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取り組み「企業と社会貢献」

2002/03/15


< 企業がどうして社会貢献活動をするの? >

社会貢献活動(フィランソロピー)は、最初に浸透したアメリカでも、もともとは富豪や企業家などの個人によるもので、それは、ヨーロッパ市民社会の伝統を受け継いだ相互扶助の精神および博愛精神によるものでした。第二次世界大戦後、企業によるフィランソロピーが活発になったとはいえ、現在でもアメリカのフィランソロピーの大半は、ロックフェラーやカーネギーなどに代表されるような、個人による活動であるといわれています。

一方、個人による社会貢献活動であれば、アメリカと同様、日本でも古くから行われており、個人にこれらの活動をさせたのも、博愛精神(日本では、慈愛とでもいうのでしょうか)であったのではないでしょうか。しかし、最近では社会貢献活動というと、その主体を個人よりも、むしろ企業に求めることが一般的となっています。

では、企業が社会貢献活動を行うのは、博愛精神によるものなのでしょうか。

企業は、ある特定の目的(定款)を実践するために組織され、法律(日本では商法)によって、はじめてその存在が認められる制度的なものです。従って、企業はもともと「博愛精神」を持ち得ないと考えられます。

また、企業、特に現在の企業のほとんどを占める株式会社は、投資家(株主)からの投資による資金をもとに、モノ(財)やサービスを生産し、それを顧客に提供して、元手の資金以上の対価を得ることで、利益(利潤)を生み、投資家に配当を与え、企業自身も維持、成長、発展するという存在です。

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一方、社会貢献活動は、先にも触れたように「直接の対価を求めることなく、その持てる資源を投入すること」ですから、社会貢献活動にかかる費用は、全額コストに他なりません。そのため、コストをかけた以上、企業が維持されるためには、コストを顧客からの対価に上乗せするか、利益を減らして株主への配当を減らすか、企業で働く従業員の給与など別のコストを削減するか、企業が次に成長するための資金を減らすかしなければなりません。このことは、かえって顧客(消費者)や株主(投資家)あるいは従業員に対し不利益を与えることとなってしまいます。

では、博愛精神を持ち得ない企業が、自らの利益や別のコストを削ってまで、社会貢献活動を行わなければならないという理由、しかもそれを積極的に行わなければならない理由は、どこにあるのでしょうか。

さらに言えば、企業は法律によってその存在が認められているのですから、企業の活動の目的自体が、何らかの形で社会に貢献していることになります。にもかかわらず、企業の本来の目的以外の社会貢献活動を行うべき根拠はどこにあるのでしょうか。

近年の企業は、大きな社会的権力と社会的影響力を有しています。雇用している従業員に対してはもとより、地域社会、政府、消費者、株主等に対して、現代の企業が巨大化・多国籍化・複合化するに従って、企業の持つ権力と影響力はますます大きく、多様化してきています。

そして、権力や影響力を持つことを、社会から認められるためには、それに見合った、経済的機能(企業の本来の活動目的の達成による社会への貢献)にとどまらない、さまざまな社会的責任を負わなければならず、その中に本業以外の社会貢献活動も含まれることになるのです。

 

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さて、ここでいう「企業の社会的責任」とは、1.企業の存在意義に関わる制度的責任、2.企業行為の社会的妥当性に関わる倫理的責任の他に、3.倫理的責任よりもっと自発性・道義性の強い、社会の要請に応えなければならない社会貢献責任があるといわれています。

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この3つの社会的責任には、階層性があり、より基本的な責任を果たさないうちは、次の責任の遂行はできないとされています。極端にいうと、不景気で今にも会社が倒産しそうな時には、社会貢献活動を自粛しても止むを得ないということになります。ここに企業の社会的責任の限界があると考えられます。

ただし、この3つの責任の中に含まれる内容は、絶えず変化しており、特に、市民意識の発達した現代社会においては、企業の責任遂行の状態が、インターネット等情報化社会の進展とともに、市民によって絶えず注視されており、これまで社会貢献責任とされたものが倫理的責任へ、また、これまで倫理的責任とされたものが制度的責任へと、より基本的な責任へ近づいている傾向にあります。例えば、障害者を一定の割合で雇用することは、現在では、「障害者の雇用の促進等に関する法律」により、制度的責任となっています。また、企業が倫理的責任を遂行できないことが、企業の存続の危機をもたらすこともありますし、短期的に赤字になったからといって、直ちに社会貢献活動を打ち切ることが、企業イメージを悪化させたり、企業の信頼を失い、その企業の商品の売れ行きが落ち込んだり、企業に対する投資が控えられたりするなど、かえってマイナスになることもあります。

要するに、企業の果たすべき社会的責任の内容と、その優先度は、最終的には企業自身が決定するものですが、その決定に際しては、企業を直接的あるいは間接的にとりまく、様ざまな利害関係者とのバランスが基準になるのです。そして、企業の社会貢献責任をより基本的な責任に近づけ、企業に遂行させる原動力となるのは、私たち市民の「自ら社会に参加しようという意識=市民意識」です。