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2002/11/08
重い扉をこじ開け、部落の内側から外側へ 熊本理抄さん


家族と向き合い、家族とつながる

人権問題にかかわるまでの熊本さんは典型的な「優等生」だった。家族にとって賢く、性格のよい彼女は自慢の娘だったことは言うまでもない。だからこそ、母は“歩く人権辞典”と化していく娘に危惧を抱き、離れていく娘を応援しつつも心配しつづけた。しかし、娘はすでに母の手の中から飛び立とうとして力強く羽ばたいていた。「人権」というパンドラの箱を開いたことが、母娘に激しい葛藤をもたらすことになる。
典型的な性別役割分業を受け入れ、男性の力に依存しなければ生きていけなかった祖母や母。部落の家庭内に存在している「女性差別」はまさに熊本さん自身の課題だった。
「祖母や母のことをとても愛している反面で、こうした生き方しかないのか、と思っていました」

熊本さんの写真 部落の知識人だった祖父は字の読めない祖母を見下していた。母も、男性に支配されながら生きてきた。部落の中で、さらにジェンダーに縛られた女たちがいる。たとえ部落が解放されても、男性に支配される女性が存在するなら、それは解放ではない。
「部落問題、女性問題、在日の問題、障害者の問題や、部落の人たちが抱えているさまざまな問題は決してひとくくりにはできないんです。そこにかかわる個人が、また個別の問題をかかえています。外に向かっては権利を勝ち取る運動を展開しながら、内側では女性差別が存在してる。女性の権利が奪われながらの部落解放って何よ、と思ってた。部落問題最優先、という運動のあり方には考える余地があると思うんです」。部落解放と女性解放は等しい課題で、どちらかが優先されるものではない。熊本さんは今もそう思う。

自立について、権利について、女性について、ことあるごとに母との対話をくりかえした。根気よく、時間をかけて、自分がいま取り組んでいる社会の問題と母や娘の生き方が無関係ではないことを話し続けた。
「すべてを理解しあえたとは思いませんが、以前より随分と母と娘の関係はよいものになりました。やっぱり対話って大切ですね」
強い母は、ずっと熊本さんの憧れの人だった。しかし反面で自立できない弱さを憎んでもいた。まさに愛憎半ばする関係が少しづつ修復されていった。もちろん、幼い頃から女性の権利を自覚して部落解放運動の矛盾を指摘してきたわけではない。「今でこそ、差別に優先順位はない、なんて思うけど、このことがわかるまでは『上見て暮らせ、下見て暮らせ』で生きていたように思います」
学歴意識は絶えずつきまとっていた。欧米へのあこがれを抱き日本を離れたかった。部落を好きになれなかったし、差別されてる部落の中でも、やっぱり女は男の下にいると思っていた。でも、その部落の女性たちの中でも、『私は違う』という優越感が常にあった。

部落のおんな三代。葛藤をこえて、要約豊かにつながりあうことができた。
部落のおんな三代。葛藤をこえて、ようやく豊かにつながりあうことができた。

人権問題は、ある意味でパンドラの箱だ。社会運動として、自分自身以外の権威や差別の課題に刃を向けているときは気持ちがいい。しかし、そこには必ず自己と向き合わなくてはならない課題がひそんでいる。「わたしはどうなのか」。これまでの生き方の“とらえかえし”が迫られる。
「部落問題って、ある意味で家族の問題も含んでいると思うんです。部落内の家庭、家族関係のあり方、そこのところの見直しが、実は社会につながっていく気がします。部落問題や女性問題との向き合い、部落解放運動や女性解放運動との出会いによって個人としての生き方を問い直しただけではなく、男女のあり方や家族のあり方、社会のあり方をも問い直すようになりました。大きな揺さぶりです」
「特別な」部落産業や伝統があるわけでもない。運動があるわけでもない。そんな部落で生きている、祖母や母のような部落の女性たちの生き様に、被差別体験だけでもなく、闘う活動家の姿としてだけでもなく、「普通に」「身近に」生きる人間の姿として学んでいきたい。そこから自己や社会のあり方を問い直していきたいと思っている。

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