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2008/09/22
改正戸籍法施行を機に考える「戸籍と人権」



日本は家族単位といわれるが、壬申戸籍まで遡ることができる

――戦後の戸籍制度の経緯を教えてください。

戦前の戸籍は「家」単位でしたが、1947年、家制度の廃止に伴って、戸籍制度を改革する必要に迫られました。GHQ(連合国軍総司令部)や若い学者たちは、家制度の名残を払拭するために個人個人の戸籍の作成を提案したのですが、司法省(当時)は手数がかかるなどの理由で応じず、「家」単位から「夫婦およびこれと氏を同じくする子」の変更にとどまりました。なお、手数料を払うと誰もが戸籍の閲覧ができる制度(閲覧制度)は戦後も続きましたが、76年にようやく廃止されました。

――戸籍は、現在も夫婦と子単位ですよね?

そうです。現在、96.5%の夫婦が、夫の氏を夫婦の氏にしている中、氏を選ばれた方が筆頭者になります。そして、この夫婦に子どもが生まれると、順番にその名前が記載され、その子どもが婚姻などによって戸籍から外れると、名前の欄に×印が付されて、除籍となります。同様に、夫婦が離婚した場合、筆頭者でない方(たいていは妻)に朱色の×印が付され、除籍されます。離婚した人を「バツイチ」と呼ぶのは、そこから来ています。
子どもの名前欄の横に、父母欄があり、父母が婚姻中は父のみフルネームで、母の氏が省略されます。しかし、婚外子の場合と、父母が離婚した場合には母の氏が記載されます。
名前の欄の上に、身分事項欄があり、その人の一生の家族関係事項が順次記載されます。これを見れば、出生地や、どこの戸籍から入籍したかなどが分かり、前戸籍をたどっていけば、離婚しているかどうかも含め家族関係を無限に追跡でき、壬申戸籍にまでたどりつき、部落民であるかどうかを確認することもできるのです。

二宮さん写真――壬申戸籍は、今も残っているのですか。

1968年に法務省が回収命令を出しました。全国の市町村から回収して、法務局で保管されているとのことですが、実際は全て回収されているとは限らず、持ち出された可能性は十分あります。

――しかも、76年の法改正まで、戸籍の閲覧が可能だったわけですね。

はい。家族単位の戸籍を閲覧し、謄本を得て、「部落地名総鑑」などと照合し、婚姻や就職の際に部落差別のために利用されてきたのです。離婚した女性、婚外子を出産した女性、婚外子らを蔑視し、差別し、疎外することにもつながっていました。

『本籍』は自由に選べる、男女とも「入籍」 疑問を持てば、不思議いっぱいの戸籍

――本籍というのは、つまり何なのでしょうか。

戸籍の所在地のことで、「出身地」「実家」のイメージを持つ人がいますが、間違いです。現住所とは関係なく、日本国内であれば、自由に選ぶことができます。千代田区永田町でも、北方四島でも、どこでも選べるのです。そして、本籍はいつでも自由に変更(転籍)することができます。

――主体的に本籍を決めるのは、多くは婚姻時でしょうか。女性が男性に「入籍」すると、表現されることが多いと思うのですが。

婚姻しなくとも、親の戸籍から除籍して、一人の戸籍を作ることもできますよ。それに、「入籍」という文言は、現行戸籍では男性も女性も等しく記載されます。婚姻時に選んだ二人の本籍に、男性も女性も親の戸籍から除籍して「入籍」するのですから。女性が男性側の戸籍に入るというイメージは、戦前の戸籍法のイメージや家意識が残っているからでしょう。
もっとも、1994年の法改正で、戸籍事務をコンピュータで扱うことが可能になり、コンピュータでは入籍という文言はなくなりました。父母欄の母の氏の省略も、×印を付すこともなくなりました。×印がなくなったのは、コンピュータでは×印を書けないという単純な理由からだそうですが、思わぬところで機械化のメリットがありました。

――お聞きしているうち、戸籍は不思議なものだと思えてきます。

戸籍は、「家」を表し、かつ各人がその「家」でどのような地位にあるかを示すものとなっています。かつての家制度のもとで、人々は単なる登録もしくは公証という意味以上のものを感じ、戸籍記載を重視する意識が強く、「戸籍が汚れる」といった感情などを生んだ。その名残が、戦後60年以上経った今も人々の心の中に尾をひいているのですね。

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