「地震と虐殺」から考える〜デマを防ぐために私たちは何をすべきか 安田浩一さん
2025/12/24
国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議では毎年様々な切り口で人権をテーマにした「プレ講座」を開講している。2025年度の第1回講座は「『地震と虐殺』から考える〜デマを防ぐために私たちは何をすべきか」をテーマにノンフィクションライターの安田浩一さんに講演していただいた。その様子を報告する。
地震よりも差別や偏見が人を殺した
1923年の関東大震災の際、多くの朝鮮人や中国人、日本の社会主義者、無政府主義者、障害者といった人々が虐殺されました。
あれから100年以上が過ぎた今も虐殺事件の「種」であるデマは日常的に流布され、人々が簡単に信じて扇動される風潮があります。このような状況下で私たちは何をすべきか、あるいは何をすべきでないのか。私の取材経験の中からお話できればと思います。
関東大震災が起きた1923年と2025年現在の関東とでは、風景は大きく変わっています。しかし目を凝らせば、関東大震災の跡をあちこちに見つけることができます。
たとえば千葉県船橋市にある行田公園の一角には、「船橋無線送信塔記念碑」という看板のかかったモニュメントがあります。戦時中、ここには関東最大の日本海軍の無線送信所がありました。関東大震災が起きた時も、この無線送信所から全国に向けて救援物資を求めるSOSを流しました。全国各地から食料や衣料品などが届き多くの人を救ったという美しい物語を書いたプレートが添えられています。
しかし肝心なのは書かれていることではなく、書かれていないことです。この無線送信所は実は虐殺に大きく「貢献」していました。大震災の2日後である9月3日、この送信所を通して内務省の警保局長、現在でいうならば警察庁長官すなわち当時の治安トップが各地方長官宛に電文を送付しています。
内容は「鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとする。すでに東京都内においては爆弾を処置し、石油を注ぎ、放火するものもあり。鮮人の行動に対しては厳密な取締を加えたし」
しかしここに書いてあることは、すべてデマだったのです。誰も暴動など起こそうとしていませんし、放火事件は一件もありませんでした。ましてや爆弾を所持した朝鮮人が捕まったという記録は、当時の警察にも一切ありません。国がデマを流し、多くの自警団が朝鮮人をはじめとする人々を殺戮していったのです。
国が流したデマに、当時のメディアも動きます。東奥日報という青森県の新聞には「武装した朝鮮人が帝都で暴れまわる」という記事が掲載されていました。配信したのは通信社だと思われます。こうして国も行政もメディアもデマを流布し、差別と殺戮を扇動しました。多くの朝鮮人や中国人、日本の社会主義者や障害者を殺したのは、地震ではなく差別と偏見だったのです。
歴史を否定する動きが公然と
ところが、現在の東京都では「そもそも虐殺があったのか」という動きがあります。その先頭に立っているのが、小池百合子東京都知事です。東京都墨田区の両国駅に近い横網町公園には関東大震災における朝鮮人虐殺犠牲者追悼碑があります。碑が建立された1974年以来、政党や知事個人の思想にかかわらず、歴代の都知事は毎年、追悼式典のある9月1日に追悼文を送っていました。しかし2016年に東京都知事となった小池知事は、翌年から朝鮮人虐殺追悼式に追悼文を送ることを取りやめています。
2017年に私をはじめ震災虐殺に関心を持つ記者たちが定例会見で小池知事にその理由を質問したところ、「私は全国追悼式で、震災で亡くなったすべての方々を追悼している。あえて朝鮮人の虐殺被害者だけに追悼文を送る理由がない」という答えが返ってきました。
都知事発言に呼応するかのように、2017年以降、朝鮮人虐殺はなかったとする人々が追悼式典の妨害をするようになりました。虐殺はなかったとする集会が同じ時刻に、近接した場所でおこなわれるようになったのです。
過ちの歴史を否定する人ばかりではなかったのも事実です。関東大震災の翌年である1924年、「植民」という月刊誌で朝鮮人虐殺特集が組まれています。作家や社会運動家だけでなく政治家も「なぜ朝鮮人虐殺が起きたのか、われわれはどのように受け止め反省するのか」という一文を寄せています。当時、東京市社会教育課長だった大迫元繁さんも「(前略)日本人は根本的に生まれ変わって出直さねばなりません」と、全面的に非を認めています。
しかし結果的に、日本社会は生まれ変わることはできませんでした。むしろ新たな差別と偏見が生まれています。
たとえば今、関東で起きているのはクルド人に対する差別と偏見、そしてデマです。多くのクルド人が住む埼玉県南部の川口市と蕨市では、「クルド人は出ていけ」と主張する差別デモが繰り返されています。おそろいのジャンパー姿で街を練り歩きながらクルド人のグループを見つけると恫喝したり、クルド人の子どもに「早く帰れ」と脅す。
SNSで人を集め、クルド人を迫害するために集まった仲間たちで活動しています。
自警団という名称を持つグループも生まれています。関東大震災直後の日本社会で「自警団」を名乗る集団が生まれ、多数の朝鮮人や中国人、あるいは障害者や被差別部落の住民を殺しました。その名称をあえて使うところに私は強い憤りを感じます。
「川口自警団」を名乗る団体はビラを作ってポスティングもしています。「私たちは日本人を守るための団体です。良からぬ外国人を見かけたら連絡をくだされば対処します」といったことが書かれています。こうしたことが連日おこなわれているのが、今の日本社会のひとつの風景です。
ネットにも日常にもあふれるヘイトスピーチ
私は連日、川口市に通い、自転車で市内を巡回しながら取材を重ねています。クルド人の人たちともたくさん知り合いました。
そのなかに、ひとりの女子大学生がいます。
ある時、彼女が「安田さん、私は毎日勝負しているんですよ」と言いました。彼女は毎朝、川口市内にある自宅――クルド人の集住地域から東京都内の大学やアルバイト先に出かけます。家の近くからバスに乗り、蕨駅から電車に乗り換えて都内へ向かいます。
駅からバス停まで歩く約2分間が彼女のいう「勝負」の時間です。最も賑やかで人が集まる駅前で、彼女がけっして会いたくない人たち、見たくない光景があります。「クルド人死ね、出ていけ」「クルド人は犯罪者、テロリスト」。そんななかを歩かずにすみますようにと毎日祈りながら歩くそうです。多くは「勝ち」ますが、時折ヘイトスピーチに出くわし、その真っ只中を歩くことになります。それが「負け」だと彼女は言いました。ダメージを低減するためにイヤホンで好きな音楽を大音量で聞いたり、下を向いてヘイトの光景が目に入らないようにして自分の心を守るそうです。
ある時、ふいに音楽が途切れてしまったことがありました。そのときちょうど隣を歩いていた同世代の10代後半と思しき男の子たちの会話が耳に入ったそうです。デモの参加者ではない、善良そうな若者たちが「クルド人、いないほうがいいもんね」と話していたそうです。彼女は僕にこう言いました。
「クルド人死ね、殺せという言葉にもすごく傷つくけれども、いきなり飛び込んでくる何気ない会話の中に含まれたヘイトスピーチが辛くてたまらない。彼らの言葉が私が今まで耳にしたヘイトスピーチのなかで一番しんどかった」
街の中だけではありません。SNS上にもクルド人に対するとんでもない言葉が溢れています。たとえばXで「クルド人」を検索すると、9割はヘイトスピーチです。
最近、ある大学でクルド人差別に関する講義をしました。講義前に実施した約170人の学生へのアンケート調査では、クルド人に会ったことのない学生の多くがネット情報に基づいた否定的なイメージを抱いていることがわかりました。講義に参加した学生に「クルド人と聞いて何を思い浮かべるか」と質問すると、約半数が「治安を脅かしている」「乱暴」「性犯罪」と回答、「ヘイトスピーチの被害に苦しんでいる」「難民申請を繰り返している」といった事実に基づいた回答をしたのは数人でした。クルド人と交流した経験のある学生は一人もいませんでした。
クルド人バッシングの背景に何が
「外国人が増えると治安が悪化する」という言説は広く流布していますが、警察庁の公式データによって否定されています。実際には、在日外国人が増え続けるいっぽうで、日本の刑法犯認知件数は減少し続けています。ちなみに私が生まれた1964年当時のほうが現在の日本よりはるかに治安は悪く、殺人事件は現在の3倍以上も起きていました。
現在の具体的な数字を見てみましょう。川口市の外国人住民は2004年には14,679人でしたが、現在は48,161人と3倍以上に増えています。そのうちクルド人は約2,000人です。では同時期の刑法犯認知件数はどうなっているのか。2004年には16,314件でしたが2024年は4,500件でした。つまり外国人の数は急増している一方、犯罪はどんどん減っているのです。
ではなぜ、川口市ではクルド人による暴力支配が進んでいるなどというデマが流布されているのでしょうか。
実は川口市でクルド人に対するヘイトスピーチのデモをしている人たちの一部は、そもそも川崎市の在日コリアンを差別の標的にしていました。しかし川崎市では罰金刑を伴う反差別条例が施行され、ヘイトデモがやりにくくなりました。つまり、川崎市で露骨なヘイトスピーチができなくなった人たちが川口市に流れてきたという現象もあります。
大阪市や東京都などにも反差別条例はありますが、氏名公表が上限です。しかし川崎市の条例は最高30万円の刑事罰を科すことができる日本で唯一のものです。香川県観音寺市にも最高5万円の罰金が科せられる条例がありますが、これは交通違反の反則金と同様の行政罰です。川崎の例からも罰金刑(刑事罰)をともなう反差別条例の効果は明らかです。しかし条例の適用には、第三者審議会による3回の認定(3アウト制)が必要であり、ヘイトスピーチをしてもすぐに摘発されるわけではありません。日本ではヘイトスピーチを止める手立てが、圧倒的に足りないというのが現状です。
クルドの人々は30年前から日本に住んでいます。しかしこの数年で急にヘイトの対象となりました。その最大のきっかけは「難民申請が3回不認定で母国へ送還可能」という、2023年の入管法改正でした。ちなみに私は「改悪」だと考えています。
この時、日本で最も活発に難民申請をしていたのは、母国から集団的に迫害されて日本に逃れてきたトルコ国籍のクルド人でした。多くのメディアが注目し、クルド人を取材しました。その結果、クルド人に関心のなかった人たちが「日本に住みたい」「難民として認めてほしい」とクルド人たちが主張していることを知りました。いわばクルド人の存在を「発見」したのです。そしてこの「自己主張」が生意気だと反発を招き、バッシングが始まりました。人々はクルド人の「悪いこと」を探し始め、事件やトラブルなどを元に「悪いクルド人像」が作られていったのです。
殺されない、殺さない、殺させないために
社会から軽んじられたり、力関係のなかで弱い立ち位置にある人が声をあげたり主張したりすると一斉にバッシングされる。これが今の社会状況です。そして差別も偏見も常に社会、国によってつくられ、人々がそれを受け止め、人を殺していくのです。
目の前で差別的な言動をしている人がいれば、私は抗議して止めます。でも、それだけでは足りません。その差別を促し、放置したのは誰か。差別の種になるような政策を打ち出しているのは誰か。すべて「国」です。それをしっかり認識する必要があります。
関東大震災の虐殺に関する本を執筆した際、さまざまな人を取材しました。そのなかに在日コリアンの女性がいました。関東大震災で起きた虐殺を二度と起こさないためにと、たくさんの資料や証言を集める活動をしている人です。
「なぜそこまで一生懸命に活動されるんですか」と訊くと、こう答えてくれました。
「私は在日コリアンだから、日本社会で何か起きれば真っ先に殺される立場です。でも私は殺されたくありません。だから歴史をちゃんと伝えたいんです」
とても納得しました。ただ、彼女はこう続けたのです。
「でもね、状況によっては私も殺す側になるかもしれない。私は弱いから。何よりも血を見るのが嫌だから、殺させたくもない」
この言葉が私の胸に刻印されています。なぜ差別や偏見がいけないのか、デマが怖いのか。「殺されない、殺さない、殺させない」ためです。そのために差別や偏見、その種であるデマと、ともに闘っていきましょう。

