テレビで発言された後、ずいぶん反響があったと聞きますが。 在日の人から「これからも私たちのことを伝えてください」という応援の手紙もずいぶん来ました。また、全国から講演に呼ばれますから、マジョリティには支持されたと思います。 在日が通称名を使っている意味と、芸能人が芸名を使っている意味が全然違うということを、多くの日本人は理解していません。簡単には分かってもらえないかもしれません。 通称名が「偽名」だというのは誤りなんですね。 そうです。通称名が「偽名」でないということについては、1970年の 「日立就職事件」の判決でも証明されています。この裁判は、通称名で就職試験を受けて合格した在日の青年が、戸籍謄本を会社に提出せよとなった時に、「自分は韓国人なので、外国人登録証じゃだめですか」と言ったら、日立は「韓国人は雇えません」と採用を取り消し、裁判になったものです。 日立側は、この在日青年の採用を取り消した最大の理由を「履歴書に事実を隠し、通称名という『偽名』の虚偽の記載をした」とし、これを根拠に解雇の正当性を主張しました。日本企業の在日コリアンへの就職差別と共に、この裁判では「通称名は偽名かどうか」も争点になったんです。 裁判の結果、横浜地裁は「在日コリアンに対する差別が存在する中で生きていくために、意思に反して日本名を使用せざるを得ない状況の中で、日本名は決して虚偽の記載ではない。日本名使用は解雇理由にならない」と、通称名の使用に正当性を与える判決を下しました。 それと、通称名を名乗ることをどう考えるか、というのはまた別の問題ですね。 はい。通称名を使うのが価値観として正しいことかとは別の問題ですが、そこを誤解して批判される人もいます。本名報道を追及していくと、問われないといけないのは、通称名というのがそもそも存在してきた社会的背景なんです。 例えば、芸能界。日本の名前を名乗って活動をしている在日コリアンが大勢いて、過去の日本歌謡大賞受賞者に多くの在日コリアンが存在するというのに、みんな日本名を名乗っているのは、「本名を名乗ると人気がなくなる」と恐れる所属事務所が、日本名の使用を誘導しているからです。ある芸能人は「在日ということをばらされたくなかったら、金を出せ」と、暴力団関係から脅かされたこともあると聞きます。在日の芸能人は、出自あばきを恐れながら芸能活動をしているのです。 そういうふうに、在日が日本名を名乗らざるを得ないような民族差別が放置されている、ということが問題なんですね。日本の国や地方自治体は、在日コリアンに通称名を名乗らせないような社会環境をつくらなければいけない責任があるのに、その責任が果たされていない中で「在日の芸能人は本名を名乗ったらいいのに」「犯罪を犯したら本名で名乗れ」というのは無責任な発言ですね。 その無責任な発言が、今、大手を振って歩いているという気がします。 私の発言は、20年ほど前の社会党レベルの主張を言っているだけなのに、社会全体が「右」に移動して「左」がなくなってる今では、過激だと言われたわけです。本来、「右」の論客を出すなら「左」の論客も出すというふうに、バランスをとって発言者を起用しないといけないはずなのに、それが出来なくなっているテレビ局、ひいては社会って何なんでしょう。今、日本は、社会全体の「右」化という大きな問題を抱えているのです。 話は飛びますが、先の総選挙では郵政民営化に対して多くの人々がゴーサインを出したわけで、決して首相の靖国神社の参拝にゴーサインを出したのでなく、国民の声は分かれているというのに、そこに錯覚が生じている。 えっ? カミソリまで送られてくるんですか。 ええ。議論することすら封じようとする議論弾圧です。許しがたい圧力です。 |