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スポーツとジェンダー 〜「女性を守る」という口実からマイノリティ選手の排除を考える〜 関西大学文学部 井谷聡子さん

2026/05/11


スポーツとジェンダー 〜「女性を守る」という口実からマイノリティ選手の排除を考える〜関西大学文学部 井谷聡子さん

近代スポーツの歴史とジェンダー

 スポーツとジェンダーについて、現在の状況も含め、お話したいと思います。

 スポーツには3つの文化的源流があります。「祭事・見世物」「狩猟・軍事訓練」「娯楽・遊び」です。陸上やバレーボール、スキーなど多種多様なスポーツを世界中で人々が興じ、競います。こうしたものはすべて「近代スポーツ」です。起源はそれぞれ違い、アーチェリーは狩猟、フェンシングは決闘の練習でした。相撲やレスリングのように、見世物や神に捧げる神事として行われた身体的パフォーマンスもあります。

 さまざまな起源を持つスポーツが近代化したのは、19世紀から20世紀初頭にかけてでした。産業革命によって近代産業社会がはじまり、近代国家が成立、帝国主義の拡大によってスポーツの形が変わっていきます。

 欧米の帝国主義の拡大により、植民地支配を担うエリートたちが世界中に散っていきます。領土を拡大するなかで、いわゆる近代的な教育も進んでいきます。

 近代産業社会の特徴として、効率化や合理化、数値化があります。その発想がスポーツにも持ち込まれ、ルールの整備をはじめ、スポーツの統括組織が形成されていきます。ヨーロッパの帝国主義の拡大のなかでスポーツが世界中に散っていく一方、大きな戦争も起こりました。

 こうしたなかで、オリンピックの父と呼ばれるフランス人のピエール・ド・クーベルタンがオリンピックのモットーを「より高く、より速く、より強く」と定めたことに時代の反映を感じます。このモットーの先端に位置づけられたのが白人の男性たちでした。スポーツは、世界の支配者となるべき男たちが習得する身体的な能力でした。痛みや苦しみに耐えて自分をコントロールするという、支配者に求められるモラルや精神性を育むツールとしてスポーツ教育が行われていきます。

 一方で女性は一律に「生む性」であり、外でハツラツとするのではなく家庭で静かに暮らす「弱き性」とされました。近代は産婦人科学が発達しましたが、「女は病弱で、体が弱い」「男女の身体は絶対的に違う」という身体観が強化され、女性の肉体労働や近代スポーツへの参入に強い抵抗感が生まれました。こうした考え方は、近代スポーツの発祥と同じく中上流の白人社会の産物と言えるでしょう。

社会ダーウィニズムとスポーツ、ジェンダー

 19世紀はダーウィンの進化論が唱えられ、人間社会を解釈するうえで応用した時代でもあります。この「社会ダーウィニズム」は近代国家の耐久力を適者生存、自然淘汰の原理で説明しようとするものです。より「進化」した国民の創出、性別二元制の強化がなされました。

 男子教育では「質実剛健」、すなわち生産し闘う身体が目指されました。女子教育では「良妻賢母」、すなわち丈夫な兵士を生む母、家政を司る科学的な妻がよしとされました。社会ダーウィニズムの発想の中、競争的な身体文化(スポーツ)が文明化・先進性の物差しとなったのです。

性別確認検査とは 〜性別確認検査の歴史

 オリンピックの出場選手に対して性別を確認する検査を行うことが決まったのは、最近の研究では1936年ということがわかっています。ナチスが開催したことで有名なベルリン大会がひらかれた年です。第一次世界大戦後、ヨーロッパを中心に世界が荒廃した苦しい時代。誰もが苦しい時に「俺が解決してやる」と強い男たちが出てくるファシズムの時代です。

 彼らの主張は白人の男をトップとした進化論で説明される世界秩序でした。女と男が同じ権利を持ったり、黒人が白人と肩を並べるなどとんでもないし、移民は排除する社会です。

 ファシストが組織したナチス・オリンピックの年、すでに多様な性別の選手がいました。「アーリア人の栄光をかけた闘い」を性別疑惑で汚されては困ると提案されたのが性別確認検査でした。この発想の背景には「そもそも女がスポーツをするからおかしな事態になっている」、すなわち女にスポーツをさせるなというメッセージがあります。またこの発想をしたのはナチスだけではありませんでした。

 国際オリンピック委員会(IOC)や国際陸上連盟(IAAF、当時)のトップを占める男たちは、スポーツが女性を男性化すると考えており、当時の白人中・上流階級が理想とした女性のイメージから逸脱した「女に見えない」選手たちを締め出そうとしていました。また、中には身体的に「男性化」して、他の「純粋」な女性に不公平と考えた人々もおり、性別確認検査を求める声がこうした組織内部からも上がりました。

 こうした男たちの動きに対して、女子スポーツのリーダーたちは、女性であることを証明することで女子スポーツの存続・拡大を約束させようとして性別確認検査の実施を認めました。性別確認検査は、ファシストとスポーツ界のエリート男性からのプレッシャーに対して女子スポーツのリーダーたちが妥協した産物とも言えるでしょう。しかし、次のオリンピック大会を迎える前に第二次世界大戦が勃発し、性別確認検査の本格的な導入は戦後に持ち越されます。

 第二次世界大戦後の1947年、陸上界では医師から出された性別証明書の提出の義務付けがヨーロッパで始まりました。その後、1960年代からIAAFとIOCが国際大会での一斉検査を世界規模で導入します。これまで白人の男性たちが見たこともなかったような強くたくましい、たとえばアフリカ出身の女性たちなどの活躍が可視化されてきたのをはじめ、さまざまなジェンダー観の揺さぶりのなかで性別確認検査が義務化されていきました。

 1979年、国連で女性差別撤廃条約が採択されます。その流れもあり、圧倒的に男性中心だったスポーツ界は「女性を増やせ」というプレッシャーに直面します。国連から遅れること12年、1991年にIOCは五輪憲章に女性差別の禁止を書き込みました。この時期からオリンピックに出場する女子選手が急激に増えていきます。

 1994年、世界女性スポーツ会議(IWG)が設立されます。1990年代は女性たちのなかでジェンダーやフェミニズムの運動の成果として世界的な女性スポーツ組織が立ち上がった時代です。こうしたなかでスポーツ界における性別確認検査に関する問題が起こりました。

 1968年に導入された一斉検査は視認検査でした。つまり裸にしてペニスの有無や胸の膨らみを確認し、それでもわからない場合、股間の検査をするというものでした。さすがに屈辱的であり、判断できないケースもあったことから染色体検査へと変わります。しかしY染色体があるからといって、誰もが典型的な男性に育つとは限りません。こうした問題が起きたことからIOCは2000年に全女子選手への検査を廃止しました。

 また、2003年には性別移行後のトランスジェンダーの選手の出場規定をまとめた「ストックホルム合意」を発表しました。国際スポーツ統括組織としてこうした規定を策定する初のケースでした。これは世界的にトランスジェンダーの人権運動が盛り上がり、日本で性同一性障害という名称が知られはじめた時代です。オリンピックでは今でもトランスジェンダーに厳しい条件は付いていますが、それでもこうして幕が開かれてきました。

 2024年、フランスが開催したオリンピック・パリ大会で選手の男女数がはじめて同数になりました。女子競技に出ているノンバイナリーの選手が注目されたり、トランス男性のボクシング選手として女子競技に登場したバチャダン選手が話題になりました。ただし女子競技に出場していますので、規定に従いホルモン療法による性別移行は行っていない選手です。

「公平公正」を旗印に進められる排除や人権侵害

 2025年1月20日に米国で第2期トランプ政権が誕生しました。その日のうちに性別は「生物学的な男女」のみとし、トランスジェンダー等の権利を認めない大統領令に署名しました。その2週間後、女子スポーツには「生物学的女性」しか出場させないようにとするとした大統領令が出ました。この大統領令ばかりが注目されがちですが、こうしたスポーツからのトランス排除の動きはトランプ大統領個人が唐突に行ったわけではありません。

 米国では2020年以降、「幼稚園から大学までのスポーツに関しては、生物学的性別(男女)で分けるように」定める法案を可決する州が急激に増えていました。私はすべての法案を読み、つくりがとてもよく似ていることに気付きました。まず、スポーツの競争カテゴリーを出生児に割り当てられた性別で男女で分けることを定めています。トランスジェンダーのような存在を消そうとすれば、まず男女の定義を出生時の割り当てに限定し、それが将来変わらないものであると定める必要があります。スポーツであれば、「男と女が一緒に競争すれば不公平だ」と言えば、多くの人が説得されてしまいます。

 法律には「女子競技の公平事例を守る法」など、女性を守る法律であることを謳うタイトルがつけられています。スポーツにおけるトランス排除を使って男女の定義を強化することで、女性への人権侵害や差別を推進しているという構図です。

 さらにとんでもないことが起きています。前節で触れた通り、世界陸連(WA、かつてのIAAF)は性別確認検査を1世紀近く実施してきた団体です。その世界陸連がトランプ大統領令が出た直後、これまでのホルモン値による出場制限を廃止し、性別規定を変更すると宣言しました。遺伝子検査の再導入です。1992年に放棄したの検査を全女子選手を対象に行うと宣言しました。この他にも、世界陸連の高アンドロゲン症規定(ホルモン検査)やIOCの新フレームワーク(包摂と科学的証拠を元に競技団体ごとに規定)などが導入され、こうした規定や検査にパスするためにホルモン抑制剤の使用や手術により、体調に深刻な影響を及ぼす選手が出ています。

 世界的な大会に出るほどの選手は、排除されることによって選手としてもらっていた奨学金を停止されるなど経済的な損害は計り知れません。「女子選手として出場しながら、お前は男だったのか」と言われてひどいバッシングを受けた選手もいます。

 2018年7月、ヒューマンライツウォッチは「『スポーツから私たちを締め出している』:女性トップアスリートに対する性別確認検査における人権侵害」との120ページに渡る報告書を作成し声明を出しました。「インターセックスのバリエーションを持つ人びとに対して行われ推奨されてきた同意のない『正常化』処置は、非科学的で非倫理的であり、国際人権法に違反するものとして否定されている。スポーツ競技におけるインターセックスの特性を持つ女性アスリートに対する差別的な扱いもまた、基本的な権利保護に反する」、「女性アスリートに対する差別、監視、強制的な医療介入を促す世界的な規制が、身体的・心理的な傷害や経済的困難を引き起こしている」と述べています。

 2019年には世界医師会も「世界医師会は世界陸連の女子選手の分類規定を履行しないよう医師たちに勧告する」との声明を出しました

実在する性の多様性を反映したスポーツ文化・制度の構築を

 スポーツ界におけるトランスジェンダー女性に対するバッシングは、当初欧米を中心に盛り上がりました。その背景には欧米のバックラッシュ、すなわち反ジェンダー運動の広がりがあります。

 2016年頃からSNSを通じて日本にも輸入されてきました。「女性スポーツの公平性を守る」という理屈で、フェミニスト団体を名乗る人たちが活動を繰り広げています。反ジェンダー運動の高まりが「一部の」フェミニズムと結び付き、スポーツがトランスジェンダーの社会的排除・抹消の入口となっています。2025年8月、「自民党の有志議員でつくるすべての女性の安心・安全と女子スポーツの公平性などを守る議員連盟(略称・女性を守る議連)は、「スポーツ競技で公平性を確保するための法制化に着手する」ことを決めました。

 こうして現在、女性の安心安全や女子スポーツの公平性を謳いながら女性を管理し女性の人権を侵害してきた歴史が再び繰り返されようとしています。トランス女性のスポーツ参加が「反ジェンダー運動」にとって使いやすい問題として利用され、ジェンダー概念を消し、生物学的性別にもとづいた男女の分離と役割を強調していることに気づく必要があります。

 スポーツにおける性別確認検査は非倫理的、人権侵害かつ科学的に不正確であることは明らかになっています。またスポーツの公平性は人権侵害の上に担保されるべきではありません。スポーツにおける「公平性」の意味や内容、必要性はエリートスポーツと教育、レクリエーションなど目的とスポーツの性質にあわせた議論が必要です。実在する性の多様性を反映したスポーツ文化や制度の構築が急がれます。