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個人の意識から構造的差別まで マジョリティ性と特権に向き合う 〜上智大学 出口真紀子さん

2026/06/10


個人の意識から構造的差別まで マジョリティ性と特権に向き合う 〜上智大学 出口真紀子さん

特権の定義と、構造としての問題

 人権研修やDEI、ダイバーシティ研修などでは「マイノリティの人びとについて理解を深めよう」ということにとどまりがちですが、今日はマジョリティ側、つまり「特権」を有している側の集団の人びとの態度、心理、行動、成長に焦点を当てます。なぜなら差別の問題はマジョリティ側の問題であると考えるからです。

 たとえば、私はシスジェンダーの日本人女性です。幼少期に15年、成人してから15年と合計30年にわたって北米に暮らしました。白人マジョリティ社会の中で、アジア人すなわち人種的マイノリティとしてかなり長い期間を過ごしたことから、差別の心理学に興味を持ちました。

 現在、日本に暮らす私はジェンダー(社会的性)が女性であり、マイノリティ性を持っています。しかしそれ以外の部分を見ると、日本人でありシスジェンダーであり高学歴者であり高所得者、健常者と、すべてマジョリティ側の人間です。女性差別さえ乗り越えれば、かなり権力にアクセスしやすい立場にいると言えます。

 マジョリティ性、マイノリティ性は固定的ではありません。属性も表に挙げた7つだけではありません。誰もがマジョリティ性とマイノリティ性の両方を抱えて生きており、それも状況によって変化します。

 そしてここで言う「特権」とは、「マジョリティ側の社会集団に属していることで、労なくして得ることのできる優位性(権力も含まれる)」です。努力をしたから得られる優位性ではありません。

 私はよく自動ドアのたとえを使います。特権を持っている人が目的地に向かって前に進もうとする時、いくつもの透明なドアがサーッと開いてくれるので、前にすんなりと進むことができます。何もせずとも自動的にドアが開くので、この人にはドアが見えません。そもそもドアが存在していることにも気付かないわけです。

 ではマイノリティ性を持っている人、つまり特権のない人はどうでしょうか。ドアは自分でこじ開けなければなりません。あるいは異議申し立てをして開けてもらったり、がんばっても最後まで開かないこともあります。いっしょにスタートしたはずの人が、気がつけばずっと先に進んでいるということになります。

 先に進んでいる人はふと振り返り、「あれ、まだそんなところにいるの。早くおいでよ」と善意で呼びかけるのですが、その人にはマイノリティ性を持った人が前に進めない構造的な障壁が見えていません。そのため、努力や能力の不足、甘えなど原因を個人の問題としてとらえがちです。

 この自動ドアのたとえには、もう一つポイントがあります。自動ドアを開け閉めする「センサー」の存在です。このセンサーによって、マジョリティ性を持った人にはドアが開き、マイノリティ性を持った人には開きません。

 センサーとは、私たちが住む社会に存在する「差別」です。マジョリティ集団に属する人々は、自分が社会で優遇されているという感覚がないまま当たり前のように恩恵を享受し、ますます特権に気付きにくい構造があります。

特権と差別は表裏一体、マジョリティの自覚とマイノリティの参画を促す

 私自身が特権という概念に出会ったのはアメリカに留学した時でした。大学院の授業で『白人特権 見えないナップサックを開けてみる』というエッセイを読み、とても勇気づけられました。著者のペギー・マッキントシュさんは白人特権の概念を広めた白人女性です。

 私はそれまで白人の優位性を感じながら、それを肯定された経験がありませんでした。アジア人マイノリティとして「アメリカでは白人が優遇されている」と白人に伝えると、「アメリカは平等の国だから君もがんばれば成功できる」と言われ、自分たちが優遇されていることをまったく認めてくれなかったのです。しかしマッキントシュさんははっきりと白人特権を指摘していました。

 マッキントシュさん自身にも、マジョリティ性とマイノリティ性の2つの経験がありました。大学で「男性中心のカリキュラム改革委員会」の委員長を務めますが、失敗に終わります。先進的でいい人に見えた男性たちが女性のメンバーを抑圧するような力を振るったのが原因でした。例えば文学のコースに女性作家の作品を取り上げるよう提案しても、「重要な入門コースにそんな周縁的なものは入れられない」などと却下され、女性メンバーの意見は採用されなかったのです。

 一方で、マッキントシュさんに対して非白人の女性から批判の声があがりました。「白人女性は抑圧的である」と指摘され、「自分は差別などしない、フェミニストとしてすべての女性たちのために闘っている。非白人女性をわざわざ活動に入れてあげたのにひどい」とマッキントッシュさんは感じます。そしてそんな自分を自覚した時、男性特権に無自覚な男性メンバーに憤りながら、自分の持つ白人特権に気づいていなかった自分にも気付いたのです。

 彼女はエッセイでこう書いています。「白人である私は人種差別というものは他人を不利な立場にすると教えられてきた。しかしその裏返しである人種差別が自分を有利な立場にするということは教わらなかった」。

 特権と差別は表裏一体です。ですから差別を解消するには、マジョリティが特権を自覚する必要があります。けれどマイノリティが差別されていることは教えても、もう一方のことはなかなか語らない。その「語らなさ」が、マジョリティ側が差別構造に加担している部分だと考えます。つまりマジョリティが自分の持っている特権に気付かないふりをしているわけです。マジョリティが結託して見ないようにしているようにも見えます。そうした振る舞いが、マイノリティが生きづらい環境を作っているかもしれないという想像力を持つことが大切です。

 マイノリティを生きづらくさせている差別には、3つの形態があります。

 「直接的差別」は個人のレベル。相手を直接侮辱したり排除したりする行為です。

 「制度的差別」は法律、教育、政治など制度の中で行われるシステマティックな行為です。この差別のやっかいなところは、悪意はないにせよ、さまざまなルールをつくる意思決定の場を占めるのがマジョリティばかりだということです。マイノリティの視点が漏れ落ちた状態で、マジョリティに有利な制度がつくられています。

 「文化的差別」は、差別を訴えることがタブー視される、逸脱することへのタブーです。たとえば異性愛・シスジェンダーが「普通」で理想であるといった価値観、男は仕事、女は家庭という「家父長制」といった価値観がマイノリティに非常に抑圧的に働きます。

 「制度的差別」や「文化的差別」を解消するには、制度をつくる場にマイノリティが参画するなどの具体的な取り組みが必要であり、「差別はいけない」と言うだけでは何も変わりません。

特権という構造的問題の解決策
〜「アライ」を増やし、「マイクロアグレッション」を減らす

「アライ」とは自分が属する社会的マジョリティの立場や特権を自覚し、その立場を活かしながら、マイノリティ当事者と協働して社会的不公正や差別の構造を変革していく人を指します。

 社会構造の変革を促すには、アライの存在が不可欠です。アライになるにはまず自分自身の特権を可視化することが必要ですが、この時点でマジョリティ側の人はかなり抵抗を示します。特権に無自覚であればあるほど「公平への促進」は抑圧のように感じるからです。

 マジョリティは既に十分に配慮されているが故に、それが「普通」となり誰も配慮とは言いません。しかしマイノリティに少し配慮すると「この人だけ特別扱いはずるい」という話になります。これを変えていくにはやはりマジョリティが日常のなかで自分が持っている特権を自ら可視化していくことが必要です。

 マイクロアグレッションとは、無意識のうちに他者を傷つけたり差別や偏見を再生産するような言動や態度を指します。特に社会的マイノリティ(少数派)として扱われている人びとにとって、そのような言動は日常的に積み重なり、心理的な負担や生きづらさの原因になります。

 たとえば「どこの国の出身?」と何度も聞かれる。これは日本人に見えないということを前提にした発言です。車椅子ユーザーの人に「頑張っているね」と言う。無意識に「健常」を基準にしているからこそ現れる上から目線の発言です。

 在日コリアンの人が民族名を名乗り始めると「わざわざ外国人になるようなことをなぜするの」「そういう行為が壁を作るんだ」と言われたりもします。マイクロアグレッションの言葉の裏には、攻撃性が隠されていることが多くあります。この場合は「同化しないのであれば出ていけ」という攻撃です。

 今、日本社会ではこうしたマイクロアグレッションについて、具体例を出しながら可視化する動きが出てきています。自分の発言の問題を指摘されることはうれしいことではありません。とっさに「悪気はなかった」「そういう意図はありませんでした」と言いたくなります。

 しかし言い訳では相手の傷つきや生きづらさは解消されません。言葉の背後には、多数派の価値観があります。自分がマジョリティ側の価値観に則って発言しているかもしれない可能性を知り、考える習慣を身につけることが重要です。

 「あなたの言葉に傷ついた」と誰かが伝えてきたら、防衛的にならず「教えてくれてありがとう。もう少し聞かせてください」と対話を試みてください。その場で完璧な理解や謝罪をする必要はありませんが、理解しようとする姿勢が信頼を生みます。

 本来、マイクロアグレッションを受けた相手には説明する義務も責任もありません。指摘された内容が理解できなかった時、「自分なりに考えたけれどもわからないので、もう少し教えてもらえませんか」と伝えてみましょう。

 マイクロアグレッションの場に居合わせるときもあります。そのときは状況を見て可能なら「今の発言は少し気になる」と軽く指摘しましょう。その場で指摘できない場合は、被害を受けた本人が孤立しないようにあとで声をかけるのも大切です。こうしたことがマイクロアグレッションの被害を軽減するアライ行動となります。

 特権集団の特権の中にはとても大事なものがあります。それは「中立」「客観的」と見なされやすいことです。たとえば、男性のほうが女性よりも「中立」と見なされやすい。日本人のほうが民族・人種的マイノリティよりも「中立」と見なされやすいなどです。特権を持つことは悪いことではありません。特権をどのように使うかが問われているのです。ぜひこの特権を差別が起こった現場で行使してほしいと思います。

 マジョリティ側が特権に自覚的になることはマジョリティ側にとってもメリットがあります。自分が下駄を履かされていたことがわかると、マイノリティ性のある人に対して関心が生まれる。自分に与えられた特権をどう使っていけるかを考えるようになる。マイノリティ性を有した人たちの声が聞けるようになる。マイノリティ性を有した同じ組織のメンバーから信頼される。現実をより正確に把握できるようになる。社会構造・システムを変えるために活動したいと思えるようになる、などです。

 構造的な差別は、マジョリティ側が自分たちの特権を知ることから変革を始められます。特権を良い形で行使するアライが増えることでマイノリティが生きやすい社会を実現することができます。マイノリティが生きやすい社会は、マジョリティも生きやすい社会です。冒頭でお話した自動ドアのセンサーをより公正なものにするために、特権を持つ人々に力になっていただければと思います。