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特集



偏屈でも、いいかな? 番外編

2008/04/04


若き職人が語る部落

春、夏、秋が過ぎ、年をまたいだ今年(2008年)2月の初旬。仮編集されたDVDが届いた。タイトルは「にくのひと」。そのまんまである。さっそく見 てみた。牛が解体され、枝肉になるまでが、屠場にかかわりのある人のインタビューをまじえながら構成されている。映像であれ活字であれ、屠場を取材した作 品を数多く―といってもそれほど多くはないのだが―見てきたが、これまでにない出色の出来だった。
牛の解体をこれほど克明に描いた映像を、私は他に知らない。屠場の元職人と機械担当者が作業の手順を説明し、そのあと実際に解体されていく映像が流れる。 作業に使う道具・機械類の説明もかなり詳しい。カッターの刃がどのように動くかまで見せている(満若君が無類のメカ好きであることは後に知った)。

 

『にくのひと』ジャケット

職人たちの仕事や部落差別に関する語りも、実にうまく引き出している。知人の紹介で午前中は屠場で、午後は精肉店で働く20代半ばの若者が、カメラを前に次のように語っている。
「俺は部落出身じゃないやん。せやけど、『お前が肉の仕事をしとるだけで敏感なやつはお前は部落やって思われとるでな』って言われたことがある。でも、 そんなんオレ、かまへんもん。それがなんどいや(なんやねん)。ツレやからつきあいしとる。それに部落を笑いのネタにしてまうから」
そう言ったあと、賤称語を使ったアブナイ話を続けるのである。部落民に思われてもかまわない――これもまた部落問題解決のひとつのカタチであろう。
彼の恋人にもインタビューしている。以下は恋人同士のやり取りである。

 

「コレ(金)のために仕事しとんもん。コレがええ悪い関係なしにな。こんな特殊な仕事をしとる割には、まあ普通の値段(給料)やわな。せやけど、それで食うて生きよんもん。ええんちゃうん別に、部落やからとかそういうの・・・」
彼女「そうそう、別に仕事はなんでもいい。働いとったら」
「ホストでもええん?」
彼女「あ、そういうのは無理。そういう系しとったら付き合ってない」
「へー」

屠場で働くのは問題ないけれど、ホストは・・・という彼女の感覚がおもしろい。もちろん、まじめなホストもいるだろうけれど。
午後に勤務している精肉店のおかみさんについて、彼はこうも語っている。
「普通にいろんなこと話してしまうし。何かおばちゃんに全部言うてまうねんな、何か知らんけど。おばちゃんも色々言うてくれんの。それでうまいことなっとんやと思うけど。それでええんちゃうか。普通が一番やて、いやほんまに」
このシーンだけでも、彼がいかに職場でかわいがられ、また彼も溶け込んでいるかがわかる。職人の世界、少なくとも画面に出てくる人たちの中には、部落も部落外もないのである。

「パパの仕事が見たい?」

生き物を屠る仕事について、職人たちはざっくばらんに語っている。自分の仕事を子供に見せたいか? という質問に、30代半ばの職人が自宅のソファーで答えている。
「まあ、見せんでもええんちゃうかなあ、別に。こういう仕事をしているというのを理解できてない。だから見せたくない。もっとこう、理解ができるように なったら見てもええんちゃうかなあと思うけど、どんな仕事か理解してない。牛を殺しとるぐらいはわかっとるけど、実際ほんまに殺しとるとこ見たら、気持ち 悪がったりしたら……そら気持ち悪いんちゃうかなあ」 
あまり人に見せるべきじゃないと思いますか? 満若君がしつこく食い下がる。
「興味がある人は見てもろたらええと思うけど、わざわざこうやねんて見せる必要はないなあ。子供に対してもそうやし」
そこに突然、ソファー近くにいた飼い犬を抱きに小学3年生の息子が現れ、父親の隣りに座った。

職人「パパの仕事が見たい?」
息子「うん、見たい!!」
職人「うそ、言え」(笑いながら)
息子「鉄砲見たい! マシンガンみたいにドドドドッ」(撃つマネをする)
職人「違うわ、そんなんと(笑う)。ほんま、見たいか?」
息子「うん」
職人「ほんまに見たい思うんやったらな、連れて行ったるわ」

自分の仕事を息子に見せる必要はないとは言いながら、職人は気になっていたのだろう。見たいという息子の意外な反応に、職人はその気になっている。柔和になった職人の表情が印象的だ。
画面を見ながら私は思った。いつか息子は屠場で働く父親の姿を見るだろう。マシンガンみたいにドドドドッ・・・ではなく、専用の短銃を使って一発で仕留 めるのを確認するだろう。そしてこの職人の息子なら、牛の解体作業を気持ち悪がったりはしないだろう。むしろ、パパかっこいい、と思うに違いない。
インタビュアーであり撮影者でもある満若君は、屠場にかかわる人たちに全身でぶつかっていた。職人たちもそれに応えている。〈撮影者vs.被写体〉ある いは〈部落外vs.部落〉の距離が、ほとんどないのである。これは並たいていのことではない。
私は労作を撮った満若君に再び会った。