 重度の身体障害をもつ人のなかには「毎月の生理がなくなれば、介護する家族や職員の負担が減るから」という理由で、子宮摘出等の手術を受けた人もいます。これは優生保護法の範囲すら越えた手術です。

 現代でも、パートナーと暮らすことや子どもを産むことに対し、家族や医師から猛反対されるという話をしばしば耳にします。また、「知的障害者には強制不妊手術もやむをえなかった」と主張する人にも出会います。そんな現状をみると、強制不妊手術の問題がなぜ最近まで知られてもいなかったのかも含めて、現在の私たちの人権意識が問われていると感じます。

「個人モデル」から「社会モデル」へのパラダイム変換

 2016年にスタートした障害者差別解消法の背景には、2006年に採択された障害者権利条約があります。これは「障害」という問題の捉え方についてパラダイム変換が起こった結果です。障害者を「保護してあげる対象」から「権利をもった主体」へととらえ直したのです。同時に障害という問題は「個人の悲劇」から「社会の障壁」へと変わってきました。もちろん自然に変わったのではなく、障害者自身の告発や運動があってこそです。

 長い間、障害者は個人で何とかすることを求められてきました。車いすの人が階段の上にある駅に行けないのは、足に障害があって歩けないからだと考えられてきました。自力で手伝ってくれる人を探すか、我慢するしかありませんでした。しかし最初からエレベーターを設置してあれば何ら問題ない。つまり環境を変えれば健常者と同じように行動できます。「問題」は個人ではなく社会の側にある。社会のありように焦点を当てて変えていく。これが「社会モデル」の考え方です。この時、障壁となっているものを取り除くことが必要だということで、社会環境のバリアを少しずつでも取り除く必要があることが確認されました。そこで導入されたのが合理的配慮という概念です。

   障害者差別解消法は国や行政、事業者に対して「不当な差別的取り扱い」を禁止しました。バリアを除去するための合理的配慮を、国や行政に対しては「義務」とし、事業者は「努力義務」を負うとしています。ただし、雇用・労働に関しては差別解消法ではなく、「改正・障害者雇用促進法」がカバーしています。こちらの法律では、民間の事業者にも合理的配慮の提供を義務づけています。

権利を主張する「弱者」を否定する空気

 こうした歴史的な流れと法律を踏まえて、バニラエア事件を考えてみましょう。

 2017年6月5日、車いすユーザーである木島英登さんという方が奄美空港でバニラエア社の飛行機に搭乗しようとしたところ、「歩けない方は搭乗できません」と拒否されるという事件が起きました。バニラエア側は同行した友人の手伝いも拒否、スタッフも「安全のため」手伝えないとし、木島さんはやむなくタラップを自力で這い上がり、搭乗します。

 大阪の自宅に戻った木島さんは、障害者差別解消法に基づく大阪府の相談窓口に相談しました。府は鹿児島県の窓口にも連絡し、バニラエア側にも事情を聞きました。その結果、障害者差別解消法に違反していることが明らかになります。バニラエア側は問題を認め、謝罪しました。その後、搭乗を補助するアシストストレッチャー(15万円)を購入します。さらに階段昇降機の購入も決めました。以後、車いすユーザーもバニラエアの奄美便を安心して利用できるようになりました。まさに法律が効力を発揮したモデルケースといえます。

 バニラエア事件にはまさに差別解消法に書かれた「不当な差別的取り扱い」と、対話しながら臨機応変に対応するという「合理的配慮」の欠如がありました。被害を被った木島さんが相談窓口に相談したのは当然でしょう。

 ところが事件がよい方向で収まった半月後、一連の出来事が新聞報道されます。当初は木島さんに対する同情がわき起こりました。ところがなぜかその日のうちに「この人物はバニラエアのホームページには事前連絡をするようにと書いてあるのに、しないまま空港に押しかけて困らせた。わがままだ」という形の非難が起こり、拡散されていきます。

 実際には事前連絡をしても搭乗を断ることになっていました。それはバニラエアも認めています。また、木島さんはよく旅行を楽しんでいて、これまで事前連絡をしなくても飛行機に搭乗できていたそうです。今回の場合、行きは同じバニラエアに搭乗できていたので、拒否されるとは思ってもいなかったわけです。

 また、木島さんは個人のホームページで旅行記を発表されたりしています。そのなかに対応の改善を提案されている部分もありました。ごく当たり前の内容なのに、それも「プロ障害者だ」「クレーマーだ」と悪い印象を作り上げて拡散する人が多くいました。

 他には「障害者に手厚くするために運賃が上がったら迷惑だ。配慮を要求するならJALやANAを利用しろ」「自分の母親も車いす生活だったが、クレームをつけるようなことは一切しなかった」といったかたちの非難もありました。

 いわゆる「障害者への特別扱い」ではなく、現に不平等な実態があるから、それを是正して平等に利用できるようにするのが「合理的配慮」です。さまざま誤解や無知をもとに個人の人格を悪意をもって作り上げ、叩く。控えめで常に周囲に感謝するような人、つまりマジョリティにとって都合のいいマイノリティには同情を示すけれど、社会の不都合を指摘するマイノリティにはバッシングする。これは障害者に限らず、マイノリティに対するヘイトスピーチに共通する事象だと思います。権利を主張する弱者を許せないという、感情任せの人格否定です。

社会モデルはすべての人に当てはまる

 では、どうすればいいのでしょうか。まずは行政や企業の方はもちろん、一般市民のみなさんにも、障害の「社会モデル」の視点をしっかりもってほしい。そしてどこにどんな障壁が残っているかに関心を向けてほしいと思います。公共交通機関は本来、誰もが利用できるものでなければいけないのに、そうなっていない現実があります。たとえば都心部の路線バスは車いすで乗車できるようになってきましたが、空港バスや長距離の夜行バスには乗れません。これはほんの一例です。

 障害者問題は長らく「福祉」の問題であって、自分と関係ない、限られた人の問題だと思われていました。けれど実は決してそうではありません。駅にエレベーターが設置されたことで、車いすユーザーだけでなく、高齢者やケガをしている人、ベビーカー、呼吸器などの問題でしんどい人など、多くの人が駅を利用しやすくなりました。社会のなかにある障壁に困っている人が実はたくさんいるし、自分がいつ当事者になるかわかりません。

 社会モデルの考え方は、誰もが自分らしく生きられる公正な社会の大前提--そのことを社会の共通認識とできるよう、これからも努力していきたいと思います。


●国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議
同会議では2002年から様々な人権課題をテーマに「プレ講座」を開講している。今年度は「ネット社会を生きる私たちの情報リテラシー」をテーマに5回連続で講座がひらかれた。