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2003/08/22
「見守りの介護」がピンチをチャンスに変えてくれた


夫婦から「父親と4歳児」の暮らしへ

谷口さんがそばにいると、安心の表情の君子さんだ
谷口さんがそばにいると、安心の表情の君子さんだ

妻が私を分からなくなってからは、私たちは夫婦ではなく、「お父さん」と少し大きめの「4歳児」という親子関係で暮らしています。妻は、父である私には心を許しても、見ず知らずのヘルパーさんや、たとえ息子でも他の人には警戒して寄りつこうとしないんです。またのピンチです。そこで困り果てて、ひらめいたのが私たちの父子の関係でした。「ヘルパーさんには4歳児のお友だちになってもらえればいいんだ」と思いついた。なるべく明るい色の洋服を着てもらい、「一緒に遊ぼ!」と来てもらったら、大当たり。妻は、明るくニコニコするようになりました。苦労の連続のなかで学んだのが、痴呆も進み、中長期の記憶を奪われると、心の糸も切れてしまうことでした。

私は医者ですから、徘徊はなぜ起きるのかに興味があって一緒に歩いてみました。大抵は「お父さん、家に帰ります」を荷物をまとめて出て行くのです。それが10~20分も歩くとなぜ家を出たか忘れてしまう。要因は疎外感でした。私が料理を作っている時、トイレや風呂に入っている時、寂しくなると徘徊することが分かりました。それさえ気をつければ、徘徊しなくなった。徘徊は介護者次第だということも教えられました。失敗するごとに、いろんなことを学んでいったのです。

心と感性は奪われない

1999年頃からは、言葉では何も通じなくなった。お風呂に入る、食事をする、服を着替えるなど日常生活機能も奪われました。失禁をすると、後始末だけでも大変です。助けを求めてヘルパーさんに直接電話をしたら、派遣先から契約時間外はダメと大目玉をくらってしまい、一人での悪戦苦闘が続きました。トイレに連れて行こうと引きずると冷蔵庫にしがみつき、入浴させようとすると私が湯舟に放りこまれる。その「格闘」が1年ほど続き、またひらめいたのが「魚釣り」でした。
私は滋賀県長浜の出身で、小さい頃よくやっていた釣りを思い出したんです。釣りはエサをつけ、釣れなくても浮きを見て一生懸命待つもの。妻も同じように気をつけていれば、尿意がある時が分かるんじゃないかと思ったんです。それも大当たりで、よく見ていたら身体の動きでわかるようになった。しかも何回も続けていると、私を起こすようになったんです。
ここまで来ても「心と感性は奪われていない」と感動しました。心と感性を大事にしてつきあえば、あんなに嫌がっていた着替えや入浴の介助も協力してくれるようになる。派遣先に断られたお陰で素晴らしい発見ができた。またもやピンチがチャンスに変わりました。

久しぶりのお花見に一時、元気を取り戻した君子さん(2002年植物園)
久しぶりのお花見に一時、元気を取り戻した君子さん(2002年植物園)

一昨年からは寝る機能も奪われ、寝たい時に寝かせ起きたい時に起こしていたことで深刻な昼夜逆転が続き、体重が激減。これでは放置になるんだと気づき、太陽のリズムにあわせて「朝抱えて起こし、夜に抱えて寝させる」という規則正しい生活を始めてみたら、水分も食事も取れるようになり、どんどん元気になりました。そして、春にはヘルパーさんに頼み込み、数年ぶりに植物園へお花見に。この人にとって最後かもしれないから桜を見せて天国に送りたいと説得したんです。それがまた大当たり。その日からイキイキするようになり、それまで4つの言葉しか出なかったのが、他にも出るようになり、生まれ変わるんじゃないかと思えるほど元気になった。みんなが感動して、他の方も次々と植物園に連れていくようになったんです。

病気がいくら進行しても、心がずっと通いあうことは、何事にも代えがたい喜びと話す谷口さん。だから、2人の毎日は不思議なくらい楽しく、明るい。谷口さんのテーマは「呆けても安心して暮らせる方法」をいかに生活から作り出していくか。一人で抱え込むのではなく「助けて」と言い続けること。多少無理なことでも言葉にして伝えていけば、少しずつでも広がっていく。さらに、いい介護をしていくためには、自分も成長していくことだ。アルツハイマー病は毎日がピンチ。苦しむことでいろんな工夫ができ、ピンチがチャンスに変わっていく。気持ちをきりかえ新しい介護法を見つけると、介護者自身が元気になれというのである。

明日のことは予測できない日々。今日1日できるだけことだけをしようという思いで15年やってきました。だから細かい記録もできるし、人には長いと思われる介護も全く長くは感じません。しんどかったというより、2人ともよく頑張ったなとの思いだけ。人間って面白いもの。苦労は忘れるけれど、感動は忘れないんですよ。私は一人では暮らせません。妻がいることが私の支え。私は妻のためより、自分のために介護しているのかもしれません。

(2003年3月25日自宅でインタビュー)

谷口政春(たにぐちまさはる)

1924年彦根市生まれ。京都府立医大附属病院でインターン終了後、1959年より地域住民とともに医師として京都堀川病院設立に参加。内科、老年科医。1983年より堀川病院院長。
1988年に定年退職後、現在も堀川病院顧問。著書に『在宅ケアのアプローチ・訪問看護の確立を目指して』(医学書院)など。

谷口政春さんのホームページ
http://homepage3.nifty.com/130530/

(関連ページ)

ふらっと-高齢者問題- シルバーハラスメントを考える 第3回
『呆け老人をかかえる家族の会』


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