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障害者

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2003/02/07
「できない」「危ない」と決めつける前に、 「障害」をバリアにする社会を変えよう 障害者欠格条項を考える


病気を知らずに「危険」と決めつけられる

バイクに乗って弁当を運ぶ下村さん
バイクに乗って弁当を運ぶ下村さん

2002年6月から道路交通法が「改正」されました。更新時に病状を申告しなければならなくなると聞いて、主治医に「先生は(運転しても大丈夫だという)診断書、書いてくれるでしょう?」と言うと、「わざわざ病気を自己申告する必要はない。運転できるかどうかは向こう(公安委員会)が決めるべきだ!」とえらく怒られました。そんな言い方はないやろとも思いましたが、確かに僕が事故を起こすかどうかを医師に判断しろというのも無茶な話です。それは医療の範疇ではありませんよね。
急性期、かなり妄想がひどい状態でハンドルを握って事故を起こす可能性は、あるといえばあります。ないとは僕も言えません。だけど今の制度は、たとえば1,000人の精神病者のなかに1人でも急性期の患者がいると全員ダメだと言ってるようなものです。アルコールを飲む人はずっと多いのに全員何のおとがめもなく、実際にお酒を飲んで運転している人はいくらでもいるのに。
一般の人も、精神病のことをよく知らないまま「危ない」としか思ってないんですよね。事故を起こすとしたら、何人もの命が失われるような大事故に違いないと決めつけられる。僕も「下ちゃんが運転する車なんか、よう乗らんわ」と言われます。だけど僕は、車も人も通ってない道でも「止まれ」と書いてあったら必ず止まるんですよ。すごく慎重です。僕に限らず、こういう病気の人って慎重な人が多い。なんでもしつこいぐらい確認しないと気がすまない強迫観念をもつ友達は運転する時も何回も道を確認するし、幻覚症状がある時はヘッドライトが残像としてすごく目に残るという友達は、それが怖いから幻覚のある時は走らない。誰でも命は大事なものなんです。

僕らのほうが世間を怖がっている

それにしても、どうしてこんなに精神障害者が恐れられるのでしょうか。昭和30年代後半から精神病院が乱立し始める以前は、地域でみんなと一緒に暮らしてたんですよね。「薪を割ったら、どんぶり一杯のご飯をもらう」とかで、それなりに生活していた。子どもたちも含めて、「そういう人もいる」というのをみんなが了解していたんだと思います。だけど、みんな病院に隔離するようになってから、「何か得体の知れない、怖い人」になってしまった。そのうえ、わけのわからない事件が起きると精神障害のせいにするマスコミ報道があり、そして「自分とは関係のない人たちの問題だ」と安心する人たちがいて。
僕らは世間から怖がられているけど、怖がってるのは僕らのほうというのが事実ですよ。僕自身は最近になってようやく「世間には怖い人もおるけど優しい人もおる」と思えるようになってきましたけど、10年ぐらい前まではなんでもかんでも敵対視してました。同じ障害をもつ友人とハルシオンというバンドを組んで活動を始めてから、同じ病者や支援者以外のいろんな人と出会ったりインタビューを受けたりして、「世の中、そんなに捨てたもんじゃないなあ。これが世間というものなら怖くはないな」と感じたんです。だけど、以前の僕のように世間を怖がったり信じられずにいる精神病者はまだたくさんいます。

「見直し」の裏で厳しい制限が行われている

下村幸男さん 新しい道路交通法は、表向きは欠格条項を見直したようにみえます(これまで一定の病気に関しては受験資格もないとしていた欠格事由は廃止され、個別に判断するようになった)。けれど実際には病状申告をすると個別に聴取が行われ、厳しい制限を受けます。通院や仕事に車やバイクが必要なことや、自分のコンディションに合わせた運転(セルフ・コントロール)ができることなどはなかなか考慮されません。これまで何の問題もなく運転してきたのに、書類と担当官の判断次第で免許を更新できなくなるなんて、まるで目の前に飴玉をぶら下げた罠を仕掛けられているような気がします。
精神障害はまだまだメジャーではありません。「風邪ひいた」「胃潰瘍になった」というのと同じように、人前で「この頃、うつやねん」「幻覚が見えるわ」と言えるぐらいにならないと・・・。今回の「改正」では、「幻覚が見える」「発作が起きる」など具体的な症状を出すことによって、いかにも精神障害者やてんかんの持病がある人は危険だという差別や偏見を国が助長しているように思います。幻覚や発作は症状のひとつであり、病気とつきあってる人はそれぞれセルフコントロールしながら生活しているという事実をどこまで理解しているのか。法律をつくる人は、病気や障害のことをもっとていねいに勉強してほしいですね。

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