ふらっとNOW

子ども

一覧ページへ

2005/05/20
子どもの「育ち」を阻害するもの、育むもの


信頼や安心を体感できないまま思春期へ

―――具体的にはどんな背景があるのでしょうか。

魚住さんイメージ写真 非行とは「生活習慣病」のようなものだと思います。日々のなかでの、他愛ないやりとりのなかで、子どもは「うちはこうしなくちゃいけないんだな」とか「こうすれば親は喜んでくれるんだな」ということを覚えていきます。殴られて育つことは、「何がいけないか」ではなく、「自分はいけない子なのだ」「要求は相手を叩いて教えればいい」と身体で教わっているようなものです。生活のなかでのやりとりには言葉以上の力があり、人はそこから価値観や行動基準を身につけていくんですね。
子どもたちの心や行動ををていねいに見ていくと、人との関係をうまく築けない子が多いことに気づきます。根本には「自分のことをわかってもらえていない」という不充足感があります。人との関係のなかで、信頼感や安心感がもてないのです。そんな満たされないものを埋めるように、万引き、リストカット、薬物、家出といった非行や問題行動にのめりこんでいきます。発散して認めてもらおうとするわけです。さらに掘り下げて聞いていくと、親子関係のなかで、自分のことをきちんと受け止めてもらえていない状況が見えてきます。両親(夫婦間)の問題のしわ寄せを一身に受け止めて、あっぷあっぷの状態になっていた子もいます。
人間関係における安心感、信頼感は、社会で生きていくうえでの基礎となる大事なもの。この基礎があってこそ、自主性や自律性、勤勉性などが芽生えます。そしてこれらは幼少期から日常の積み重ねのなかで身についていくものです。それがないままに小中学校へあがってきた子どもたちは、本当にしんどいなかで生きていかねばなりません。

―――人が育つうえで最も大事なものがきちんと与えられていない。むしろ、親の感情や「叩くのもしつけのうち」といった価値観が子どもの「育ち」を阻害しているのですね。

魚住さん写真 今、学校で関わっている子どもたちのなかにも、とても暴力的な子がいます。あまりの激しさに「どうして?」と思うのですが、家庭訪問をすれば「なるほど」と納得します。四六時中、親の嘆きや罵声を聞き続けていると、おとなのわたしでもしんどくて肩がパンパンに張ります。外から帰ってホッとしたり、落ち着いて勉強したりできる雰囲気ではありません。生まれた時からそうした環境にいる子どもが暴力的になるのは無理もないですよね。
一方、親が社会や学校に対して批判的だと、子どもも教師や友達に対して批判的になります。いわゆる社会的地位の高い父親が、母親に対して常に「だからおまえはダメなんだ」という態度でいると、子どもも母親をバカにするようになります。他人を見下し優位に立とうとするという価値観に染まっているので、友達からは煙たがられ、先生には「かわいげがない」と思われて、学校で行き詰まってしまう。親は「学校はおかしい」という見方しかしないので、どんどん学校との溝が深まり、不登校になってしまう。そんなケースは珍しくありません。

―――粗雑すぎても理論的すぎてもいけない。子育ては難しいなと思いますが、大切なのは、家が安心していられる場所であり、家族の間には安心感と信頼感があるということですね。ただ、思春期の子どもの言動は不安定で、親としてどう受け止めればいいのか判断が難しいところです。

子どもはいろんなことをしながら、言いながら、試行錯誤しています。親にぶつかっていくのは、自分のやり方や存在を確かめているのです。自分のことをわかってほしいという主張でもあるのです。一方、親は「あんなことしたら、次はこうなる」と頭で考えるからオロオロしてしまう。そんな親の態度に子どもは、「結局、親は自分の不安のほうが先で、自分を受け止め切れないんだ。自分を親の思い通りにしようとするんだ」と判断します。子どもは言動で親を試し、出方を見ています。自分と向き合ってくれるのか、どんな自分でも受け入れてくれるのだろうか、と。
そんな時は、子どもの言動にいちいち動揺せず、「どうしてこういうことをやろうとしているのかな」と少し客観的に見る必要があります。自分の経験談などを話したり、子どもの話に耳を傾けて向き合うことが大事かと思います。子どもの話が矛盾していても、まずは「そんなふうに思うんだね」と受け止めてください。頭ごなしに否定すると、「親に話してもしょうがないや」と他に居場所を求めてしまいます。小学3年生ぐらいまでは全面的に親が子を守り、正しいこと・悪いことを教える時期です。そして4年生からは、新たな親子関係を築く時期に入ります。子どもが親からの自立を始めるだけでなく、親が子離れの準備をする時期でもあるのです。

関連キーワード:

一覧ページへ